ポジション

文字数 4,006文字

 私は、カワイイ。
 私がそのことを知ったのは、幼稚園の時だ。きっかけは、公園で遊んでいた時に、転がったボールを拾いに行って、友達のママと私のママの会話を耳にしたことだった。
「理央ちゃんって、カワイイよね」
「ええ、それほどかなあ?」
「うん、カワイイ子って結構いるけど、レベルが違う。ちょっと、怖いくらい」
 友達のママが真剣な口調で、自分のことをカワイイと言っている。しかも、ママもそれを完全に否定しようとしなかった。
 怖いくらいに、カワイイ。その言い回しは、良く分からなかった。怖いのに、カワイイのはなんでなんだろうと不思議だった。だけど、意味が分からないことが余計に、私のカワイさを強調し、そして特別なものにしているような気がしてドキドキした。
 そのドキドキが、幼稚園児だった私に、自分がカワイイんだということを刻み込んだ。自分がカワイイということに気が付いているということは、秘密にしておかないといけないんだと信じ込ませた。
 そこから、カワイイを巡る私の秘めたる冒険の日々が始まった。
  同世代の女の子、少し上のお姉さん、もっと上の大人の女の人の服装やメイク、とにかくあらゆるカワイイを勉強するためだけにテレビを見た。幼稚園から、小学校、中学、高校と、私の世界が広がっていく中でも、常に自分と自分を取り巻く周囲のカワイイを計り、比較し続けた。
 私は自分のカワイさのレベルをきちんと把握していた。だから、高校2年生の時に石川町で友達と買い物をしていて芸能事務所の人にスカウトされたことも、私にとっては何のサプライズでもなかった。
 こんな風に言ってしまうと、すごく感じ悪く聞こえるかもしれない。ただ勘違いしてほしくないのだが、私はカワイさ至上主義者じゃない。ただ、カワイさを客観的に判断しているだけだ。
 その証拠に、芸能界に入ることが決まった時点で、私はその世界では、私のカワイさが並レベルに過ぎないと自覚していた。わざわざ自分の一番の武器が通用しない芸能界で戦うよりも、普通の社会人になった方が、ちやほやもされるだろうし、結果的に条件の良い結婚相手をゲットできるかもしれないとも思った。
 でもあえて私は茨の道を選んだ。それは、私にとってカワイイということは、強味やプライドなどではなく、アイデンティティそのものだったからだ。私は、自分のアイデンティティであるカワイさで飛び込んでいく資格を得られた場所で、生きて行こうと決意したのだ。
 生き残っていくために、私が徹底的に考えたのがポジションだ。
 芸能界において、私に最適なポジションはどこか?
 音痴だから歌手の線はなかった。モデルは基本見た目命なので負け戦が確定。アイドルにはグループのセンターを張る正統派だけではなく、天然系、コケティッシュ系、バラエティー系等々と様々な道があったが、成功している人を見るとやはりそれぞれの要素がかなり尖っていた。ところが、私には、カワイさにプラスする、積み上げの要素がどれも弱かった。
 必然的に、女優というポジションを選ぶしかなかった。
 もちろん、ポジショニングは、そこで終わりじゃない。女優というフィールドをさらに細分化して、そのどこで戦うのかを、より具体的に決める必要があった。
 演技派・個性派、等々、数ある俳優業のポジションのそれぞれのメリット・デメリット、私自身との親和性を検討した。検討しただけじゃなくて、実際にいくつかの方向性を試して、そこでの手応えをノートにまとめ比較分析した。自分の印象だけに偏ってしまわないようにエゴサーチもフル活用した。
 そして、最終的に私が打ち出した戦略、それが、三つの「やらない」施策から構成される、無味無臭戦略だった。
「演技をしない」
「作品を選ばない」
「自我を出さない」
 とにかく目立つことが大事だと信じられている芸能界で、わざわざ目立つことを避けるようなこの3つの施策は悪手以外の何物でもないように思われるかもしれない。たしかに、一つ一つの施策に関して言えば、その通りだ。
 だが、私は気が付いたのだ。この3つの施策を実行すれば、逆に芸能界で目立つ、と。
 何故か?
