22.問題児の黒迷君

文字数 1,940文字

ある放課後の事です。理科室の掃除当番の中に黒迷君が居ました。彼は、学年でも一番の問題児で、当然、掃除なんかするはずはありません。女の子を追いかけまわしたり、真面目に掃除をしている男子を小突いてみたり、窓から校庭に飛び出してみたりと、したい放題でした。それまで、随分とためらってきた事なのですが、掃除が終わった時、私は勇気を奮って言いました。
「あの~、黒迷君、この後ちょっと残ってくれる?」
「先生、なんだよ。俺、早く帰りたいんだけど」
「うん、ほんの少しだけ」

二人だけになった時、私が切り出しました。
「黒迷君、掃除の間、随分といろいろな事をしてたわね」
「当たり前じゃん。掃除なんかやってられないよ」
「そうよねぇ。それに、人に言われたことをやるっていうのは嫌な事よね」
「そうだよ。俺は、俺の好きな事をしていたいよ」
「例えば?」
「車を乗り回してさ~」
「えっ? 黒迷君、車、運転できるの?」
「あ~、親爺が修理工だから、駐車場で運転してみることはあるよ」
「ほんとー? じゃ、免許取れる年になったら、すぐに車に乗る様になるわね」
「あー、待ち遠しいよ。それで~、海に行って、パーッとやりたい!」
「その~、パーッとって、何をするの?」
「えっ? ん~、泳いだり、いや、きれいな海を見ていれば、何もしないで、ぶらぶらしてればいいか。どこにも行かないで、そんな所で、ずうっと過ごしていたいよなぁ~」

私はハットしたのです。どうして、私は、あの中木の海を後にしたのだろう? そして、思いがけず、自分に問いかけました。
「そうよねぇ。きれいな海って、いいわよね。私、どうして、私の故郷を出て来たのかしら?」
「えっ? 先生、きれいな海のそばで育ったの?」
私は、簡単に中木での暮らしを話しました。
「あっ、黒迷君、引き留めてしまって、ごめん。来週も、掃除当番の後、少し、話していい?」
「あぁ、気が向いたらな」

黒迷君との、毎週木曜日の会合はそのようにして始まりました。私は、努めて、彼の頭の中にあるようなことを話すようにしました。そして、その効果というのは、私の想像を絶するものでした。私から頼まなくても、黒迷君が自分から居残る様になったのです。そして、いつも、二人の気の向いた事をあてどもなく話しました。

ある日の事です。
「黒迷君、目の淵のあざ、どうしたの?」
「何でもないよ。ほっといてよ」
「うん。でも、ちょっと気になって」
「心配しないでくれよ。俺は、ケンカをしたわけじゃないし、誰にも危害を加えた訳じゃないから」
「そうなの?」
「親爺に殴られただけのことだよ。よくあることだよ」
「えー! 大丈夫?」
「あぁ。まだ、お腹もいたいけど」
「可哀そう」
「同情は要らないよ。それでも自分の親爺だ。ちゃんと仕事はしてるし、少しは家の事もする。まぁ、家のほとんどの事は、俺がしないといけないけどね」
「それ、たいへんじゃない」
「あ~、母親が居ないっていうのは、楽な事じゃないよ。おかあがいたら、俺もこんな性格にならなかっただろう」

私は、ようやく黒迷君の行動の原因が分かってきたような気がしました。
「そうよね。私も、母親が居たら、今の自分ではなかったかも知れない」
「なにっ?! 先生も母親が居なかったの?」
「そう。物心ついた時には居なかった。そして、誰も、母親の事を話してくれなかった。代わりに、婆ちゃんが居て、身の回りの世話をしてくれた。だから、それは、有難いと思っているの。私には、婆ちゃんが、母親代わりだったのよ」
「先生も可哀そうなんだ。俺は、まだ、おかあのことよく覚えているよ。おかあの暖かさ、柔らかさが忘れられない」
「辛いわよね」
「な~んだ。お互い様だったのか」

それから、黒迷君の態度はさらに変わりました。それまでの、暴れん坊とは段違いでした。少し、寂しそうにさえ見えてきたのです。黒迷君は、その後も、毎週木曜日、掃除の後、決まって話をしていきました。私たちは、教師と生徒と言うより、友達のようになったとも思いました。私自身、黒迷君に好感を持ち始めた事は確かでした。同時に、私は新聞配達所の優飛君との失恋を思い出し、それ以上の気持ちは危険だと自分に言い聞かせていました。

その間に、黒迷君からいろいろと聞きました。小学校の時、母親が居ないことでいじめられた事。父親は黒迷君がいじめらることに腹立ち、無意味ながら、黒迷君に対してに暴力を振るった事。中学に入ってすぐの頃、父親が会社の同僚とケンカをしてクビになり、多摩ニュータウンに出来た新しい修理工場に移ってきた事。転校した黒迷君はいじめられないようにと、逆に強気に出た事。どう考えても、今の黒迷君の行動は、彼の周りの悪環境の産物であって、彼自身が悪いとは思えなくなってきたのでした。
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