口裂け女

文字数 3,460文字

 昔さ、口裂け女っていただろ。覚えてる?え、知らない?俺とお前じゃそんなに、歳も離れてないけどな。まあ、口裂け女が全国で流行ったのは、俺らがガキだった時よりも二十年くらい前のことらしいから、知らなくても不思議じゃないって言えば、不思議じゃないのか。
 まあ、いいわ。口裂け女っていうのは、簡単に言えば、こういう話なのよ。
 学校の帰り道にさ、若い女に声かけられるんだけど、その女が顔の下半分が隠れるくらいの大きなマスク付けてるわけよ。で、その女が聞いてくる。「私綺麗?」って。マスクしてるけど、まあ、ぱっと見は綺麗な女だから、大概の子供は、「はい、綺麗です」って、答える。
 ところが話はこれで終わらない。その女が「これでも、私、綺麗・・・?」てもう一回聞いてきながら、今度はマスクを外すんだ。そしたら女の口が耳元まで裂けてて、その大きな口で噛み殺されるって、話。
 いわゆる都市伝説ってやつなんだけど、若い女の口が裂けてるっていうのが、ビジュアル的にグロくて生々しいから、俺ほんと口裂け女が怖くってさ。俺の地元でこの話が流行ってたのは、小学校くらいのときなんだけど、ずっとトラウマみたいになってて、大人になってからも、大きいマスクをつけてる女がいたら、口裂け女だ!とはさすがに思わないけど、なんか苦手意識があったわけよ。三年前までは。
 今?今はもう平気。大きいマスクをつけてる女を見てもなんとも思わない。なんでかって言うと・・・、そう、その通り。コロナのおかげで、大きいマスクをつけるのが当たり前になったから。
 やっぱこういうのは、最初に違和感みたいなのがあるから、最後のめっちゃ怖いところがスムーズにびっくりできるんだよ。前はマスクをしてる若い女、しかも口元が全部隠れるようなマスクしてる若い女なんて、ほとんどいなかっただろ。だから、最初に声かけられた時点でさ、なんか事情ありげな、やばそうな感じがしたわけよ。だけど今だと逆に、マスクしてないのに全然普通に外で話してる女の方がやばいわな。
 まあ、そういうわけで、俺の中での「マスクしてる女、口裂け女みたいで超ビビる問題」は、無事解決に向かったわけなんだけどさ、今度は、別の問題が発生しちまったんだよ。何かって?それが、「下半分マスクしてる女、みんなかわいく見える問題」ってわけよ。
 街でかわいい子見つけたらさ、とりあえず声かけるだろ。でも、かわいい子って言ってもさ、みんなマスクしてるから、目元とか全体の印象でかわいい感じの女の子ってことになるよな。だから実際のところは、分かんないわけよ。つまり、声かけた時点では見切りナンパなわけよ。
 見切りだろうが何だろうが、声をかけて、もちろんそこですぐじゃあOKみたいなことにはならないよ。そこから、形だけでも交渉みたいなのが始まって、それほどじゃなくてもすげえ相手のこと褒めて、三十分だけでいいからとかうんたらかんたらがあって、良くあるのは、じゃあ俺がおごるから一杯だけ付き合ってよみたいな感じで、じゃあ一杯だけね、で落ち着くっていうパターンだわな。
 それで近くの知ってる店に女を連れて行くわけだけど、これから口説こうとしてるわけだから、嘘でも多少はおしゃれな店に連れていくだろ。おしゃれっていうことは、まあ、そこそこ高い店だってことだ。飲み物も高いし、テーブルチャージもかかるような。
 しかも大体さ、ナンパについてくるような女は、訳の分からないカクテルを頼むだろ。やたらとカラフルで、そのくせアルコールはちょびっとだから酔わすには力不足だし、値段は一番高いみたいな。でさ、ここまでは、まあ別にいいわけよ。駆け引きしたり、多少見栄張っておごってとかはさ、ナンパっていうのはそう言うもんだから。っていうか、むしろそれがナンパの醍醐味だから。
 じゃあ、何が問題なのかって言うとさ、その甘ったるくて高いカクテルが運ばれてきて、初めてマスクを取った女の顔を拝めるってことなわけよ。
 マスク取ったら、あらびっくりなんてのは、そりゃもう口裂け女と一緒じゃないかって言ってんだよ。そりゃもちろん、口は裂けてないよ。口は裂けてないし、顔を見て逃げたら百メートル6秒の爆足で追いかけてきて、噛み殺したりはしないよ。そもそも、私綺麗?なんて殊勝に聞いてさえ来ないわな。
