14.大学卒業に向けて

文字数 1,856文字

私の性格上、大学の図書館で調べ物をしている時、よく脱線することがありました。ある時、偶然に知ったことは、動物の非常時の反応があります。危機に陥った動物は、戦うか、逃げるかを即座に決めなければならない。そして、逃げると決めた時に体重を減らすために、体内にある不要な物を排泄して身軽にしようとすることがあると言うのです。これを読んだ時、私の情けない人生のうちで一番の秘密が解けたような気がしました。私のお漏らしは、ほんとに、自然な事だったのです。社交性に乏しい私は、他人との接触で人並み以上に逃げ出したくなってしまう事が多かったのでしょう。それで、不要な水分を体外に放出して、素早く逃げる準備をしていたに違いないのです。それに、動物は排便もすることがあるみたいです。ただ、私の場合は、便秘気味で、逃げ出すために排便をしている時間的余裕はない、と体が判断していたのかもしれません。

大学生最後の年、教育実習の時期がやってきました。多くの人は母校に行くようでしたが、私の場合、南伊豆に戻るのは現実的でないため、元教師の灰床夫妻のコネで、全く知らない中学校へ行きました。この間、夕刊の配達は無理なので、代わりの人を頼んでもらいました。

そして、教育実習の間の私の一番の懸念は、お漏らしの可能性でした。この時までには、私がお漏らしをする条件について察しがついていました。それで、まず、出来る限り、逃げ出したくなるような場面を作らないようにと努めました。そして、念の為、成人・老人用の紙オムツをしていきました。ところが、幸いなことに実習中は特に問題なく過ぎました。それで、教育実習が終わるころまでには、私のお漏らし問題は解決したと思ったのです。

大学卒業を間近に控え、私の気持ちは高揚していました。理科教師になったら、複雑系の事を教えたい。そして、複雑系の考え方は、理科だけではなく、社会現象、心理現象等、他の科目とも関連があるのです。私たちの人生にも深く関連があるのです。つまり、自然界の複雑な営みを、私たち一人一人の人生に絡んで教える事が出来るはずです。この事を次の世代に伝えなくてはいけない。たとえサンタフェ研究所には行けなくても、そこで、研究されているような重要な事柄を、中学生が理解できる様に教える。これが私の使命だと思ってきました。

そして、とうとう私の卒業式の日が来ました。それまで、ずっとお付き合いをしてきた人として、卒業式には優飛君が私の保護者代理として出席してくれました。その後、一緒に食事をしたのですが、優飛君の様子がいつもと少し違うように感じました。
「お姉さん、僕、報告したいことがあるんだけど」
「何? 言って」
「お姉さん、僕、彼女が出来たよ。二年生の女の子から付き合って欲しいって言われたんだ」

私は打ちのめされたようなショックを受けました。何年間にも及ぶ「お付き合い」の間に、私が勝手に、優飛君を彼氏のつもりでいたなんて、情けない! でも、優飛君にとっては、やっぱり、お姉さんだったのです。私は涙が出かかっているのが分かりました。優飛君を祝福するというより、私にとっては、明らかに失恋だったからです。なるべく、悟られないように振る舞い、自分の部屋に帰ってから泣きました。

私は、自分が、ディズニーの『リトル・マーメイド』のように、ハッピーエンドの人魚姫のつもりでいたのです。例えこんなに年下でも、優飛君と言う王子様が私を人間にしてくれると期待していたのです。現実は、大学の教養課程で初めて知ったアンデルセン原作の『人魚姫』の如きでした。原作では、結局、王子様は遠い国のお姫様と結ばれ、人魚姫は海の泡となって消え果ててしまうのです。

数週間後には優飛君の高校の卒業式があったのですが、体調不良ということにして、行きませんでした。優飛君の彼女に会うのは、とても辛すぎると思ったからです。私は、優飛君に二枚のカードを書きました。一枚は私の卒業式に来てくれたお礼。もう一枚は、優飛君の卒業のお祝い。私は、大学卒業と同時に、片思いだった空想上の初恋も卒業したのです。翌朝、カードを投函しに外に出た時は、真っ白な朝もやが私の涙を隠してくれているようでした。

ところで、この二枚のカードには、神田川で見た動物の絵を描きました。そして、絵を描いている間は、少し、気が紛れるように感じました。そうだ、最近、絵を描いていなかった。私は子供の頃から盛んに絵を描いて、自分を慰めてきたんだ。絵を描くことは、心の癒しなんだ、と痛感しました。
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