15.理科教師としての第一歩

文字数 1,954文字

私は、予定通りの期間で夜間大学を卒業し、中学の理科教員免許状を取得しました。そして、なんとか東京都の教員採用試験にも合格し、灰床夫妻の計らいもあり、多摩ニュータウンに出来た新設の中学校に採用されました。私は幸運だったと思います。今時のように子供の数が減少中だったり、競争が過激だったら、無理だったことでしょう。それに、この間、夫婦ともども元教員の灰床夫妻がいろいろと助けてくれたおかげなのです。

その頃、どんどんと開発が進んでいた多摩ニュータウンは、私に複雑な気持ちを起こさせました。南多摩地区の緑豊かな丘陵地をどんどんと切り開き、人間の為の土地に変えていく。当然、私は、そのおかげで、何とか仕事にありつけた訳です。ただ、そこに住んでいた動物たちを含めて、どんどんと自然が失われていく事は否めません。私の生活は自然を犠牲にして成り立っているのかと、心の片隅にある罪悪感を完全に拭い去ることは出来ませんでした。

就職後、経済的には一人でアパートを借りて自活することも出来ました。ただ、灰床夫妻の所に世話になっている間に、何だか親子のような関係になってきて、出来れば灰床家から仕事に通ってくれないかと頼まれました。それで、片道一時間半ほどかかるのですが、そこから通勤することにしました。そして、驚いたことに、灰床夫妻が卒業と就職のお祝いとして、私の借金を返済しなくていいと言ってくれたのです。婆ちゃんのいとこなので、赤の他人とは違いますが、遠い親戚にこんなに良くしていただき、ほんとに幸運だったと思います。

兎に角、非力な私にとっての数々の難関を突破して、曲がりなりにも理科の教師になれたという事は、快挙と言うしかありませんでした。それに、私の勝手に決めた使命を遂行することが出来ると思うと、気が張りました。単に決められた理科の教育内容を教えると言うのではなく、もっと大きな目標が出来ていたのです。生徒たちに、私たち人間が依存している、この大自然の意義を理解してもらいたいと思っていたのです。単純に分析しただけでは計り知れない、壮大な複雑系の事に気が付いて欲しいと思っていたのです。

そして、教師というのは、私にとって、またとない仕事でした。私は、一人遊びばかりしてきたせいか、他人と協調して働くとか、他の人の言うことをよく聞くという事は得意ではありません。それで、兎に角、教室の中では、自分が親分であるという事は好都合なのでした。そして、授業計画を立て、自分で内容を作るのは、大変でも、やりがいのある事と思っていました。放課後も長く学校に残ったり、家に帰ってからも仕事をしたものです。

生徒たちはと言えば、中には、優秀で、言うことを何でもこなす人もいましたが、多くは私の授業に関心を持ってくれているとは言えませんでした。私はまだ新任だし、元々、学業に秀でていた訳ではないし、一人前になるまでには、まだまだ、時間がかかるのだろうと思っていました。

次に、職員についてです。校長と教頭は生真面目なタイプでしたが、他の教師群は型にはまらない、極めて自由奔放なタイプの人が多いように感じます。青森、福島といった、東北地方出身の人も何人かいます。他の教師と授業の話をしている時に、経験豊かな社会の先生が、私の言う複雑系の事に大変興味を示し、社会と理科を総合したような教育内容を作らないかと持ち掛けてきました。これは、楽しみに思いました。

それから、実際に教師になるまで気が付かなかった事があります。教師間や、父兄の間での噂話と言うのが、結構凄いのです。これは、親しくなった年配の女性教師から聞いたことですが、巷では、私が夜間大学の出身だとか、独身で彼氏も居ないとか、言われているらしいのです。大きなお世話です。

そして、慣れてくると、大学時代から抱き始めていた学校教育に対する疑問が高まることにもなりました。まず、成績と言う道具を使って生徒のやる気を起こさせようとしたりすることは、日常茶飯です。ところが、ほんとのことを言えば、私は、そんなやり方は生徒たちのやる気をぶち壊す原因だと思っていたのです。それに、多くの生徒と保護者は受験の事ばかり気にしています。英数国に比べて、理科や社会は重要度が低いと見做される事が多いのです。それで、そう言った人たちからは、理科が軽視されていたと思います。

また、私の通勤は予想以上に大変でした。それで、長い電車の中の時間を有効に過ごそうと、必ず、何かしら読み物を持っていくことにしました。実は、エッチな少女マンガを読みたかったのですが、周りの人に見られると恥ずかしいと思い、絵のない、官能小説を読むことにしました。そして、他の人に気づかれないように、買った時に必ずカバーをしてもらうようにしていました。
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