少年時代

文字数 3,123文字

「この間、雑誌の記事で読んだんですけど、アダルトビデオのメーカーの経営がかなり厳しくなってきてるらしいんです。それで、その理由って言うのが、ネットで無料のコンテンツがいくらでも手に入るようになって、アダルトビデオの販売が激減してるからだって」
「そりゃ、ユーザーにしてみたら、ただで手に入るものに、わざわざ金を払おうとは思わないだろうな」
「でも、もしそれで、メーカーが全部潰れたら、ネットで出回るコンテンツもなくなっちゃうわけだから、持続可能じゃないと思うんですよね」
「なんだよ、また若者世代お得意のSDGsの話かよ」
「いや、別にそういうんじゃないですけど」
 少し拗ねたように唇を尖らした矢代の表情は、俺の高校生の息子のそれとほとんど一緒だった。
 水曜日の夜、事務所で残業していたら、気が付けば入社三年目の矢代と二人きりになっていた。
 20歳以上歳の離れた上司でもない先輩社員から誘われても断るんだろうなと思いながら、軽く飲みに行くかと社交辞令的に声をかけたら、意外なことについて来ると言った。
 駅の近くの居酒屋で飲み始めたのは9時前だった。それまでほとんど話したこともなかったから、最初のうちは、出身地や趣味、仕事と言った当たり障りのない会話をしていた。それが、ビジネストピックとは言えアダルトビデオの話題になったのは、打ち解けたというより酒の勢いだったのだろう。
「でも、実際、アダルトビデオなんて買ったことないんだろう?」
「無いですね。っていうか、ビデオ自体が名前だけで、実体験としては使ったことが無いです」
「げっ、そっちか」
「田島さんは、あるんですか?アダルトビデオを買ったことが」
「あるよ。学生時代だけどな。大人になってからは、エロDVDだ。しかし、言われてみたら、アダルトビデオって言うのは、媒体がビデオから、DVD、ネットに変わっても、呼び名はアダルトビデオのまんまだな」
 酒臭い息と一緒に、そんなくだらない感想を吐き出すと、別のくだらない考えが頭に浮かんだ。
「矢代、お前さあ、それだったらエロ本だって買ったことないんじゃないのか?」
「ありません。中学生や高校生の頃は、無料コンテンツの普及もそうですしインフラ的にも動画はそれほどじゃなかったですけど、画像はスマホで簡単に見れましたし」
 そんなこと考えたこともなかったというように、矢代はあっさりと答えた。
「そうか、見たいときに見たい場所でってやつだな。じゃあ、連れとじゃんけんして、負けた奴が自動販売機でエロ本を買ってくるみたいなシチュエーションも知らないわけだ」
「そんな、自動販売機があったんですか!?」
「あったんだよ。特に、俺が育ったような田舎には。見た目は、まあ普通の自動販売機なんだけど、昼間は銀色のシートみたいなやつで中身が見えなくなってて、夜になると電灯がついて中身が見えるようになる仕組みなんだ。それが、周りが田んぼみたいな、人通りの少ない場所の街灯の下に設置されててさ、闇の中に浮かび上がってるわけだ。
 本屋じゃ買えないから、部活帰りなんかに、みんなで行くんだよ、その自動販売機にエロ本を買いにな。でも、そんな姿見られたくないだろ。だから、百メートルくらい離れた場所にたむろして、お前が行けいやお前が行けって、押し問答になる。
 もちろん話し合いで決着なんてつくわけないから、最後はじゃんけんだ。じゃんけん負けた奴が実行役になって、びびりながら自動販売機に近づいていく、と。まあ、じゃんけん勝ったやつらも肩寄せ合って固唾を飲んで見守るわけだ。自転車が通りかかったら、草むらに身を隠したりしてな。
 それで、ようやく自動販売機の前にたどり着いたら、実行役がどれを買えばいいかって聞いて来る。ところが、離れてるから声が聞こえなくてさ、え?え?って言いながら、他の奴らも少しずつ近づいてって、結局、三十メートルくらいのところまで集団で移動することになるんだ、これが。
