1.行き詰まりの時

文字数 1,499文字

「自然の営み」とは自然界のすべての事象が限りなく複雑に関わり合って共存していること。私はそう思っている。こんなに大事な事を理解してもらおうと必死に努力しているのに、生徒たちはどうして興味を持たないのだろう? 私は、自然の尊さを次の世代に伝えようと、苦労して中学校の理科教師になった。それなのに、自分の努力が報いられないのは残念で仕方がない。そんな思いに打ちのめされながら、誰もいない放課後の理科室で一人落ち込んでいた。

その時、用務員の白羽さんが入ってきた。
「こんにちはー」
私は、少し遅れて、小さな声で答えた。
「こんにちは」
「あれ~、青澄さん、元気がないみたいですね。どうしたんですか?」
「何でもないんです」
「そうですか? それだったらいいんですが。あれっ、ここにノートが落ちてますよ」
「あっ、ありがとうございます。え~と、これは黒迷君のだ」
私はパラパラっと中を覗いて、思わず叫んでしまった。
「やだー、何にも書いてないじゃない!」
「そんなもんですかね、中学生は」
「え~? でも、私は一生懸命に大切な事を教えようとしているのに。どうして興味を持ってくれないのかしら?」
「ふ~ん、そうですか。あっ、そうだ。ちょっと待っててくださいね。用務員室に面白そうなものがあるので、取ってきますから」

暫くして白羽さんは何かをコピーしたような物を持ってきて、私に差し出した。
「これね、私が以前働いていた中学校で拾った誰かの原稿なんですが、コピーしてきたました。ひょっとしたら、何かの役に立つんじゃないかと思って。コピーなんで、興味がなかったら処分してもかまいませんよ」
「ありがとうございます」
すると、白羽さんはニヤッとして出て行った。

その夜、私は白羽さんのくれた原稿を見てみた。題名は『日々是お買い物の気持ち』とあった。作者名はなかった。私は、けち臭い田舎者で、喜んでお買い物をするというようなタイプではない。「何これ」と思いながら、ページをめくり始めた。やけに空白が目立ち、所々に走り書きの様に書き綴ってあるだけだ。例えば、こんな事も書いてあった。
「私は、押し売りをしようとして失敗してきた。確かに、相手がそれを買いたいかどうかなんて、分からないじゃない。そんなことより、相手の大切なものを買ってあげたらどうなんだろう? お買い物の気持ちを持ったらどうだろう?」

この原稿の作者はいったい何を言いたいのだろうか、私にはチンプンカンプンだった。それでも、それからはその原稿の事が頭にこびりついていた。そして、かなり長いこと経ってから、ふと思い付いたことがある。

ひょっとして、この作者は、今の私と同様、教師としての行き詰まりを感じていたのかもしれない。そして、その問題点に気が付いて、何らかの解決策を見出そうとしていたに違いない。もしかすると、私が今までしてきた事も、自分の知識や考えを生徒に押し売りすることで、それが間違いだというのだろうか? そして、その「お買い物の気持ち」と言う姿勢が必要だと言っているのだろうか? もしそうだとしたら、白羽さんの言うように、この原稿に書いてあることは何かの役に立つかもしれない。そうだ。この書きかけのような原稿を完成するつもりで、自分の事を書き綴ってみよう。私は、理科の教師で、文章を書く事は好きでも、得意でもない。でも、行き詰った今となっては、その中から何かを発見することが出来るかもしれない、と思い始めた。それで兎に角、私の小学生の頃の思い出から少しずつ書き始めてみることにした。人に見せる訳ではないので、情けない事や、恥ずかしいような事も、思い切ってそのまま書き始めたのです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み