第3章 第4話

文字数 3,742文字

 つい熱が入って、かなり偉そうなことを言ってしまった気がする。
 夜のアクアラインを通りながら、東京湾の奥に煌めく東京と横浜の夜景をぼんやりと流す。

 ゴルフ場の寮に送った後、見たことのない最高の笑顔で、
「ゆーだいさん、今日もありがと。また来週ね」
 と言ってくれた。
 心がポカポカどころか、かっかしてくる。

 どうやら言いたかったことは大体伝わったみたいだ。彼女の強さ故の弱さは前から認識していたが、俺がどうこう言うべきで無いと思い封印してきた。
 それをさっき、ダメ元でぶつけてみた。
 来週以降、彼女がどんな態度で予選会に向けてやって行くか、そっと見守ろうと思う。
 
 俺は野球部を通じて似た様な奴らを多々見てきた。途轍もない素質を持ちながら弱さを認められない弱い心のせいで一流になれなかった奴。技術は拙くも信じ難い心の強さでドラフト入りした奴。
 彼女には、一流になって欲しい。出来れば超一流になって欲しい。ゴルフの事はよくわからないが、遠くからそっと見守る事くらいは俺にも出来よう。

 そんな決意を胸で温めているとーラインの着信音だ。
 海ほたるに停車し、スマホをチェックすると受信件数がすげえ事になっているー
 一々メッセージをやり取りするのが面倒臭いので電話をかける。
「お兄から聞いたんだけど。ゆーだいくん、若い女子と二人でゴルフしてんだって? それどゆこと?」
 あー、面倒くせ。ってか、リューさん、言うなや、それ。
「せっかくのお休みなのに、女子とゴルフ? ハア? もうムリ。これ以上、ムリ。もう別れよ」
 ふー。
「いいの、それで?」
 ふう。
「もう知らない。」

 電話が切れる。これで四度目? 五度目?
 明日の朝にしれっと連絡が来るに千円かけても良い。
 海ほたるのデッキから、東京の夜景を溜息混じりにゆらゆらと眺める。冷たい潮風を胸一杯に吸い込むと、何故だろう、みなみちゃんの笑顔が遠く揺らめく光の波間に見えた気がした。

「お兄ちゃん。起きて。話がある。」
 みなみに起こされる。うわ… 陽菜のやつ、そうきたか…
「陽菜に冷たくしてるって、ホントなの?」
 別に、冷たくしてはないと覚えるのだが…
「こないだの、研修生の子と付き合ってるって、ホントなの?」
「ハアー? んな訳ねーだろ!」
「でも昨日、二人っきりでゴルフして夕ご飯食べて、その後ドライブしたって。ホントなの?」
 その、最後のドライブって店から寮まで送ったやつ…
「二股? 信じらんない。ねえ、陽菜って私の親友なんだよ、何考えてるの!」
 寝起きということもあり、少々カッとしてしまう。
「チゲーって言ってんだろ! うるせえな。」

 あ。
 やっちゃった。
 みなみを怒鳴りつけ、ちゃった。
 こんなの、初めt…
「怒鳴らなくてもいいじゃない! それって事実を誤魔化してるから? 二股を肯定されるのが怖いから?」
 こわ!
 みなみが、激怒している!
 こわ! こわ! 何これこわ!
 みなみが怒鳴ってる、こわ! 初めて聞いた、こわ!

「どうしたっ 何があった?」
 親父がすっ飛んで来る。御年54ながら、階段を一瞬で駆け上がってくる。
「お父さんっ お兄ちゃんが、陽菜と別の女子を二股かけてる!」
「何だとっ 雄大! 貴様、なんて事してんだコラ!」
 うわ… 親父まで…

 恐るべし、陽菜。
 昼までの間、俺はみなみと親父の吊し上げを食い、最後には泣く泣く陽菜に直電入れる羽目になってしまう。
 親父はともかく、みなみに二時間も責め続けられると、心がバッキリ折れる。俺はみなみの言うがままに電話をし、ひたすら陽菜に詫び続け、今夜の夕食の約束をして電話を切り時計を見ると午後二時になっていた。

 食事を終え店を出ると、すっかり秋は深まりセーター一枚では薄寒い。月が雲に隠れ鈍い月光が俺の気持ちを何処までも暗くする。陽菜を送る途中にある某見晴らしの良い公園にもすっかり晩秋の気配が満ちている。
 どちらともなく中目黒を一望するベンチに腰かける。丘を駆け上がった冷たい秋の夜風が二人の温度を低下させる。

 陽菜はしばらく晩秋の風に震えていたが、徐に
「ねえ。ホントは陽菜のこと、そんなに好きじゃないんだよね?」
 とストレートに切り出す。コイツは俺と面と向かっている時には変化球を投げてこない。いつもストレート一本だ。
「そんなこと、ねえよ」
「じゃあさ。陽菜とゴルフ、どっちが好き?」
 こいつ…
 顔面スレスレのブラッシュボールじゃねえか…
「ゴルフ。」
 嘘を言うと後が面倒臭い。ここはハッキリ伝えておく。
 俺の人生だ。したいことをする権利が憲法で保障されているのだ。
「陽菜といるより、ゴルフしたいの?」
「その通り。」

