40.新しい懸念

文字数 2,129文字

平也は、その後も、相変わらず社交性のない子供で、一人でゲームをしているのが一番楽しそうな様子でした。勉強も嫌いで、中学校での成績は、下の上、買いかぶったとしても中の下と言ったところでした。やはり、両親の悪い所を取ってしまったのでしょうか? それでも、機嫌が悪い訳でもなく、私は、それなりに安心していました。私としても、やっと、何でもいいから、平也の大切なものを買ってあげられるような気がしていたのです。

そして、それまで、自分たちの生活に精一杯で、すっかり遠ざかっていた事があります。私の父親の事です。それが、その頃、父は、バスから降りる時に転んで、大腿骨骨折をしてしまい、下田の病院に入院しました。家の事は代智に頼み、私は急きょ下田に向かいました。手術の経過は良好だったのですが、退院後どうするかが問題になりました。リハビリにも時間が掛かるし、この状態で、これから一人暮らしが厳しいのは明らかでした。私にはどうして良いか分かりませんでした。

私の性分なのか、そんな大変な時にも関わらず、下田で全く関係のないことを思いつきました。ふと、高校時代の理科の先生の事を思い出したのです。一瞬、会いたいと思ったのです。それが、私のどういう気持ちから起こった事かは、自分でもはっきりは分かりませんでした。ただ、今は人妻の身だし、その気持ちは抑えて、兎に角、代智の待つアパートに戻りました。

さて、代智は何事にも、うだつの上がらない夫でしたが、今まで何回か、大事な時に、まともな判断をしてきてくれた人でもあります。私が状況を説明すると、代智は暫く黙って考えていましたが、仕舞に、「うちに来てもらおうか」と言いました。それで、中木の家は、ごく大事な物を持ち出した後に、業者に頼んで売却してもらいました。この頃は、まだ、ヒリゾ浜の観光ブームが始まる前だったので、大したお金にはなりませんでした。

私たちのアパートは、比較的広々としてはいましたが、私の父のために使える寝室と言うのはありませんでした。それで、代智と私の部屋を父に使ってもらい、私たちは、リビングダイニングで寝る事にしました。確かに、これが最良の方策の様には思えましたが、私たち家族の生活はガラッと変わってしまいました。結局、父は手術後ほとんど動けなくなってしまったので、すべての活動を寝室でせざるを得ませんでした。老人の大腿骨骨折が、致命傷になる事が多いと言うことが良く分かりました。その後、父は便秘、床ずれ、肺炎と苦しみましたが、病院で死にたくはないと言い張りました。

代智は、父を引き取ってから暫くの間は、一生懸命に協力してくれていました。ところが、数週間たち、数か月経った頃には、限度を越してしまったようなのです。段々と、私に文句ばかり言うようになりました。食事がどうの、片付けがどうの、ろくに返事もしない等と、ことごとく文句を言うのです。私がちょっとした用事で出かけて、帰りが予定より少しでもおそくなると、きちんと連絡をしないと言って怒ります。確かに、父の世話が加わって、私も疲れていた事は否めません。でも、そんなに文句を言わなくてもいいのでは、と思ってしまうのです。そして、自分たちの寝室を父に使わせているので、夜の事も問題になっていました。せめてもの幸いは、代智は決して暴力を振るわないことです。もし、暴力沙汰になっていたら、私たちの結婚は続いていなかったと思います。

そして、代智は、結婚する前に確認したように、私に対して、符吹のような異常な独占欲はないのです。それでも、私が平也の問題で躍起になっている頃から感じていたそうですが、この頃になって、言い始めたことは、子供と義父に妻を取られたという感じだそうです。確かに、平也が小さい頃、私は、平也の事で頭が一杯で、代智の事を無視してしまっていたかもしれません。そこまで考えている余裕はなかったのです。そして、やっと平也が中学生になったと思ったら、今度は、私の父の事で、また、代智を無視するような格好になってしまいました。

私は、悪いとは思いながら、「もー! 事態が事態なんだから、もう少し我慢してっ!」と言う気持ちでした。それからは、段々と、代智の仕事からの帰りが遅くなるし、休日も一人でどこかへ出かけてしまうと言う事が起こってきたのです。製紙会社の万年係長で、何が忙しいのでしょうか? それとも、仕事仲間と飲みにでも行っているのでしょうか? でも、休日は? 時には、私でさえ、代智が浮気でもしているのではないかと思ったことがあります。今までは、とてもそんな事は考えもしなかったのです。ただ、実際に浮気をしているという兆しも証拠もないのです。それに、失礼ですが、とても女性にもてるタイプとも思われない訳で......。

代智と私は結婚当初は、肉欲で結ばれた仲でした。その後は、平也が生まれ、育ち、今度は、私の父が同居して、結局、代智と私の間にほんとの愛情と言うものが存在したことはなかったのではないかと思い始めました。代智は、体以外には、私の事に興味がないのかしら? 私たち、お互いにどうしてこうも違うのかしら? そういう思いが繰り返し、繰り返し起こるのでした。
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