24.優等生の金識さん

文字数 1,926文字

その後も、黒迷君の変化は著しく、もう問題児とは見做されなくなっていました。人間関係も良くなり、文化祭では、リトル・マーメイドの王子様の役を務める程でした。私はすっかり嬉しくなって、白羽さんに報告に行きました。
「青澄さん、もう知っていますよ」
「えっ、どうしてですか?」
「他の先生方が話しているのを聞きました。ちょっとした評判ですよ」
「そんなー! 白羽さん、ほんとにどうもありがとう!」

それで、初めて気が付きました。黒迷君との放課後の会合とその効果は、校長、教頭を始め、他の教師もみんな知っていたのです。ただ、信頼できる先輩の教師から聞いた話では、校長と教頭は、私の行動を、教師の本分から外れている。行き過ぎだと言っているようでした。反対に、私と一緒に複雑系の教材を作ろうと言った社会科の教師他、何人かのベテラン教師は、私の事をかばってくれているようでした。何しろ、あの黒迷君の反社会的な行動が治まっていたので、他の教師は私に感謝さえしてくれていました。それからは、他の教師が、何気なく、問題児を私の所に寄こしたり、私のやり方を聞いたりしてきました。それで、最終的には、特別に指導をされると言うことはありませんでした。そして、幸いな事に、私のお漏らしの事は誰も知らない様でした。黒迷君に感謝!

それから、私には、黒迷君の他にもう一人印象の強い生徒がいました。金識凪砂という女生徒で、成績優秀、家庭は裕福、そして、かなり傲慢な性格でした。父親は裁判官、母親は医師、姉は法学部を出て、法務省勤務、金識さん自身は両親に医師になる様に言われている様でした。まさに黒迷君とは正反対の生徒です。

兎に角、出来る生徒なので、私にはちょっと抵抗感がありました。時には、夜学出の私の事をバカにしているのではないかと思う事もありました。授業の後に、呼び出されて、「先生、今日黒板に書いた運動の法則の計算、間違ってたよ!」と言われた時は、相当のショックを受けました。それで、この際と思って、次の試験の最中に、小さな声で、「金識さん、この問題大丈夫かな?」と聞きました。「うん、間違ってはいない」と言う返答でした。ところで、前にテストに反対なぞと偉そうなことを書きましたが、この職業を続けている限り、やはり、決められた通り、テストを作らなければならないのです。

それに、金識さんは生徒会でも大活躍で、特に、校内菜園を率先して担当し、仕事を進んでやる生徒でした。ところで、私の行っていた南伊豆の高校は、土地柄、農業に進む生徒が多かったので、農業教育が充実していました。おかげで、農業を毛嫌いしていた私でさえ、農業についての基礎知識を叩きこまれました。そのせいで、校内菜園担当の顧問は、私に回ってきました。

そう言ったわけで、私は、よく金識さんと校内菜園の作業を一緒にすることがありました。人気のある作業ではないので、なかなか人手は集まらず、参加者は金識さんと私の二人だけと言う事も多くありました。金識さんは、菜園の事では私の仕事ぶりに一応感心したようで、「先生、菜園の事は~、良く知ってるね」と言うのでした。それで、私の高校時代の農業教育の話をしたりもしました。そんな訳で、この校内菜園の作業というのが金識さんと私を結びつける機会となりました。

金識さんは、他の人の事をかなり手厳しく判断する人でした。当然、黒迷君の事は無茶苦茶にけなして、嫌っているようでした。ついでに、医師の母親はPTAの副会長で、色々な情報を仕入れているようでした。ある時、黒迷君の事を話し始めました。
「先生、黒迷には、よっぽどテコ入れしているみたいだよね。あいつが、あんなに大人しくなっちゃって、びっくりだわ。その点では、先生はPTAの会合でも話題の人らしいよ。でも、先生は、うまく他人にアドバイスをするような人じゃないし、どうやって、あの問題児を手名付けたのかって、疑問も上がっているみたいだよ。それに、どうやら、あの黒迷、先生にぞっこんだと言う噂もあるしね!」
これには、多少困りました。まずいことにならなければいいと思いながら、返答しました。
「金識さんね、他の先生方にも話したことはあるんだけど、私には、私なりの方法があるのよ。『お買い物の気持ち』って言うのだけど、簡単に言えば、自分の期待を押し付けずに、他の人の大切なものを『買って』あげるようにすると言う姿勢なの。そうしているうちに、黒迷君が自然と変わって行ったのよ。それ以上、何も特別な事はないわ」

これで、金識さんが納得したとは思えませんが、取り敢えずその場は繕えました。ただ、黒迷君と私に肉体関係があるなどという噂にだけはなって欲しくないと思っていました。
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