 これで、諦めてくれないかねえ。もっと陽菜にぞっこんのチャラい男と付き合ってくれねえかなあ。俺を諦めてくれねえかなあ。
 そんな思いを込めてハッキリと言葉にする。
「俺はゴルフがしたい。土曜も日曜も、休みの日はゴルフがしたい。お前とデートする余裕はない。もう邪魔しないでくれ。俺とキッパリ別れてくれ!」
 ……とは流石に言えないので、
「今はゴルフに夢中なんだよ。野球で体壊して選手諦めて以来、こんなに打ち込めた事はないんだ。だから、悪いけど…」

 陽菜が急に立ち上がる。
 わかってくれた、のか?
 来週から、週末は土日とゴルフに行けるのか?
 もう毎日ウザいラインのやり取りをしなくて、いいのか?

「いいよ。」
 薄暗い街灯に照らされた陽菜が決然と言い放つ。
「それなら、ゴルフして、いいよ」
 …お、おう。
「その代わり」
 街灯が陽菜の目の涙を妖しく照らす。

「陽菜と、婚約して」

 全身の力が脱力する。
 一際冷たい一陣の風が俺の顔を吹き払った。

「お兄ちゃん、ちょっと。話がある。」
 帰宅すると、みなみが玄関で仁王立ちして俺を待っていた。
 またかよ。もう勘弁してくれよ。お前の怒鳴り声とか怖い顔、もう無理だって…
「なんで陽菜にちゃんと返事しなかったの? お兄ちゃん、どんなつもりで陽菜と付き合ってきたの?」
「いや、それは、その…」
「陽菜はね、子供の頃からお兄ちゃんのことが大好きで、大好きで。お兄ちゃんのお嫁さんになるのが陽菜の夢だったんだよ。今でも!」
「おも…」
「ふざけないで! お兄ちゃんは陽菜の純粋な気持ち、全然わかってない!」

 その後ろで親父と、お袋までもが真顔で俺を睨みつけているじゃありませんか… 公開処刑ってやつなんでしょうか…
「お兄ちゃんが野球部で頑張ってる姿、陽菜はずっとずっと見守ってきたんだよ!」
 知らねえよ。
「甲子園にも陽菜は全試合観に行ってたんだよ。お兄ちゃんが出るかどうかわからないのに」
 知らねえ、よ。
「最後の打席でお兄ちゃんがヒット打った時、陽菜号泣してたんだよ。周りが引くくらい」
 … 知らねえよ。
「大学でさあ、お兄ちゃんが肩壊して選手諦めて主務になった時も、陽菜は自分のこと以上に落ち込んでたんだよ!」
 … 知らなかった、よ。
「あの子さ、あんなに可愛いのに、男子と二人でデートとかしたことないんだよ。勿論彼氏なんて一人もいなかったんだよ」
 知らねえよ。
「あの子、何であんなチャラい格好してツンデレしてるかわかる? お兄ちゃんが昔、俺はアイドルが好きだ、何とか坂の誰々が好きだって言ったからなんだよ!」
 … 道理で… 俺の大好きだった楠坂48の高松ちなつちゃんに風貌が似てるのは気のせいではなかったのか!

「ホントはあの子は地味でシャイで内気で。だけど人気者でコミュ力高いお兄ちゃんに合わせるため、メッチャ背伸びしてるんだから!」
 マジか… あのチャラチャラとツンデレはデフォルトではないのか?
「地味だとお兄ちゃんの目に留まらないからって、髪を染めて化粧して派手な服着て。見てて耐えらんない。痛過ぎる。あんな純粋でピュアな子がお兄ちゃんのせいであんな様に…」
 みなみの目にも涙。純粋もピュアも同じなのに気付かぬ程の涙…

「どうして、付き合ったりしたのよ! お兄ちゃんにその気がないなら、振っとけば良かったのに。そうすれば昔の陽菜に戻ったのに…」
 正直言おう。このコロナ禍の夏。数年ぶりにじっくり会った陽菜の俺好みの容姿に、俺はすっかり参ってしまったのだ。合コンや飲み会が皆無のこの夏、小林家に詰めていた俺のそばにパッと咲いた花だったのだ。
 女友達とも会えず、合コンも無く、会社の女性は女子力低過ぎており、俺は正直女に飢えていた。そこにフラフラと俺の横にちょこんと座る高松ちなつ似のJ D。気が付いたら付き合っていたのだったー

 なんて事だ。全然知らなかった。陽菜がそんな昔から俺一筋だったとは。思い起こせば確かに陽菜と昔はまともに喋った記憶がない。話しかけても返事すらまともに返さなかった気がする。
 それは照れだった、とみなみは言う。恥ずかし過ぎて、お兄ちゃんの顔をちゃんと見れないくらい陽菜は俺に憧れ、俺を好いていたと言う。
 そんなことも知らずに俺は陽菜を…

 無理矢理待ち受けにされた陽菜の写真を眺める。そこには痛々しい今時の馬鹿女が映し出されている。
 何でそんな無理してまで…

 明日の夜、ちゃんと話し合おう。そうラインすると、
『はい。お願いします』
 と返信が。急に胸が熱くなる。
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