5.稀に見る観光客(後)

文字数 1,164文字

男の子がおしっこをしている間の事です。もう忘れてしまおうと努めていた以前の記憶が蘇ってきました。私はオムツが取れてからも、おねしょとお漏らしが多く、父からはお漏らし娘と呼ばれていました。多分、生まれつき、膀胱が緩いのだと思います。そして、一番印象に残っていたのは、小学校一年生の時の事です。音楽の時間にハーモニカを習っていたのですが、私は全く吹けませんでした。それで、いつも吹いている真似だけしていたのです。ところが、ある日、先生に指名されて、一人で吹いてみるように言われたのです。緊張のあまり、その場を逃げ出したい思いに駆られました。その時に、おしっこを漏らしてしまったのです。確かにハーモニカの独奏は逃れることが出来ましたが、その代償は高く、たいへん恥ずかしい思いをしました。

さて、話は男の子の来た時の事に戻ります。それは、私の夏休みの中で最も興奮した日でした。そして、その家族はそのままキャンピングカーで泊っていったので、次の日も、その男の子と遊ぶことが出来ました。朝早い時間には、深緑が太陽を遮る裏山に男の子を連れて行って、カブト虫やクワガタ虫を捕まえました。私にとっては当たり前の虫ですが、この男の子にとっては大変に貴重なペットになったようです。

裏山で遊んでいる最中に、男の子がまたおしっこをしたので、どうしてかなと思っていると、彼は、言い訳のように言いました。
「キャンピングカーにはトイレがあるんだけど、消毒液の匂いが臭いから嫌なんだ」
その後、また泳いだ後、昼食時に男の子とキャンピングカーの所に戻ると、嬉しいことに、その家族が私も昼食に誘ってくれました。折りたたみのテーブルセットで、一緒にハムとチーズのサンドイッチを頂きました。当時の私にとっては、とてもしゃれた食事でした。ただ、残念なことに、その家族はその後、堂ヶ島に向けて出発してしまいました。私はがっかりし、とても寂しく思いました。出かける前に、母親が、「ジョージ、お友達にさよならを言ったの?」と言ったように聞こえました。それで、やっと、その男の子の名前が分かりましたが、何でジョージ? と思いました。ただ、その頃は、ジョージと読む、漢字の名前があるなんて知らなかっただけなんです。そして、集落の大人の言うことには、キャンピングカーのナンバーは東京だと言うことでした。

それまで、テレビでしか見たことのなかった東京と聞いて、私は憧れました。そして、ジョージが東京の王子様のように思えました。残念ながら、この王子様は私を東京に連れて行ってくれはしませんでした。その夜、私は満月に輝く港を眺めながら、「それなら、いつか自分で東京に行くぞ」と心に誓ったのです。その後寂しそうにしていた私に気を使って、次の休みの日に、父親がシュノーケルと足ヒレを買ってくれました。
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