41.代智のだんまり

文字数 1,692文字

私は代智の文句に相当に参っていたのですが、暫く経つと、状況が変わってきました。今度は、代智が、むすっと黙りっきりになってしまったのです。私にとって、これは、文句以上に辛い事でした。少なくとも、文句を言われている時は、何が嫌なのか良く分かるのですが、今や、何が何だか分からなくなってしまったのです。

どうしても必要な事があって質問すると、無視されるか、時には、首で「いい」、「だめ」という意思表示をするだけなのです。私としては、会話のなくなってしまった夫婦はもうおしまいなのではないかとさえ感じました。そして、いつも、悪いのは私ではない。私は出来るだけの努力をしているのだから、と思い続けていました。

その状態が暫く続いた後、今度は、私も反撃に出たのです。相手が話さないなら、こちらだって、話してやるもんかと言った態度です。「目には目を歯には歯を」の姿勢です。ただ、よく考えなくても分かる事は、そんなやり方がうまくいく訳がないのです。世の中の悲劇の多くはそう言った関係から生まれてきた訳です。残念ながら、その事に気が付くのにも随分と時間が掛かりました

そして、そんな状態の家庭で育つ子供はたまったものではありません。あの、無関心と思われた平也でさえ、呆れていたようなのです。それで、ある時、平也が、私に言ったのです。
「お母さん、いい加減にしてよ。お父さんと口を利かないの、耐えられないよ」
私は、ハッとしました。この子にさえ、言われてしまった。何とかしなくてはならない。
「平ちゃん、ごめん。でも、私、どうしていいか分からいのよ。お父さんとは、もう、どうしようもないのよ。お互いに、もう、平ちゃんが生まれてからの事が積み重なってしまって。ごめん。私たち、このまま行ったら、もう、おしまいかもしれない」

「おしまい」......。子供の前でこんな言葉まで発してしまって、急に考え始めました。その時、藁をも掴む思いで、忘却の彼方の論理学まで引っ張り出してみました。「このまま行ったら、おしまい」でも、このまま行かなかったら? おしまいにはならないかもしれないけど、やっぱり、おしまいになるかもしれない。では、おしまいにならないためには? このまま行ってはいけない。つまり、保証はないが、このままではいけない。と、結局当たり前の結論に達したのです。

平也は、いつも何も言わずに考え事をしているような子供でしたが、この時は、仕方がないという感じで口を開きました。
「お母さん、今までだって大変な事はあったでしょう? いつも、僕が小さい頃は大変だったって言ってるじゃない。僕、今でも大変?」
この時初めて私の気が付いたことがあります。この子は、自分が大変だったと言う事を分かっているんだ。そして、私がその大変な事を克服できたと思っているんだ。

そして、その時、私の脳裏に浮かんだのは、白羽さんの顔でした。学校での行き詰まりの時も、平也で困っていた時も、白羽さんとの話の中で、お買い物の気持ちの事に気が付かされたのでした。そして、今、白羽さんと話す機会は無くなってしまったのですが、この平也が何かを訴えているのです。間違いありません。今回も、お買い物の気持ちが必要な時なのです。私の父が同居して以来、余裕が無くなってしまって、忘れていたのです。それで、確かに平也の示唆する通り、何とかなるかもしれないと思い始めました。思わざるを得ませんでした。

そして、その平也ですが、高校受験の時期が来ました。都立の普通高校は無理で、私立に行ける経済状態でもありませんでした。私は、教師時代から、生徒が興味の湧かないような授業内容を押し付けるのは罪だと思っていたので、平也が嫌いな限り、勉強はしなくてもよいと思っていました。つまり、高校に行かなくてもいいとさえ思っていたのです。そんな中、平也は、自分で選んで、都立の商業高校に進むことにしました。多くの家庭では、商業高校と言うと、落ちこぼれの行くところの様に思うかもしれません。そんなことは、私には関係のない事です。兎に角、平也自信が決めた事だから応援したいと言う気持ちで一杯でした。
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