37.やっぱり、お買い物の気持ち

文字数 2,723文字

その様な調子で時間が経ち、やっと、平也が小学校に行く時が来ました。これは、私にとって、資金作りの絶好のチャンスでした。平也が学校に行っている間、家事の合間を縫って、少しずつ絵を描くことを再開しました。幸い、この辺には、幾らでも絵に描きたい自然が残っています。特に、多摩川の河原へ行くと、その辺にいる小動物や、景色をいくらでも描く事が出来ます。

それに、この文章の今までの所を読み返したり、補足したりもしました。また、これからの事を考えたりもしました。そして、時には、家事をほったらかして、まず、自分の時間を作る様にしたりしました。そうやって、少しでも心が落ち着いてから、ボツボツと家事を始めました。そんな調子で、何か月か経って、自分の気分が変わって来たのを感じました。やっと、少し、資金作りが出来るようになってきたと思えたのです。それから、「出来るだけお買い物の気持ちを持たなくては」と気を引き締めました。

さて、これは、平也が小さいころからの事ですが、食べるのが遅いのです。食事の時に、何かしら、おもちゃとかを持ってきて、それをこねくり回して時間を取ってしまうのです。私は、早く食事を終え、片付けて、次の事に移りたいのですが、いつも、いつも、そうできないでいるのです。それで、ついつい、「もー! 早く食べて!」と言うのが口癖になってしまっていました。毎日、「どうして、この子はこう食べるのが遅いのだろう? これで、どうやって学校の給食を時間内に食べられるのだろう?」と思っていました。私には全く理解できないことでした。でも、平也は自分なりに出来る範囲で行動しているだけなのでしょう。単に要領が悪いだけで、私の邪魔をしようとしている訳ではないはずです。だから、私の期待を押し付けずに見守ってあげないと、と思い直しました。それで、なるだけ口うるさくすることは避けるようにしました。

ある日、平也が、学校から帰ってくると、ズボンがびしょびしょに濡れていることに気が付きました。流石に、私の息子です。私が、「あらっ!」と言うと、すかさず平也が言いました。
「お母さん、急に、こんなに大きな犬が出てきたんだよ」
「怖かったのね」
「怖くはなかったよ! びっくりしただけだよ」
「そうよね。びっくりするわよね。私だったら、怖かったと思うけど。じゃぁ、お風呂場でシャワー浴びて、着替えようね」
この時、私は、自分の話を打ち明けるべきかどうか、迷いました。そうです、私の小学校の時のハーモニカを吹くように言われてお漏らししてしまった事です。言えば、平也が安心するかもしれません。でも、この時は、注意を平也に向けるべきだと思い、言いませんでした。決して、自分が恥ずかしかったからではありません。

また、ある日の父母会の後の事です。女の子の母親が、私の所に来て、小声で話しかけてきました。
「茶霞さん、ちょっといいですか?」
「えぇ、何か?」
「実は、うちの娘が、学校で平也君の事を泣かせてしまったと言ったので、私の方からお詫びをしないと思って。うちの子は、強気で強情ですが、決して悪い子ではないのです。申し訳ありませんでした」
「はぁ、そうでしたか。私は、聞いていなかったので......。気にしないでください」
私には、平也がこの事を私に言いたくなかったのは良く分かりました。それに、多分、平也は自分なりに辛かったのでしょう。その事について、私は平也とは何も話しませんでした。実際、その頃の平也は、ほとんど何も学校の事を話してくれなかったのです。

この頃までにはよく分かっていたことですが、平也の一番の欠点は社交性がない事でした。これは、私の育ちと、会社で昇進できない万年係長の代智の性格を考えれば、ごく当たり前の事かも知れません。それでも、母親の立場になると、自分の子供が可哀そうに思えます。女の子に泣かされてしまった事の他に、どうやら、学校で、何かといじめられているようなのです。学校から帰って来て、何も言わずに自分の部屋に閉じこもってしまったり、ちょっとした仕草で気が付くことがありました。

時には、何かしら問題があると、先生や友達や、あまり関係のなさそうな天気等のせいにするのです。私は、なるべく話を聞いてあげようと思うのですが、平也は、気分の悪い時は一人になった方が気が楽の様で、私にあまり詳しいことを言いません。それで、私も、無理強いはせず、そっとしておいてあげるようにしていました。

代智は、やはり、両親から社交性のなさを心配されたそうです。小学生の頃は、学校から帰ると、「暗くなるまで、外で友達と遊ぶように」と言われて、家から追い出されていたそうです。私としては、例え社交性がないにしても、親の期待で子供に何かを押し付けてはいけないと思い、平也にそう言う事は言いませんでした。そして、なるべく平也の事をお買い物の気持ちで受け入れられるようにと、自分の資金作りにも気を使っていました。

ところで、平也の事を受け入れると言うのは、平也の言いなりになることではありません。私たちは、家族として一緒に生活しているので、自分が人の言いなりや犠牲になるのは、誰の為にもならないからです。そんな時、私の言える事としては、「平也が何々をしてくれないと、私は何々が出来ない」とか、「悲しくなる」とか、自分の状態を知らせる事でした。もし、平也が私のそう言った状態を心配してくれるだけの余裕があれば、平也の行動にも変化があると思ったからです。ただ、その頃の平也には、まだそう言ったことを考える余裕はないようでした。

私は、段々と、平也と言うのは代智と私の悪い所を取って出来た子供なのかもしれないと思って落胆さえしていました。それでも、そんな子供を、自分の勝手な期待で振り回すのは良くない。出来るだけ、平也の大切なものを買ってあげないと、と少しずつではありますが、さらに気を付けていきました。そして、平也をそのままで受け入れられるようになってくると、気が楽になりました。私の元生徒の金識さんのように、両親に言われてお医者さんなんかにならなくていい。両親の期待するような、何者にもならなくていい。平也の思った路を進んでくれれば、それでいい。徐々に、そう、思えるようになってきたのです。

それで、やっと、少しずつ、自分の気持ちが落ち着いてきた気がしたし、そのせいか、平也の私に対する反感も減ってきたように思います。それからは、少しずつ、学校の話もしてくれるようになりました。お買い物の気持ちを持って頑張っても、問題が一挙に解決とは思えませんでしたが、私にとっては、少しでも良い方向に向くことが、至上の喜びでした。
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