42.またまた、お買い物の気持ち

文字数 2,525文字

そして、その後、私の父は亡くなってしまいました。怪我をしなければ、もっと長生き出来たのにと思います。ただ、婆ちゃんの時と違い、父の最後を看取る事が出来たのは、せめてもの慰めでした。それで、代智と私は自分達の寝室に戻る日が来ました。けれど、その頃は、ひどく心地の良くない状態でした。ただ、一つ、私に分かっていたことは、また、重要な事を忘れてしまっていたと言う事です。私の期待に基づいて、代智の事を見ていた訳です。お買い物の気持ちを忘れていたのです。学校で生徒に対して持ったように、また、前に平也に対して持ったように、代智にもお買い物の気持ちを持たなくてはと思ったのです。私が物事を良く分かる人間だったら、ほんとは、もっと前から、代智の事を考えていたはずなのです。代智だって、相当私に協力してくれたのに、段々と力尽きてしまったに違いないのです。

そして、もう、この頃までに、気が付いていたように、私は、物事に追われ、お買い物をする資金が無くなっていたのです。それで、中断していた、絵を描くことを再開しました。それに、これも中断していた、この文章を書くことも再開しました。今までの所を読み返して、私がいかに平也で苦労したか、そして、どのようにお買い物の気持ちを培ってきたかを思い起こしました。どうせ、だんまりを食らっているのだからと、多少、家事から手を抜いたり、引き伸ばしたりもしました。まずは、お買い物が出来るだけの資金を用意しない事には、先に進めないと確信したからです。時には、平也にお願いして家事を手伝ってもらうこともありました。

代智にしてみれば、肉欲の支配していた新婚時代が終わった後は、妻の私が居なくなってしまったように感じたに違いありません。それが、寂しくない訳がないのです。私に文句を言ったのは、非常信号を発していた訳で、実は、私ともっと一緒に居たかったのではないかと思い始めました。また、黙ってしまった時は、その非常信号を無視されたと言うもっと切迫した気持ちだったに違いないと思いました。それで、私は、私なりの努力をするようにしました。

まず、食事の文句を言われた時の事を思い出しました。この頃になってやっと、どういう味を期待しているのか聞くようにしました。もっとコクと歯ごたえのある物が食べたいと言われました。思えば、それが代智の好みだと言う事は、私には良く分かっていたはずなのです。それなのに、私が、それを、無意識かもしれませんが、無視していたに違いないのです。それで、思い切って、代智に味付けと味見を手伝ってもらうようにしたのです。代智は、食事の用意と後片付けは大嫌いですが、途中の微調整に関しては、自分の好みを反映できるので、協力してくれました。そして、二人で一緒に台所に立って、ああでもない、こうでもないと食事の微調整をする事が増えました。すると、状況は一気に好転しました。その後は、少しずつですが、進んで食事の用意を手伝ってくれるようになったのです。

気を良くした私は、食事だけでなくて、代智の文句を言っていた事、一つずつに注意を向けていきました。すべてうまくいったわけではありませんでしたが、私の気持ちの持ち方を変えるだけで、世の中は随分変わるものです。私はもう心配しなくて済むと思いました。ただ、私たち夫婦は、もう、中年になり、人生の疲れも感じている時期だったので、肉欲の支配するような生活にはもどりませんでしたが。

さて、私の場合は、お買い物の気持ちを育むための資金作りに、絵を描いたり、文章を書いたりしてきました。でも、資金作りについては、皆それぞれ、違った方法があるはずです。それでは、何か、誰でも出来るような一般的な方法がないでしょうか? 代智の会社では、福利厚生の一環としてウェルネス・コーチを招いて、簡単な体操、話し合い、そして、瞑想をすることがあるそうです。女性二人のコーチが自分たちの体験を基に心地よく指導してくれると言う事です。毎回参加している人もいるらしいのですが、代智はたった一回参加しただけだと言っていました。まぁ、代智には不向きなのは良く分かります。でも、そう言った、一般的な方法があるのだったら、それは、良いことだと思います。そう言えば、符吹がタイで瞑想に励んでいたと書いてあったのも思い出しました。それでも、符吹は、一生かかっても自分の病は治らないだろうと書いてあったのも確かです。

その頃、私が下宿させていただいていた灰床夫妻の旦那さんの具合が悪くなっていました。夫婦の所には息子夫婦が戻って世話をしていたのですが、事情で、平日の昼間、どうしても、二人とも家を空けなくてはならない時があるそうなのです。それで、私がその間、居てあげられないかと聞かれました。幸い、私の家族の方は落ち着いて来ていたので、出来る時は出向いて、お世話をするようになりました。十年近くの間、無償で下宿させていただき、その上、学費の一部を頂いたり、教育実習や就職の世話をしてくれたり、代智を紹介してくれたり、私にとっては、正に東京の両親だったので、少しでも恩返しが出来て、嬉しかったのです。

息子の平也はと言えば、学校で授業を楽しんでいる訳でもなく、部活をしている訳でもなかったので、高校生活がどういう意味を持っていたのか、私には良く分かりませんでした。それでも、一応毎日学校に通って、何かしらをしていました。また、商業高校では、卒業後、ほぼ全員就職するので、就職の指導はしっかりしています。高校三年の夏休みは、生徒たちが職場体験をする時期でした。平也は、思い切って、関東平野を飛び出し、山中湖畔にある大型リゾートホテルに住み込むことにしました。給料は出ないのですが、宿泊とすべての食事が提供され、往復の交通費と現地で気晴らしが出来る程度の小遣いを支給されるそうです。実際に行ってみると、平也は、山中湖の周りの自然を大いに気に入ったようですし、どうやら、仕事以外にも気に入ったことがあったようです。それで、卒業後は、そこに就職することに決まりました。我が家は寂しくなりましたが、平也が自分で決めた事なので、私も良かったと思いました。
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