20.お買い物の気持ち(続き)

文字数 2,637文字

さて、私の今考えているのは、普通のお買い物ではない事は確かです。それで、この「お買い物」をするときの心構えについてよくよく考えてみました。まず、相手の良い所を買うと言う姿勢は問題だと思いました。それは、「良い」とか「悪い」とか言った瞬間に、自分の価値観が入ってしまっているからです。つまり、こちらの価値観に惑わされていたら、お買い物どころか、体の良い押し売りになりかねないからです。常に、買うこと自体が主眼であり、売るための手段であってはいけないのです。

また、相手のありのままを買うと言うのも問題があると思います。「ありのまま」が自己主義、反社会的、あるいは破壊的な側面を持っているかもしれません。当然、そう言ったことは、予防しなくてはなりません。すると、確かに、相手の「大切なもの」を買うと言うのは、それなりに的を得ているような気がしてきました。それは、まともな人間である限り、他人を傷つけるような事を大切にはしないと思ったからです。

この頃、多分歴史だと思うのですが、私の前の時間に消し忘れたと思われるものが黒板に残っていました。
「鳴かずんば 殺してしまえ ホトトギス」(信長)
「鳴かずんば 鳴かせてみよう ホトトギス」(秀吉)
「鳴かずんば 鳴くまで待とう ホトトギス」(家康)

これは、嘘かほんとか、戦国大名の言葉でしょうが、あまり教養のない私には初めて見たものでした。そして、兎に角、面白いなぁと思いました。それに、お買い物の気持ちに関連して、一つ気が付いたことがありました。勿論、殺したり、無理やり鳴かせたりするのはいけない。それから、「待つ」と言う事さえ、「鳴く」ことに対する期待がある。いずれにしても、こちらの価値観に囚われていると思ったのです。帰宅後、灰床夫妻にこの事を話すと、旦那さんが、松下幸之助の言葉を教えてくれました。
「鳴かずんば それもまたよし ホトトギス」

なるほど、確かに、戦国大名とは一味違う。ホトトギスそのままの姿を受容しようと言う姿勢はある。それでも、やっぱり、「よし」という言葉には価値観が含まれている。いっそのことそんな価値観を一切取り去ったらどうなるだろう? そこで、私が思いついたのは、
「鳴かずんば それでもやはり ホトトギス」
と言うものでした。こちら側の価値観ゼロの受容と言う感じです。お買い物の気持ちには、これがぴったりかなぁと思いました。

さて、この原稿を書き始めて、確かにいろいろと気が付いたり、分かったりしたことがあります。そして、原稿の元の作者は言っていなかったことがあります。それは、お買い物をするのには資金が必要だということです。つまり、お買い物が出来るためには、自分に余裕がないとなりません。その余裕が、お買い物の資金で、実際にお買い物をする前に蓄えておく必要があります。資金がないのにお買い物をしようとしても、結局、買えずに、売り手、買い手、共々に、不満足な結果に陥るはずです。まぁ、一つの考え方としては、子供と飛行機に乗っていて酸素不足が生じたときには、まず、自分に酸素マスクを付け、それから子供に酸素マスクを付けると言う感じに近いかもしれません。そして、売り手と買い手の価値観のギャップが大きい程、値段が高いことになるはずです。沢山の資金が必要なはずです。その代わり、「高い」お買い物程、買えた時の満足感は高いと言えるかもしれません。

さて、その資金、余裕とは? 私の場合、この原稿を書くことが自分の気持ちを整理し、落ち着けるための糧になり、それが、お買い物をするための資金になっているように思ってきました。今や、文章を書くことは、完全に習慣になっていて、私のライフワークの一つと言ってもいいかもしれません。人に読んでもらわなくても、書くことで、自分の気持ちが整理され、和むのです。

それから、子供の頃から続けている、絵を描くこともそうです。今まで、色々な時に、絵を描くことで自分の心を癒してきたのです。そうだ、これを機会に、もう少し絵を描こうと思いました。この頃始めたのは、失われつつはあるが、まだまだ緑に恵まれた多摩ニュータウンの周辺の自然を絵に描くと言う、自分なりのプロジェクトを考えました。学校の周りを散策すればいい訳です。

また、人に言わせれば、お買い物の気持ちは優しさとか、思いやりとか、気配りとか、あるいは、傾聴の姿勢と思われるかもしれないし、実際そうなのかもしれません。でも、私としては、それらと同一ではないと思っています。お買い物の気持ちは、反対の、押し売りと比べられる事と、また、費用の考え方が絡んでいることで、より具体的に物事を捉える事が出来ると思います。それで、私のような、思いやりに欠ける劣等生にも、考えやすい気がするのです。

それに、お買い物の気持ちは、生徒中心主義とも違うと思います。それは、この姿勢には、あくまでも、買い手と売り手の両者の対応が絡んでいるからです。両者を満足しなければならないからです。言うなれば、ここにも複雑系の考え方が反映できると思いました。もう一点、少し大げさかもしれませんが、お買い物をするためには勇気と強さが必要だと感じました。そして、そこで必要な勇気は、特に多くの男性が振り回すような強がりではなくて、真の強さのように思うのです。

さて、こう言った事を考え始めると、今までの自分の経験はどうだったのだろうかと言う疑問も生じました。まず、高校時代の理科の先生は、私の自然に対する興味を「買って」くれたと言えるかもしれません。あの先生が、私の考えを聞いてくれなかったら、今の私はなかったかもしれないのです。ただ、あの先生を含めて、今まで、私の複雑系に対する興味を買ってくれた人は至極限られています。そして、やはり、用務員の白羽さんは、私の、悩みを解決したいと言う気持ちを買ってくれたに違いありません。それに対して、生徒たちの立場はどうだろうか? 親に、先生にと、嫌な事を押し付けられて、自分たちの興味を踏みにじられている事が多いのではないでしょうか? 彼らの大切なものを無視されているのではないでしょうか? 気の毒です。

このように、私には新しい心意気が生まれたのです。これからは、少なくとも私だけは、生徒に押し付けをしてはいけない。生徒たちの大切なもの、興味のあるものを買ってあげなくてはいけない。そして、これは、慈善事業ではない、自分自身の為なのだと確信したのです。
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