 何故なら、生まれつき目立つことに長けた人たちが集まった芸能界には、この3つを全部やる(やらない)人なんていないのだ。カラスの群れでは白鳥が目立つが、白鳥の群れではカラスが目立つ、そういう話だ。
 はじめは、それは私が立てた仮説にすぎなかった。ところが、あっさりと私の仮説は証明された。珍しい奴がいると、私の評判が知れ渡るようになり、あっという間に仕事が増えたのだ。
 芸能界という世界の住人は、とにかく押し出しや癖が強い。だが、押し出しが強い人たちが、押し出しの強い人のことを好きかと言えば、そんなこと全くないし、癖が強い人たちだけのチームで、スムーズに作品や番組が作られるかと言えば、そんなことも全くない。
 無味無臭人材は芸能界では稀有な、そして求められる存在だったのだ。
 ラッキーなことに、世間からも好意的に受け止められた。
 私的には、極力演技をしないようにしていただけなのだが、それが、自然な演技と高評価を受けたのだ。中には、「透明感のある演技」なんて、それは一体どんな演技なんだと、私自身が首をかしげるような評価までいただいた。
 デビューから5年後、私は確固たる地位を芸能界に築いていた。
 もちろん、トップランクの女優じゃない。与えられる役も、脇役だけだ。でも、私はとても幸せだった。それは、私が自分のカワイさに最適な居場所を見つけてやることができた満足感からくる幸せだった。
 私より2歳年下のマネージャーの紗子が、私のそんな穏やかで幸せな生活を脅かすニュースを持ち込んでくるまでは。
「理央さん、やりました!!」
 メイク室の鏡越しに目をやると、弾んだその言葉通り、紗子の顔は紅潮していた。
 紗子はいつも大げさだから、額面どおりには受け取らなかった。ただ、それでも、映画かドラマなら月9か、その辺りの仕事が決まったのかなと、私自身も少し期待した。
「どんな仕事?」
「驚かないでくださいよ~」
「そう言うのいいから、早く教えてよ」
「じゃあ、発表しますね~」
 私の苦笑に紗子のニヤニヤ笑いが重なった。
「主役が決まりました!!」
「主役?主役は私には合わないんじゃないかな」
 私のポジション戦略の中に主役の二文字はなかった。でも、紗子にポジション戦略を説明するつもりはなかったので、遠回しに断りに入った。
「たしかに今までの理央さんって、若手実力派バイプレイヤーっていうイメージはあると思います。でも、今回のやつは良いと思うんですよ」
「良いって、どう良いの?」
 いつもなら私の反応に敏感な紗子が、珍しく重ねて押してきた。だから、もう少しだけ話を聞く振りをすることにした。
「まず、枠です。Mネットテレビの木曜深夜の新ジェネドラマ。理央さんもご存じの、若手の俳優や製作者による、新しい感性のドラマを流す枠です。深夜ですけど、意欲的な作品が多いと、ネットや業界の注目度は高いです」
 新ジェネドラマ。たしかに私自身も、仕事抜きで毎週楽しみにしていたドラマが何本かあった。
「また、本が良いんです。私こっそり、読ませてもらったんです。喫茶店でウエイトレスをする主人公の女性が注文を取りに行くたびに、そのお客さんに似た人との思い出を思い出すんです。そこから、毎回のエピソードが始まると。それが、基本的にはすごく淡々と話が進むんですけど、そこはかとなくクスッと笑えたり、じんわり涙が出てくるみたいな話ばっかりで。その感じが、とっても良くて、とっても理央さんにピッタリなんです」
 さすが私のマネージャーだ。話を聞いていると、私自身も、その役を演じる自分を想像することができた。まんざらでもなかった。
 そんな、私の心の動きを察したのだろう。ここぞとばかりに紗子は畳みかけてきた。
「しかも、今回、ダブル主役として、理央さんの子供時代の場面を演じるのは、なんと、あの高木美優ちゃんなんです!!」
「美優ちゃんって、あの天才子役の美優ちゃん?」
「はい、その美優ちゃんです!!」
 すっと、冷めた。
 即前言を撤回した。さすがでもなんでもなかった。全然、何も分かっていなかった。
 私は、紗子のことが嫌いじゃない。ただ、私のマネージャーである以上、私の戦略を理解してもらう必要がある。前々言も撤回して、私はストレートに苦言を呈することにした。
「あのね、紗子。あなたが、どれだけ理解しているか分からないけど、私は、ポジションって言うのをとても大切にしてるの。自分が一番輝ける場所で輝く。そのことだけを考えてやってきた。そのおかげで、あなたからすれば物足りないかもしれないけど、ここまでたどり着いた。
 で、美優ちゃんの話よ。私の子供時代を美優ちゃんが演じるってことは、画面的には美優ちゃんと私の演技が並ぶってことでしょ。自慢じゃないけど、私なんかよりも、ずっと演技が上手な美優ちゃんと比較されるなんて、それ最悪のポジションなの。分かる?っていうか分かってよ、それくらい」
 改めて口にしてみると、かっこ悪い話以外の何物でもなかったが、嘘偽らぬ本音だった。本音だったから、紗子にも私の思いはきちんと伝わったようだった。
「すみません。私そんなつもりじゃなくって・・・」
「そんなつもりじゃないのは、分かってる。気を付けて欲しいだけ!」
 自分自身の言葉が恥ずかしかったので、口調も必要以上にきつくなった。
「ただ、」
「ただ!?」
 驚いたことに、それでも紗子は食い下がってきた。
「ただ、理央さん自身が変われば、理央さんが輝くポジションも変わると思いますし、生意気かもしれませんけど、私、理央さんはもっと上のポジションで輝ける人だと思ってます」
「グっ、ぐう」
「ぐう?」
「ぐうの音も出ない」
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