53.平也の彼女

文字数 2,558文字

その夜、私たち三人は息子の平也の働く、山中湖畔のリゾートホテルに泊まりました。家族割引と言う事で、多少安くなっていたはずです。皆疲れていたので、食事もそこそこで、寝てしまいました。

翌日、平也は休みを取っていて、私たちを忍野村にある彼女の観光茶屋に連れて行ってくれました。きれいに澄んだ池の周りに、茶色い古風の藁ぶき屋根の建物が佇む、心和む所でした。私たちは、志瑞さんと会うのは初めてだったので、少し、緊張していました。

志瑞さんが、皆にお茶と冷やしぜんざいを出してくれ、一緒に席に座ると、平也に出会った頃の話をしてくれました。
「あの頃、平ちゃんは一人でしょっちゅうここに来て、この席に座って、いつも、お茶と冷やしぜんざいを頼んだんです。あまりに頻繁に来るんで、私、となりに座ってあげたら、赤い顔をして、すっごく可愛かった。『よく来るわね。地元の人じゃないと思うけど、この辺に住んでるの?』って聞いたら、『あの~、あの~』って言って、言葉が出て来ないんです。もう、可愛くって、抱っこしちゃおうかなと思ったくらい。それで~、『私、お店の車使えるから、今度ドライブに行く?』って言ったら、急に手に持っていたお茶碗をおっこどしてしまったの! 東京の人にしては、天然記念物ものだと思いましたよぉ」
平也は、恥ずかしさを隠せ切れないと言う様子で志瑞さんのももをつついているのが見えました。

私は、その話を聞いて、「やれやれ、またもや、天然記念物か」と思いました。でも、平也は志瑞さんに気に入られて、ほんとに幸運だったと思いました。その後、志瑞さんは、その後の事も教えてくれました。
「それからは、この辺の良い所を全部案内してあげたの。その間に、まだ、高校三年生だと聞いて、なるほど、可愛い訳だと思った。私は、もう高校時代なんて、遠の昔のような気がしていたから。それで、平ちゃんが、卒業してホテルに就職してからは、もう、会える時は、いつも一緒でした。そして、この前、平ちゃんに『私の部屋で一緒に住まない』って言ったんです。聞いていますよね?」

私には、初耳でした。平也の方を見ると、少し気まずいような素振りをしています。それで、私は、仕方なく答えました。
「いいえ。聞いていません」
「平ちゃん、ダメじゃない! お父さん、お母さん、すみませんでした。平ちゃん、ちゃんと話して許しを得たと思っていたので......。うちの両親には、了解を得ています。私たち、もう離れられないのだから、一緒に住んでもいいと言っています」
「分かりました。私は、志瑞さんと平也で決めた事だったら、反対はしません。ねぇ、あなたもそうでしょう?」
代智は、何も言わずに頷きました。これで、遅ればせながら、平也も両親の了解を得たことになりました。そして、私たちが出掛ける前に、志瑞さんが私に言いました。
「私、平ちゃんの事、ずっと大事にしますから、安心してくださいね」
これは、確実に姉さん女房って感じだな、と思いました。そして、自分の新聞配達をしていた頃の優飛君とのお付き合いを思い出して、苦笑してしまいました。ただ、志瑞さんと平也は、両想いだから、いいんです。私には、この二人がどういう将来を迎えるか皆目見当が付きません。人生、すべてバラ色ではないでしょう。でも、二人が、二人なりの生活を築き上げて行ってくれれば、申し分ありません。

未咲は、皆の様子を、興味深そうに見ていました。今まで、知り合ったほとんどの男性から「物」扱いをされ、男性不振だったに違いありません。それに、このような、多少風変わりな男女関係を目の辺りにしたこともなかったでしょう。今回の富士山登山で、何かしらの満足を得、志瑞さんと平也の様子を目にして、少なからず刺激されたに違いありません。

さて、その頃、代智の両親が転換期を迎えていました。母の痴呆症が悪化して、とんでもないことをしてしまうのです。父はかなり、努力してきたのですが、買い物で外に出たりするときに、もう母だけ一人残すのは不安だと言うのです。それで、私が出来るだけ訪れるという事になりました。すると、未咲も一緒に行きたいと言うので、連れて行きました。未咲は今まで老人と接する機会がなく、これは、とても貴重な経験になったと思います。この間に、人間が年を取ると、どういう状態になるかと言う事を少しずつ学んでいるようでした。

そして、これが切っ掛けになって、未咲が、介護の仕事に興味を持ち始めたようなのです。兎に角、何か仕事をしなければ、と思っている最中だったらしいのです。ただ、未咲は中学中退で、仕事どころか、まともな作業をした経験がなく、どうしたらいいか分からないようでした。それで、まずは、私の知っている老人ホームに行って、一週間、私と一緒に見学をさせてもらいました。

その間に、ボランティアがどういう作業をしているか見せてもらいました。未咲は、その中で、タオルをたたむとか、セラピー犬のくろ太郎の世話が出来るのではと言いました。私は、それはいい選択だと思いました。まず、流石の未咲でもタオルをたたむ事くらい出来るでしょうし、たとえ犬でも他の生き物の世話をすることは、とてもいい経験になると思ったからです。それで、未咲は、次の週から、ボランティア活動を始めたのです。ところが、普通の人には簡単な作業でも、未咲にとっては、至難の業だったようです。いつも、「大変だ」とか、「うまくいかない」と漏らしていました。

また、未咲は、中学も卒業していないので、少し難しい漢字の読み書きさえ、出来ないのです。私は、ただ見守っていたのですが、未咲が自分で漢字の本を買ってきて練習しているところを見て、安心しました。その後、少しずつ、ボランティアの作業を覚えると、未咲には、生まれて初めて「まとも」なこと、他人の役に立つことをしていると言う自負も生まれてきていたようです。

そして、一年以上かかりましたが、とうとう、未咲が臨時の介護ヘルパーとして雇ってもらう事になりました。例え臨時でも、私にとっては、あの未咲が仕事につけたと思うと、涙が出ました。そして、代智と相談の末、未咲を養子に迎えることにしたのです。その頃から、未咲は、私の事を「おかあさん」と呼ぶようになりました。
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