30.失恋にも負けず

文字数 1,881文字

新しい学年が始まると、案の定、符吹はもう私の中学校から居なくなっていました。これで、僅かばかり残っていた希望も消え去り、私の失恋も確固たるものとなりました。黒迷君も金識さんも卒業してしまったし、また、一人寂しい生活に戻ってしまったのです。少なくとも、私はそう思いました。

ところが、実は、そうではなかったのかもしれません。学校では、今までのお買い物の気持ちのせいか、生徒たちが何となく優しいのです。誰も、私の嫌がるような事はしないし、気を使ってくれているようにさえ思えました。それに、どこで調べたのか、私の誕生日には、朝、机の上に生徒たちからの花束が置いてありました。

灰床夫妻も心配してくれ、何かと慰めてくれました。そして、恐らく、落胆している私の為を思ってでしょう、知り合いの息子さんと付き合ってみないかと聞いてきました。当然、私はそんな気分ではなかったので、簡単に断りました。

それから、何か月か経って、灰床夫妻から、またお付き合いの誘いを受けました。何でも、特別な紙を作っている製紙会社の係長さんで、真面目な人だという事でした。私としても、一生落ち込んで過ごしていても仕方がないと思ってきたし、気分転換のつもりで会ってみることにしました。

茶霞代智の第一印象は、良くも悪くもないと言うのが、正直なところでした。符吹の時のように強く惹かれた訳ではありません。代智さんはどこにでもいるような、ごく普通の男性に思えました。でも、特に嫌なこともなかったのです。それで、その後も、何回か地味なデートを重ねました。特にロマンチックな展開もなく、そうかと言って、嫌になる訳でもない、なんだか、不思議な状態でした。

それでも、何回も会っているうちに、一緒に居ることが自然になり、少しずつ、代智さんの事も知る様になりました。多分、私の振る舞いも符吹と知り合う前の、普通の私に戻って来ていたと思います。それは、周りの人々の心配そうな気配が徐々に無くなってきた事からも分かりました。

半年も付き合った頃、私は結婚の可能性を考え始めていました。代智さんは、とうに結婚適齢期を超えているし、私もその後を追っている。丁度その頃、代智さんに聞かれました。
「入絵さん、僕と結婚してくれませんか?」
私は、少し、間をおいてから、逆に質問をしました。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「もちろん」
「あの~、私、以前、お付き合いをしていたことがあるのですが、気になりますか?」
「えっ? そんな、僕は過去の事は気にしませんよ」
「それから、私、仕事の都合上、生徒と個別に会うことがあります。例えば、この前卒業した男の子がいるんですけど、母親が居なくて、父親が暴力をふるう家庭で。その子は、わめく、いじめる、サボるの問題児でした。それでも、私、この子が気の毒で、何とかしてあげたいと思ったんです。で、毎週一回放課後に個別に会って、話を聞いてあげていたんです。これは、教師が学業を教えるということとは別で、私たちに要求されていることではないかもしれません。でも、ある事が切っ掛けで、私は問題児も大切に扱ってあげなくてはと思うようになったのです。それで、これからも、そう言ったことがあるかもしれないかと」

代智さんは暫く黙っていましたが、返答しました。
「わかりました。入絵さんのしてきたことは、立派な事だと思います。気にするどころか、応援します。僕の場合、やはり、仕事上、営業の女性と二人で顧客の所へ出向くことがあります。途中、食事時になれば、一緒に食事をすることもあります。でも、当然、それは仕事ですよ。入絵さん、それを気にしますか?」
「いいえ。普通だと思います。私が、お聞きしたかったのは、以前付き合っていた人がとても独占欲と嫉妬心が強く、それが原因で、悩んだことがあるからなんです。最終的には、別れてしまった訳で。だから、代智さんとそういう状態になりたくないと思って」
「良く分かりました。そう言うことは心配しないでください。入絵さん、もう一度聞きます。僕と結婚してくれますか?」

私は、その時、必死に考えていました。正直言って、私はこの人に強く惹かれていた訳ではない。この人のことをそんなに知っている訳でもないし、手を繋いだこともない。それで、結婚がうまくいくと言う確信がある訳はなかった。でも、これが私の受ける最後のプロポーズのような気がする。このまま独身で人生を終えるより、この人と一緒になってみよう。世の中すべてうまくいく訳ではない。努力してやっていこう、と思ったのです。それで、思い切って言いました。
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