21.お買い物の気持ち(実践)

文字数 1,699文字

お買い物の気持ちは、私の授業に、大きな変化をもたらしました。それまで同様、引き続き複雑系の事を話しはしましたが、徐々に重点が変わってきました。自分でいいと思っていることを生徒に押し付けずに、まず、生徒の事を考えるようにしました。授業の最初に、生徒たちに言いたいこと、言わなければならないことがないか、聞きました。もし、その中に、授業より重要な事があれば、その事を話し合うようにしました。例えば、生徒の精神状態が平常でなければ、授業どころではないからです。

それから、クラスの中には、必ず、人前では何も言わないか、言えないような人もいます。私自身、自然の中で一人遊びをしてきたので、うまく発言が出来ない生徒でした。授業中はさされたとき以外は必ず黙っていました。それで、この頃から、言いたいことを、匿名で紙に書いてもらったり、生徒の抵抗感が少なくなる様に気を使い始めたのです。

また、段々と分かってきた事は、私の気持ちが変わっただけで、周りの状況が変わってくるという事です。私が生徒の気持ちに気を付けているという姿勢を見せるだけで、言いたいことのある生徒は、何かしらの信号を送ってくるものです。初めは、そんな信号を見落としたり、見間違えたりしていたものです。それでも、経験を積むと、それらが分かる様になってきました。すると、それに連れて、私の言動がまた変化し、複雑系によくある相互作用によって、段々と、お互いの理解が深まってくるという実感がしました。

私は、生徒たち全員に好感を持っていたとは言えませんが、少なくとも、みんなが、自分自身の言い分を様々な形で言える機会を与えようとしました。中には、私、あるいは、私のやり方に反発を覚える生徒もいました。例えば、今まで、あまりに、ああしろこうしろと言われていたのに、急にそう言った「指導」が無くなったりすると、どうしていいか分からない生徒もいます。それは、仕方のない事かも知れません。

兎に角、私が反感を覚える時は、特に注意しなければならないと思いました。いくら教師でも、反発するような生徒に反感を持つ事自体は自然だと思います。ただ、自分の反感に基づいて、物事を処理してはいけないと思いました。自分の反感よりも、まず、どうしてその生徒たちが私に反発するのかという事に焦点を当てようとしました。そして、必ずとは言えないかも知れませんが、多くの場合、確かに、私の方に、生徒が反発したくなるような理由があるのです。例えば、私が必死に生徒の気持ちを聞き出そうとしても、生徒がそう言う気分でない事だってある訳です。そう言う事が、少しずつ分かってくると、自分の反感が生じたよりも前の状態、つまり、物事の根源に行きつけると、自分の反感なんて必要なかったのだと気付く事もありました。

たまには、生徒たちの生活の中に出てくる複雑な状況を、複雑系の原理を当てはめ、そこから、自然の中には複雑系の現象が沢山あるのだという事を持ち出したこともあります。時には、お買い物の気持ちを重視したために、決められた教育内容をこなすことが出来ない場合も出てきました。正直なところを言うと、私は、学校を卒業してから忘れてしまうような教育内容は無意味だと思います。もし、私が、何か、生徒のほんとに大切にしているものを買えるのだったら、それが、教育内容であるべきです。教育委員会から押し付けられた事なんか、くそくらえです! あっ、失言......。ついつい、本音が出てしまって。

実際、多くの生徒は、どうせなら何か実のある事、役に立つ事を学びたいに決まっていると思うのです。私は、そんな希望に応えてあげたいのです。そして、もし、受験で理科が必要な場合とか、どうしても押し付けられた教育内容を網羅しなければならないと言う生徒には、放課後に特別な補習時間を設けたりしたのです。

そして、お買い物の気持ちに関連して、私が細心の注意を払ったのは、いわゆる「問題児」に対してです。誰でも、好きで問題児になっているわけではないはずです。そうなっていた方がいいと思ったり、そうならざるを得ないからではないかと思ってきたのです。
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