38.金識さんからの手紙

文字数 2,204文字

ある日、突然の手紙が来ました。差出人は凪砂とあり、多摩ニュータウンの辺りの住所が書いてありました。あの優等生の金識さん? 計画通り、今頃はお医者さんになっているに違いないと思って封を開けました。

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茶霞先生、

お久しぶりです。お元気ですか? 中学卒業後、全く連絡もしないで失礼いたしました。それに、中学の頃は、私、先生に随分と偉そうな事ばかり言って、申し訳ありませんでした。今思えば、ああやって、先生と話をすることで、自分を慰めていたのです。ところで、この度、どうしてもお知らせしたいことがあって、手紙を書きました。先生の住所は黒迷荒史から聞きました。

私は、両親の意向に従って、医学部へ進んだ訳なのですが、段々と嫌になり、仕舞には耐えられなくなって中退してしまいました。両親はカンカンだったのですが、もう、どうしようもなかったのです。それで、暫く家で何もせずにいました。暇だったので、エアコンの効きが悪くなっていた家の車を修理に持って行くように言われ、近くの修理工場に行きました。驚いたことに、そこで、あの、問題児の黒迷荒史に会ったのです。中学卒業後、高校へも行かずに修理工になったと聞いてびっくりしました。そして、一生懸命働いている様子を見て、結局挫折した私の状況と比べ、感心もしました。

どういう訳か、その後どうしても荒史の事が頭を離れませんでした。それで、他に車の問題はなかったのですが、もう一度持って行って、「低速で走行中に変な音がする」と嘘をついて、調べてもらうことにしたのです。案の定、荒史は、「何も悪いところは見つからない」と言いました。それで、私は、「じゃぁ、私が教えるから、一緒に乗って」と言って、二人で車に乗り込みました。途中、荒史の油と汚れにまみれた手と筋肉の発達した両腕を見ていて、私はもう我慢が出来なくなってしまいました。

思えば、それまで、両親の言いなりの、いい子で過ごしてきて、自分の感情と言うものに正直ではなかったのです。異性に対する興味も、押し殺して生きて来たのです。それが、荒史と車に乗っている時に、急に我慢しきれなくなってしまって......。(実は、先生の昔話が参考になりました。でも、荒史を含めて、他の人には、一切内緒にしてありますから、ご安心を。)

先生もご存知の通り、中学の頃、荒史と私は、相当にいがみ合ってきました。そう信じ切っていました。確かに、荒史は、99%、私の事が嫌いだったそうです。傲慢な私の事が許せなかったと言います。それでも、実は、この優等生も結局は女だろうと、1%ほどの興味もあったと漏らしました。私の髪の毛を引っ張ったのは、その表れかも知れないと言っていました。反応を伺っていた節もあったらしいのです。

そして、私はと言えば、自分には正義感があると思っていたので、荒史の悪事は許せませんでした。それで、ためらいもなく教職員に言いつけたりしていたのです。覚えていますか? その頃の私の趣味はバットマンでした。今思うと、恥ずかしくて! ところが、私はその頃すでに荒史に気があったのかもしれません。人の言いなりにならずに、自分の感情に正直な荒史に密かに憧れていたのかもしれません。

兎に角、私の誘惑に引っ掛かってしまったのをきっかけに、荒史は私と付き合う羽目になったのです。その間に、彼は、傲慢な私の半生が決してバラ色ではなかった事を理解し、同情してくれました。荒史自身、かなりの試練に耐えてきた事は、先生も良くご存知と思います。そして、とうとう結婚したのです。当然、私の両親は大反対でした。でも、今まで、両親の言ってきた事は間違いばかりだったと悟ったので、逆に、「両親の反対することは正しいに違いない」と確信したのです。そんな調子だったので、結婚式も披露宴もしていません。

ところで、荒史の父親は、びっくりするほど口の悪い人で、私の目の前でこう言ったのです。
「こんなろくでなしに嫁いでくるような奴は、よっぽどのろくでなしに違いない」
そうしたら、荒史が怒って言いました。
「こんな頭の悪いおやじに何が分かるものか! 凪砂は中学の時、生徒会長で、元医学生だぞ! 医者にはならなかったけど」
それに対する父親の反応は、
「それ見たことか、医者になりそこないの、出来損ないなんだろう」
でした。私は、今まで他人に、こんなにけなされた事は無かったので、ひどくショックを受けましたが、父親と結婚するわけではないし、と割り切って気にしないことにしました。仮に、荒史を私の両親に会わせていたとしたら、もっとひどいことになっていたでしょう。

荒史と一緒になってから、よく先生の事を話します。この間、荒史は、実は、先生をお嫁さんにしたかったのだと白状しました。私は少しやきもちを焼きましたが、まぁ、中学生の頃の話だからと、勘弁することにしました。ただ、どうしても、ひとつだけ、先生の秘密を教えてくれません。「先生に対する、男の約束だ」と言うのです。

ところで、今度、是非、荒史と一緒に先生に会いたいと思っています。見てもらいたいものがあります。初め、私は荒史から先生に連絡するように言ったのですが、私と結婚したとは恥ずかしくて言えないらしいので、私が手紙を書きました。連絡お待ちしております。

黒迷凪砂 (旧姓:金識)
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