 ただ、その時に俺が負う心の傷の深さからしたら、そりゃもう口裂け女級の事故物件て言ったって問題ないでしょ。しかも、そんな事故がさ、この三年で何回俺の身に降りかかってきたと思う?俺の怒りがもっともだって、お前にも分かるだろ。
 もちろん俺だって、三年間この状況にただ手をこまねいていたわけじゃない。そんな風に傷を負いながらだって、少しづつ学習はしてきた。マスクの上からの鼻や口の形を見抜き方とか、マスクの色とマスクの下の顔の関係とかさ。例えば、肌色に近い薄ピンクのマスクをした女は要注意みたいな。
 ただ、そのためには、顔を知らない女のマスクを付けた顔と、マスクを外した顔を大量に俺の頭の中にインプットする必要があるわな。だから俺は、女どものマスク前後のデータをインプットするためだけに、ファミリーレストランのドリンクバーで朝から晩までドリンクバーで粘ったよ。それも一度や二度じゃない。
 ああ、クソめんどくさい作業だったよ。だけどな、そういう地道な努力が結局、花を咲かすんだよ。俺の口裂け女遭遇率は、かなり下がって来てた。むしろ、口裂け女上等くらいの感じにすらなってた。
 で、あの夜だ。神泉の裏道で張ってた俺の前を、その女が通りかかったのは。
 マスクをしてても、すぐにイイ女だと俺には分かった。なんなら、顔を見なくてもイイ女だって分かるくらいだった。それくらい、オーラが出ていた。自信が溢れ出してた。マスクを外しても私はイイ女よってな。
 もちろんすぐに声をかけた。で、速攻口説きにかかった。駆け引き?分かってないな。イイ女には、駆け引きなんていらないんだよ。とにかくまっすぐに、男の本能全開で、褒める、くどく。男に声かけられる経験が女にしてみたら、その熱量がすべてなんだよ。
 普段は男に目もかけられないような女こそ、めったにないことだから舞い上がっちゃって、しょうもない駆け引きをしたがるんだよ。
 え?それで、うまく行ったのかって?当たり前だ。声をかけた15分後には古家を改築した裏渋谷のバーの奥テーブルで、その確定イイ女と向かい合って座ってたよ。それがさ、痺れるのは、この女がオーダーしたのがカクテルなんかじゃなくてバウモアの水割り、しかもアイス抜き。もうこの時点で、俺は、口裂け女でもいいなって思ったね。
 まあ、そうこうしてる内に、テーブルにグラスが運ばれてきたわけだ。
 お互いのマスクの上の目を合わせてタイミングを取ると、俺たちは乾杯した。女のグラスがマスクに近づいて行った。もう片方の手がマスクにかかった。いよいよだ。俺の心臓がカウントダウンを打った。女がゆっくりとマスクを取った。
 俺は思わず口笛を吹いた。そんなやつアメリカにしかいねえよ、って言うかアメリカでも映画の中にしかいねえよ、って思ってたけど、ほんとに自然に口笛が出てた。まじ、今まで見た中で最高の女だった。
 女はグラスを唇まで運ぶと、そこで止めて、その仕草に見とれていた俺に今度はあなたがマスクを取る番よ、と目で促してきた。
 望むところだ。お前もこれだけは否定できないだろうが、俺は見てくれがイイ。大手を振って、俺が女の外見をとやかく言えるのも、俺の見てくれがイイからだ。相手が最高の女だろうと、ビビりやしない。いや、正直、内心ではちょっとビビってたよ。
 だが、一世一代の大勝負だ、見た目の男前に負けないくらい、立ち振る舞いも男前に俺はバッサリと自分のマスクを取ってやった。で、女の顔を正面から見据えた。女の目が俺をとらえた。品定めってわけだ。だけど、それも長くは続かなかった。女は薄く笑って、グラスのバウモアをあおった。
 合格だ。お互い合格したってことは、その瞬間から、その女と俺は見ず知らずの関係じゃない。一夜を過ごすパートナーだ。俺は、一線を越えて、テーブル越しに女の耳元で囁いた。
「マスク以外で隠された君の部分も見てみたい」
 そしたら女が言ったんだよ。
「口が臭い」って。
 あ、悪い悪い、話が長くなっちゃったけどさ。それでこの口臭効果抜群っていう、歯磨きを買ったってわけよ。これがほんと最高、口の中が超ミント!
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