11.手探りの浪人生活

文字数 1,759文字

取り敢えず、東京の生活にも慣れてきた頃です。新聞配達は昼間に空き時間があるので、その間は、パン屋さんで働くことにしました。ところが、始めてみると大変忙しく、灰床家に戻って、夕食を食べた後は、もう、すぐに寝てしまうという日々が続きました。それに、唯一の休日、日曜日は、ほとんど毎週、優飛君のサッカーの試合を見に行くのです。それで、なかなか受験の準備には本腰が入らず、少し心配になってきました。「パン屋さんのパートを辞めれば、もう少し余裕が出来るのだけど」と思ってはいたのですが、新聞配達だけの収入で、これからの支出をすべて賄えるかどうか、不安でした。

そうしているうちに、私の忙しさと不安を見越した様に、灰床家の奥さんが言葉を掛けてくれました。
「入絵ちゃん、少し忙しすぎない? お金が必要なのは分かるけど、体でも壊したら元も子もないし。ねぇ、もし必要だったら、私たち、少しお金を貸してあげられるのよ」
私は、心から感謝して、お願いするかもしれないと答えました。それで、決心して、パン屋さんのパートは、辞めることにしました。それから、灰床夫妻の家はかなりの年数が経っているので、色々と家の関係で修繕することがあります。世話になっている手前、私はこれらの事を一生懸命にやりました。それで、灰床夫妻も私が居ることを頼もしく思ってくれたことと思います。

さて、資金に乏しく、成績優秀でもなかった私が考えていたのは、二部、つまり、夜間大学に行くということです。入学の難易度も圧倒的に低いので、私でさえ、それほど勉強をしなくても大丈夫かもしれないとも思いました。それでも、万が一ということもあるし、教師としてバカにされない程度の教養は身につけようと、毎日、一通りの受験勉強をしました。特に、苦手な英数国に力を入れました。高校時代、勉強は好きじゃなかったし、意味もないと思っていたのですが、やっと大学に入るという目的ができ、そのために仕方なく勉強するようになったと言う次第です。ただ、正直言って、こんな調子で、まともな教師になれるのかしら? とも思いました。

そう言う訳で、それなりに忙しい毎日でしたが、それでも、時々は、動物の絵を描くことは忘れませんでした。特に、灰床家の近くを流れる神田川では、黒や赤白のこい、緑色の頭のかも、そして、白さぎさえも見られ、とても心が和むのです。この、東京でさえ、よく見れば、何かと自然が残っているものだと感心しました。私は、周囲で見かけた動物の絵を葉書の裏に描き、中木の父親と婆ちゃん宛に出しました。初めは、毎週、それから、毎月、そして、仕舞には時々と、頻度は減っていきました。それでも、やはり、故郷の事は忘れることは出来ませんでした。

ところで、神田川沿いで絵を描いている時の事です。会社員風の若い男の人が近寄ってきて、私の絵についていろいろ聞くのです。私は、訳も分からずに答えていたのですが、この人、副業で絵本を書いていると言い出しました。ただ、自分の絵が気に入らず、私に手伝ってくれないかと言うのです。私は、絵を描くのは好きだし、男の人から声を掛けられて、悪い気がしませんでした。それで、その人の要望通り、何枚も絵を描いて次に会う時にと思って待ち構えていました。何日か後、私の描いた絵を渡した時、その男の人は、お礼にと言って何枚か板チョコをくれました。そして、急いでいるのでと言ってすぐにいなくなってしまいました。私は、内心、もう少しお付き合いが出来るかと期待していたのですが、連絡先どころか、名前さえ知らない間にお別れになってしまいました。それから大分経った頃、駅前の小さな本屋さんの店頭に置いてある絵本に目が留まりました。私の描いた絵が表紙に使ってあったのです。パラパラとページをめくったのですが、どこにも私の絵を使ったということが記されていませんでした。私は、やっと気が付きました。ただ利用されただけだったのです。そう言えば、もらったチョコレート、やけに苦い味がした訳です。その時は、もうその絵本の著者の名前さえ見る気にはなりませんでした。

東京は大きな街です。やっぱり、いろいろな人が居るんだと思い知らされました。そんな中で、私の一番の楽しみは、やっぱり、優飛君との毎日曜日のデートだったのです。
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