50.未咲の夢(後)

文字数 2,399文字

(未咲の夢の話の続きです。)

その後気が付いたことは、あたしは誘拐されて、この建物の主の夜のどれいになったという事だった。どうやら、あたしの様な女性が何人もかくまわれているようで、あたしが呼ばれるのは毎晩ではなかった。食事と衣類は十分に与えられ、きびしい監視の下でトイレやシャワーも使わせてくれた。

あたしは、日本でも、どれいのような生活をしていたので、また逆戻りしてしまったと言うあきらめの気持ちだった。ただ、ここの主は異常にごうまんで、どれいだけでなく、その他の部下全員に当たり散らしていた。むかついた。あたしはもうどうなってもいい気持ちで、「いつか、こいつを殺してやるぞ」と心に決めた。

そして、その日が来た。その主の部屋にあたしだけ通されて夜を共にしていた時、肉の串焼きに使っていた長い串が目に付いた。これを使えば! 気が付いた時には、寝入っていた主の左胸から真っ赤な血がにじみ出ていた。驚いた主は大声を出して起き上がろうとしたが、すぐにぐたっとなった。騒ぎを聞いて駆け付けたのは、部下たちと、もう一人、顔が似ているので弟と思われるような男だった。弟らしき男は、一瞬驚いたが、今度は、ニヤッとして、あたしの腕をつかんだ。そして、不気味にも嬉しそうな顔をして、あたしに盛んと何か言っていた。

翌日から変わったことは、死んだ主の代わりにその弟が新しい主になったという事だった。そして、その弟は、あたしの事を危険人物とみなし、追い出したのだった。多分、売り飛ばしたのだろう。あたしは、外に止めてあった動物の匂いのするトラックの荷台に乗せられた。荷台は、上の方に鉄ごうしのある換気窓があるだけの箱型だった。中には、至る所に麦わらのようなものが積んである。あたしは、何日もそこに監禁されたまま、トラックは走り続けた。一度も外には出れずに、時折与えられのは水とパンのような物だけだった。初めは、丸い少し厚みのあるパン、次に、薄い少し焦げ目のあるパン、それから、黒くて少し酸っぱいようなパンと変わっていった。初めは暑かったのに、段々寒くなって、麦わらの中にもぐりこんだ。用を足す時は、反対側の麦わらの上でした。それで、中は、物凄い臭いだった。

目的地と思われる所でトラックの外に出されると、そこは建物が沢山ある合間の駐車場のような所だった。寒いのに、その場で裸にさせられてホースで水を浴びさせられた。その後、建物の中に連れて行かれて、また、どれいの生活が始まった。

そこは、エジプトとは全く違う所だった。人種も言葉も気候も違う。建物の中には金づちの絵が描いてある赤い旗が至る所にかけてあった。あたしは、歴史も地理もろくに勉強したことはないのだが、ソ連と関係のある所だと言う気がした。その後しばらくして気が付いたことは、あたしが妊娠しているという事だった。

ある夜、三番目の相手が入ってきて、あたしの事をじいっと見つめた。そして、「日本人?」と言った。あたしはびっくりした。成田を出てから初めて聞く日本語だった。彼は、北海道の北にあるカラフトとか言う島の出身で、母親は日本人だと言った。そう言われてみれば、日本人的な面立ちだった。そして、次々と質問をしてきた。彼は、目に涙を浮かべて同情してくれた。そして、そこがロシアのサンクトペテルブルクと言う所の元ソビエト連邦の事務所で今は風俗業に使われていると言っていた。結局、彼はあたしの体には指一本触れなかった。

それから何日か経った夜、例のハーフの日本人が飛び込んできて、あたしを連れ出した。その時までに建物の警備員と職員にはウォッカに眠り薬を混ぜて飲ませていたらしい。あたしを外に連れ出すと、あたしを車に乗せた。ハーフはあたしを国境を超えたフィンランドに連れて行くと言った。国境を超える時、あたしは車のトランクの中に入った。そして、フィンランドの最初の町まで来ると、ハーフはフィンランド人の知り合いにあたしを預けて去った。

その後、その知り合いはあたしをサボンリンナと言う所に連れて行き、そこのシェルターの所であたしを降ろした。翌日、初めて辺りに気を配ると、そこは湖に囲まれた美しい町だった。あたしはシェルターで元気を取り戻した。ただ、ここでもフィンランド語は分からず、あたしの限られた英語では会話らしい会話をすることも出来なかった。

そして、あたしが、いざ出産すると言う頃にシェルターの人がお産ばさんを呼んでくれた。元気な女の子が生まれた。ところが、喜びもつかの間、すぐにあたしの具合が悪くなった。あたしは自分が死ぬという事が分かった。紙切れに、「この子をよろしく。美世里」と書き、あたしは死んだ。
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私には未咲の夢の話が信じられませんでした。どうして、そんなに詳しく覚えているのだろう? それに、偶然と言えば、あまりに偶然過ぎる。私のお粗末な頭の中では、未咲の夢と、現実とがごっちゃになって、うまく処理出来ずにいました。いずれにしても、あまりに残酷な夢です。私には想像も出来ませんでした。そして、未咲は、そんな夢だけでなく、ほんとに過酷な現実を経験している訳です。たとえ、未咲に大切なものがあったとしても、私のような者がどんなに資金調達をしても、とても買い取ることの出来るような代物ではないのではと思いました。

私が唖然としている間に、未咲が言いました。
「あたしは今までずっと他人から『物』として扱われてきた。そして、そういうものだと思ってきた。それで、他人の事も同じように思っていた。でも、おばさんの、あたしに対する対応は違った。完全に物になってしまっていたあたしにも大切なもの......、心かな? があるかのように扱ってくれた。それで、あたし、初めて気が付いた。こんなあたしでさえ物ではないと。やっぱり、『人』だったのかもしれないと」
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