 そんなこんなで、買うエロ本が決まって、金を入れて、商品選択のボタンを押すだろ、そしたら、そこで何でかでかいブザー音が鳴るんだよ、ボタンを押すと。おかしいだろ。こっそりエロ本を買うための自動販売機が、大きなブザー音って。それがまた嫌なブザー音でさ、分かってても、みんな驚いて、毎回、わぁってなって逃げだすんだよな。
 しかも、元の百メートルくらい離れた場所に逃げ帰ってみたら、実行役のやつがエロ本取ってくるのを忘れたって言いだすわけだ。これまた、毎回。で、またお前が行けいやお前が行けを、最初から繰り返すと」
「エロ本一冊で、大事ですね」
「大事なんだよ」
 熱弁をふるったせいか、喉が渇いた。そのおかげで、何杯目か覚えてもいないくらい杯を重ねたビールが、一口目みたいに美味しかった。その勢いで、もう一席ぶった。
「それだけ苦労して手に入れた一冊だから、みんな早く見たい。でも、本は一冊しかない。っていうことで、安全なとこに移動して、またじゃんけんして、本を家に持って帰る順番を決めるんだ」
「え、エロ本を、持ちまわるんですか!?」
「当たり前だろう。金を出し合ってるんだから」
「うわあ、それはなんか嫌だなあ・・・」
「その時はそんなこと言ってられるかよ。あの頃はそういうネタを手に入れる場所も、金もなかったんだよ。他にネタを手に入れる場所って言ったら、後はまあ、ゴミ捨て場だな」
「ゴミ捨て場ぁ!?」
 そんな風に素直な反応の矢代を見るのは初めてだった。へんなところで、こいつ意外と良い奴なのかもな、と思った。それで機嫌よく話を続けた。
「そうだよ。まあ、それはエロ本って言うか、大人向けの雑誌だよな。グラビアが載ってるような。学校に行く途中に、あるんだよ何カ所か。そういう雑誌がまとめて出されてがちなゴミ捨て場が。さらに言えば、出されてがちな曜日って言うのが。
 そういう日は、いつもより早くみんなで集まってな。胸躍らせながら、確認に行くんだよ。で、雑誌が捨ててあると、それをまずは、通学途中にある空き家の秘密の場所に隠す。学校に遅れちまうからな。
 その日は、雑誌のことがまあ気になって、当然授業なんて上の空だ。授業が終わったら、全員一目散にダッシュ。それで、獲物をチェックするんだよ。ただ、雑誌はそのままだとかさばるし、ゴミが無くなったことがばれるかもしれないから、良いページだけ切り取って、雑誌は元のゴミ捨て場に返すんだけどな。
 切り取ったページは、専用のクリアファイルに入れて、さっきの秘密の場所に戻す。で、そう言うのが見たくなったら、その空き家に一人でこっそり行くんだよ。ところが、行ってみたら、何人も先約のやつがいたり、クリアファイルからみんなのお宝ものの一枚が無くなって、犯人捜しで大騒ぎしたりする、と。
 今でも、はっきり覚えてるわ。あの空き家の、湿っぽいにおい。崩れ落ちた屋根の間から見えた青い空とか、蝉の声とか、一緒にバカばっかりやってた連中の顔とか。たしかに、今に比べたら、便利じゃないしスマートでもなかったけど、なんていうか手触り感が残ってるんだよな、少年時代の。
 考えてみたら、そんなある意味で情緒的な時間を仲間たちと共有することなく育ってきたわけだから、お前らの少年時代って言うのは、味気ないって言うか、なんかかわいそうだな」
 言葉にしてみると、本当にそのころの記憶がよみがえって、胸が熱くなった。そんな自分の感情が少し恥ずかしくて、もう一口ビールをあおった。
 矢代は珍しいものでも見るような表情で、そんな俺を見ていた。そしてぽつりと、でも感情のこもった一言を呟いた。
「いえ、そういう情緒、僕らいらないんで」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み