13.分析だけでは片付かない事柄

文字数 2,426文字

確かに、理科に、分析が必要だと言う事は、十分承知していたつもりです。同時に、今まで分析能力を鍛えて来なかった私には、へ理屈をこねる対象でもありました。そして、それなりに疑問も生じました。それは、私の子供の頃からの自然との付き合いから芽生えてきた事です。例えば、あの、アリたちです。一匹ずつはお世辞にも高度とは言えない頭脳でも、集団で発揮する能力は驚くべきものです。もし、物事を細分化ばかりしていたら、そう言った、集団の知恵や、自然界の複雑な営みと言うものを見失ってしまうのではないか。そんな、私なりの疑問でした。

ある時、大学の図書館で宿題の資料を探している時に、サイエンティフィック・アメリカンの日本語版が目に留まりました。その月の特集は、アメリカのサンタフェ研究所の創立5周年記念の記事でした。その研究所が何なのだか、全く知っている訳はありませんでしたが、兎に角、手に取って読み始めてみました。驚くことに、その特集は、私にとって、それまでで一番の発見でした。なんと、サンタフェ研究所の主眼は、過度に分断化された科学とその関連分野をもっと総合的な視野から見つめ直そうと言う事であると知ったからです。研究所には、世界各地から様々な分野の研究者が集まり、難しい問題に協力して立ち向かおうと言うものだったのです。

研究者たちの興味の中心は、分断化では理解できない現象、つまり、「複雑系」の事です。当然、自然界は複雑な現象・営みの宝庫なので、幾らでも研究する課題がある訳です。私にはすぐに納得のいくことでしたが、正直言って、びっくりもしました。私がおぼろげに感じていたような事を世界の一流の科学者が一団となって真剣に研究している。私は、自分もサンタフェ研究所の一員であるかのような錯覚に陥りました。それに、当時の日本はまだ複雑系の事は話題にも登らないような時代だったのです。私はむさぼる様にその特集の記事を読みました。

私は、数学の事は良く分からないので、複雑系の特徴である「非線形」だとか、「カオス現象」の数理的な意味はチンプンカンプンでした。それでも、一般的に、複雑多数の構成要素があり、様々な事が絡み合って、複雑な因果関係を生じ、小さな変化が大きな変化をもたらす。その様な状況下で、複雑系は、自己組織する機能を発揮し、予測困難な現象さえ生み出す。そして、そんな状況が、大小様々なスケールで展開しうる。そう言った、漠然とした概念を吸収していったのです。

中でも、私の心を引いたのは「バタフライ効果」と言う言葉でした。どうやら、ブラジルで一匹の蝶が羽ばたきする事が起因となって、テキサスで竜巻を引き起こすかと言う問いかけ、あるいは、仮説のようです。卑近な事に置き換えれば、私の些細な行いが、周りに大きな変化を及ぼすかと言う疑問にも置き換えることが出来ると思いました。例えば、私が一匹の紋白蝶を虫かごの中で飼い殺しにする前に、自然に返してあげた為に、世界は変わったか? 私自身に何かしらの影響があったか? そのような事も考えたのです。

当然、科学の重要な要素の一つとして、少数の原理に基づいて将来を予測できるという点があります。複雑系の研究とは、ある意味では、そのような、今までの楽観的な常識を覆すものです。将来を予測できないなんて、役に立たない、意味がないという見方もあるかもしれません。しかし、科学のもう一つの重要な点は、科学的手法には限界があるという事を、科学的に説明できることでもあるはずです。

複雑系について、私が特に注意した点は、その構成要素だけに注目していたら、分からないような現象を生じるということです。子供の時の夏休みに見受けたアリたちの集団知能はまさにその典型です。アリ一匹だけからは想像もつかない複雑な社会組織が存在する。それだけではありません。動物たちの食物連鎖から生じるドラマ。動物の細胞一つ一つだけを見ていたら想像も出来ない個体としての行動。脳細胞の複雑な絡み合いから生じる知能。壮大な気象現象。ひょっとして、小学生の時のハーモニカ練習中の私のお漏らしに起因するクラスの反応もそうかなぁ、等と考えは巡りました。

そう言えば、この予測困難な状況と言うのは、大きな複雑系だけではなくて、人間二人だけの間に起こり得ることだとも思いました。例えば、高校の理科室での理科の先生と私の対応はどうだったのでしょう? 相互作用が働き、私たち一人一人だけを見ていたのでは想像も出来ないような事態に発展していく事もあり得るはずです。

そして、生命の誕生にまつわる細胞分裂と、分裂した細胞の組織化。そのために、私たちは生殖活動を行う。それで、ずっと興味を持っていた動物の生殖についても気が向きました。その頃はイルカやクジラの生殖活動について、異常な程の興味を持っていました。あの、のっぺりした体で雄雌のけじめがあるのかしら? ゆらゆらした海の中で、手も足も使えずに、どうするの? まだ、インターネットでサーチと言う時代でもなく、疑問は深まるばかりでした。まぁイルカはさておき、自分の人生への関わりについても、考えが及びました。私もいつか、結ばれて、子供を産む。残念ながら、私は、それまで全く異性との経験がなかったので、しょうがなく、淫らな少女マンガを読んで興奮すると言うのが関の山でした。

止めどもない事を考えているうちに、仕舞にはサンタフェ研究所に行って、そこで研究をしたいとさえ思いました。しかし、それが、適わぬ夢だということはよく考えなくても分かる事でした。さて、複雑系についての興味と理解が少しでも深まると、当時の大学の教育内容・方針に対する疑問はさらに強まりました。世の中の重要な事は、複雑系の中で起こっている。それなのに、理科教育は分断化されている。確かに、分析能力は必要な事です。でも、やはり、大きな事象を捉える能力はもっと重要ではないか、と思ったのです。
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