49.未咲の夢(前)

文字数 2,889文字

未咲が私に打ち明け話をしてから、状況は少しずつ好転しました。未だに、無表情、無関心な事が多いのですが、暴れる事は減り、時には、ほっとしているようにさえ見えました。やはり、物事は、まず事実を認めるところから始まるんだなぁと実感しました。私の方はと言えば、今まで通り、出来る限り、お買い物の気持ちで接しようと努めていました。

それから、そんなに経たない時の事です。それまで、私は、未咲に自分の事をほとんど話したことはなかったのです。それに、未咲も私の事には興味がないように思っていました。ところが、この時は、未咲から、私に質問をしてきたのです。
「あの~、おばさんはどうして里親になろうと思ったの?」
「えっ? そ~ねぇ。それには、確かに訳があるのよ。私ね、代智がフィンランドに長期出張に行った時に、一緒について行ったの。ほんとに森と湖のきれいなところだったわ。代智が仕事している間、私は毎日、街の中をうろついていたの。私は英語もろくに出来ないし、社交的でもないから、一人で歩いたり、公園のベンチで素敵な景色を眺めたり、絵を描いたりしていたわけ。それで、ある日、小さな子供を連れた女性が話しかけてきて、知り合いになったの。その人が里親をしていて、その様子を見て、私もしたいと思ったのよ。あっ、それから、その女性が連れていた子供の母親は日本人で、可哀そうな事に、シェルターで出産後、亡くなってしまったらしいの。それで、亡くなる前に書置きをしていて、子供に携えていたんだけど、それが、偶然、日本語だったのよ。それを私に読んで欲しかったのね。そこには、『この子をよろしく。美世里』と書いてあったのよ」

その瞬間に、未咲の顔から急に血の気が失われたのです。
「未咲ちゃん、どうしたの?」
未咲は暫くの間、真っ青な顔のまま黙っていましたが、やっとの思いという感じで話し始めました。
「おばさん、あたしの本当の名前は美世里なの。それに、その、死んだ日本人の母親、あたしが今まで何度も見たことのある夢の中のあたしみたいで......。その夢が怖くて、何回もおねしょしてしまったんだけど......」

その後、未咲は一息ついてからその夢の内容を話し始めました。大体、こんな内容でした。

********************
それは、夢とは思えないような夢だった。夢はいつも、現実とは反対に無事に赤い表紙の、にせのパスポートを手に入れることが出来たところから始まる。そう、エジプトのオマールを探すために、成田から出発した。バンコクとバハレーンを経由して、まだ夜が明けない時間にカイロ空港に着いた。空港のビルを出ると、至る所にあるスピーカーからイスラム教のお祈りの声が高らかにひびいていた。あたしは初めて外国に来たんだなぁと感じた。

ただ、暗い時に移動するのは危ないと思って、もう一度、空港ビルの中に戻って、夜が明けるのを待った。この時に、持ってきた日本のお金を、すべてエジプトのお金に変えてもらった。あたしの持っている情報は、オマール・モハメッドと言う名前と住所だけ。タクシーに乗って住所を見せると、車は走り出した。空港からのモダンな高速道路が終わると、そこは古臭い雑踏だった。黄土色の建物の間、人々が行きかう込み合った通りをくねくねと曲がりながら進んだ。街角ではひげを生やして帽子をかぶった男たちが何やら管を口にくわえてふかしている。女性の多くは顔をベールのようなものでおおっている。

市内を抜けると少し広々とした郊外のような所へ出た。建物の合間から、急に、朝日を受けて金色に輝いて見えたのは、ピラミッドだった。かなり遠くにあるはずだが、大きく見えた。そして、目的地に近づいてくると、何やら、様子がおかしい。街が荒れている。建物がくずれている。オマールの住所に着いた時に、あたしはあぜんとした。そこは、がれきの山だった。タクシーの運転手は付近に居た人々と話をしていたが、あたしの所に戻ってくると、何か言うのだが、あたしには一向に分からない。あたしが途方にくれた顔をすると、また、何か言う。これも分からない。そうこうしているうちに、「イスラエル、イスラエル」と繰り返し、両手を上から下に動かし、急に手を広げるような仕草をした。あたしは、イスラエルがばくだんを落としたという意味だろうかと想像した。なんで、こんな住宅地にばくだんを落とすのか分からなかったが、いずれにしても何かの間違いに違いないと思った。

運転手はその後もしきりに何か言うが一向に分からない。あたしは今度は、「オマール・モハメッド」と繰り返し行ってみた。すると、運転手は自分の事を指さし、変な顔をする。あたしも分からずにいると、今度は、車の中にあったタクシーの運転手の登録証を指さして、「オマール・モハメッド」と言う。そこには、ミミズのはい回るような文字ばかりが書いてあったが、名前らしきところにはローマ字もあり、確かに「オマール・モハメッド」と書いてあるように見えた。つまり、これは、エジプトのごくありふれた名前で、あたしのオマールを探すことは無理だと思った。あたしのオマールが生きているのかどうか調べる事さえ出来ないと悟った。

あたしは、あぜんとしたまま、しばらくタクシーの座席に座っていたが、運転手はしつこく何かを言う。仕方がないので、「ホテル」と言ってみた。運転手は、頷いて、車を走り出した。暫くして着いたところは、大きな川のほとりにある立派なホテルで、シェラトンとか書いてあるようだった。あたしは、そこで支払いをして車を降り、ホテルの中に入った。

こんな高級そうなホテルには何泊出来るか分からないと思ったが、他に行く当てもなく、とにかく泊まることにした。部屋で一人になると、泣くしかすることがなかった。それに、オマールのアパートから持ってきた現金がどんどん減っていく。一応、帰りの飛行機の便を二週間後に予約してあったが、それまで、このホテルに泊まっているだけのお金はないと思った。それで、翌日、もっと安いホテルを探しに、川を渡って町の中心部の方へ行ってみた。その川の橋げたには、どうやら、「ナイル川」と書いてあるようだった。

途中、マーケットで、団子のような、何かを揚げてあるような物を買って食べた。そして、安ホテルと思われる建物が見つかり、そこに泊まることにした。とにかく、エジプトの言葉は全く分からないし、ろくに中学も行っていないあたしには、英語も分からない。主に手まねで会話をして、言われた通りお金を払い、部屋に案内してもらった。

次の日、食べ物を仕入れようと、あやしげな店の並ぶマーケットをうろついていると、急に数人の男に取り囲まれ、引きずられるようにして無理やり小さな車に押し込められた。両脇にはひげを生やした男が座っている。とても逃げ出されるような状況ではなかった。しばらくして連れていかれた所は、鉄ごうしで囲まれた立派な真っ白い建物で、その中の真っ白な壁の小さな部屋に押し込められた。パスポートとその他すべての荷物はホテルに残ったままだった。
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