17.私なりの教育方針(前)

文字数 1,373文字

高校時代の理科の先生との一夜は、確実に、私の生活に影響を及ぼしました。誰にも言えませんでしたが、やっと、大人の一員になった気分がしたのです。また、初めて男性の行動をじっくりと観察できて、少しは、その実態が分かってきた様な気もしました。それに、変な話ですが、ほんの少し自信がついたのではないかとも思いました。

さて、学校では、依然として苦労をしていました。兎に角、自分の思うように行かないのです。一番の問題は指導要綱に乗っ取った教育内容が悪いのだと感じ、それを改革しなければと思いました。私は、折角、自然界の複雑系の事に気が付いたのだから、自分の授業にはそれをうまく取り入れてみようと思いました。それに、私の高校の時の理科の先生でさえ、複雑系の事に気が付いてもいないのだから、私は、特別にいい材料を持っているんだと言う自負さえありました。

まず、私は、教科書の題材が無味乾燥な事が多いと言う事に注意を向けました。それに対して、自然界の複雑系の現象は私たちの身の周りに多く見受ける事が出来ます。少しでも身近な話題の方が生徒の興味を引くに違いないのです。それで、身近な話題から始め、複雑系の、より大きな見方を身につけて行く合間に、指導要綱に乗っ取った教育内容を取り入れてみようとしました。その意気で、長い時間かけて、私なりの授業内容を作っていったのです。

教師の中には、無味乾燥な授業内容はさておき、それをゲームやクイズの形にしたりして生徒の興味をそそろうとする人があります。私個人の意見としては、そのようなやり方は一時しのぎでしかないと思います。例え、その時にゲームやクイズの楽しみにつられて勉強しても、教材そのものに対する興味が湧く訳ではないと思うからです。

さて、複雑系に絡んだ題材として、色々と考えてみました。ビリヤードの球の動き、アリ・蜂・鳥・魚等の集団行動、食物連鎖、神経系と心の関連、枝・根・肺と言ったフラクタル現象、気象・対人関係・株取引等に係る複雑な現象等があります。これらの現象は、普通の理科の指導要領ではなかなか取り扱われられないようなものですが、どれもこれも、複雑系の概念がぎっしりなのです。世の中で実際に起こっている事には、複雑系の考え方を持たない限りうまく理解・対応することが出来ないはずなのです。

それから、ある教育関連の会合で習得したこともあります。参加者の多くは、どのような教材を用いるか、どのようなテストを作るかと言った事に躍起になっていました。その中で、誰も寄り付かない出展者のテーブルがありました。少し、気の毒になって覗いてみると、実は、随分と重要な事を言っていることに気が付きました。その方法の名前は忘れてしまいましたが、内容はよく覚えています。第一に、生徒が、授業の目的・目標を理解し、興味を持っていること。第二に、授業内容は、その目的・目標を達成するように構成・実施されている事。第三に、生徒の評価は、生徒がいかに授業目標を達成しているか直接に判断できるものであること。人には、「当り前だ」と思われるかも知れません。ところが、私の大学ではこのような事は重要視されていなかったし、私の中学校でも、物事はこのようには進んでいませんでした。それで、私は、早速、自分の授業をそう言った観念から練り直し、文書として残しました。
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