米の種

文字数 3,175文字

 その日は、朝から小学生の稲刈り体験の取材だった。
 稲刈りが実施される稲作農家は勤め先のケーブルテレビの事務所と方向が逆だったので、家から直行すると、他のスタッフには前日に伝えてあった。年々画質が上がる撮影カメラの前に立ち続ける中堅女性記者にとって、朝の30分は貴重なのだ。
 家を出て車を少し走らせると、地方都市らしく国道の両脇に一面に稲穂が実った田んぼの風景が広がった。車のオーディオでモーリス・ラヴェルのピアノ曲を再生した。まるで金色の海でヨットの舵を取っているような爽快な気分だった。
 一時間ほどで、迷うこともなく目的の稲作農家に到着した。田んぼの隣が農家の方のご自宅で、事前に連絡いただいていた通り、家の前には大きなスペースがあり、私は二台の軽トラックの横に車をとめた。車の音が聞こえたのだろう、私が車から降りる準備をしていると、家の玄関が開き一人の男性が出て来た。
 それが、御主人の田之上渡さんだった。
 田之上さんは、がっしりとした体格で背も高く、農家の方らしく良く日焼けしていた。歩き方は力強く、目からははっきりとした意志が感じられた。年齢はたしか70歳くらいだったはずだが、実際にお会いすると、それよりもずっと若く見えた。
 撮影の前に少し話を聞けるかと尋ねると、田之上さんは快く了解してくれ、私を納屋に置かれた応接セットに連れていき、お茶を出してくれた。納屋は土と木が混ざったような匂いがして、それはどこか祖父母の家の匂いに似ていた。
 田之上さんが私の向かい側の椅子に座ると、私はスマホの録音アプリを立ち上げ、念のために昔から愛用しているICレコーダーのスイッチを入れた。
 そしてインタビューが始まった。
                 ・・・
 ■インタビュアー(以下、イ):田之上さんは、5年前から毎年、小学生のための稲刈り体験に協力されているということなんですが、始められたきっかけのようなものは何かあったんでしょうか?
 ■田之上さん(以下、田):きっかけは、当時5歳だった孫です。孫が遊びに来てくれた時に、夕食に出したご飯が、隣の田んぼで収穫したものだって言う話をしたところ、すごくびっくりして、それでむしろ私の方がびっくりしたんです。農家の孫がこんな風だったら、一般の会社員の家のお子さんは、どうなってるんだろうって。
 ■イ:心配になられたわけですね。
 ■田:もちろん私が農家だからって言うのはありますが、やっぱり食って生きていく上で一番基礎的な部分じゃないですか。食について知ることは、生について知ることだと。その中でも、お米というのは日本人にとっては、やはり一番身近な食材だと思うので、何か協力できることがあるんじゃないかって。それで市の教育委員会に連絡したんです。
 ■イ:実際に、初めて稲刈り体験を実施されてみたときはいかがでしたか?
 ■田:それが、想像してたのと違ったんですよね。
 ■イ:思った以上に、子供たちがお米やお米つくりについて知らなかったということですか?
 ■田:いえ、子供たちが稲刈りをしたことがないとか、そもそも田んぼに足を踏み入れたことがないとかって言うのは、まあ分かっていたことだったんで、その点に関しては驚くようなことはなかったです。
 想像と違ったのは、子供たちの反応です。言ってみれば、初めての体験じゃないですか。しかも、稲刈りって結構体力を使いますからね。引っ込み思案になったり、嫌がったりするんじゃないかって、心配というか、ちょっと覚悟してたんですよね。
 ■イ:違いましたか?
 ■田:全然(笑)。すごく積極的で、見てる方が笑顔になるくらい楽しそうに。何より、驚かされたのは、なんて言うんだろう、学ぼうとしている姿勢を感じたんですよね。いや、子供たちにそんな意識があったとは思わなかったですよ。ただ、それを感じた。
 でも、よく考えてみれば、それって特別なことじゃなくて。そもそも、子供って言うのはそういう生き物なんですよね。新しいことに自然に興味を持つようになっている。私たちもそうだったわけじゃないですか。そのことを忘れてた。と言うか、勝手に決めつけてたんでしょうね、今の子供たちは違うって。それが意外で、私の方が学ばせてもらいました。
 ■イ:一年目にそういうことがあって、それが田之上さんが稲刈り体験を続けている礎になっているわけですね。五年たった今も、それは変わりませんか?
 ■田:子供たちは変わりませんね。でも外部環境の変化はありますよね。まず、地球が変わった。
 ■イ:地球が変わった?
 ■田:地球の変化って言えば、大げさかもしれませんけど、農業って自然と向き合うじゃないですか。だから、地球が変わっていることを、日々肌で感じているんですよね。地球は、日々変わっていて、この五年間では大きく変わった。
 もちろん、ここまで毎年毎年異常気象が続けば、農家じゃなくたって気付かざるを得ないんでしょうが、ほんと農家やってると、それは余計にですね。温暖化や気候変動が、どこか遠くの場所や遠い未来の話じゃないことが良く分かる。
 漁業でも地域ごとに獲れる魚の種類が変わったりしてるってニュースとかでも目にするし、農業でも、そう言うことが少しづつ起こり始めている。もうすでに田植えや収穫の時期は、私たちの親父の時期と比べたら数週間は変わってますよ。
 そうなって来るとね、子供たちに伝えたいメッセージも変わって来るんですよ。いや、ベースは変わらないんだけれど、加えて伝えたくなるんですね。そういう変化を。そういう変化が巻き起こす影響を。
 先生方がSDGsとかを学校で教えてくださっていることは、知っています。ただ、教室で本を読んで理解できる子供がいれば、田んぼで土を触りながら話を聞いたり感じたりする方が分かりやすい子供もいると思うんですよ。
 ■イ:なるほど、そういう子供が一人でも多くいれば良いと。
 ■田:お米の種って、何だか知っていますか?
 ■イ:え、改めて聞かれると、自身が無くなっちゃいますけど、お米の種はお米、じゃないんですか?
 ■田:いえ、正解です。正確には、稲穂を刈り取って脱穀した籾の部分が、お米の種になります。籾殻を取ったら玄米に、精米したら白米になるわけですけど、一粒の籾から1,500粒のお米が育つと言われています。
 ■イ:1,500粒も!!すごいですね。
 ■田:私、そんな風になったら良いなって思ってるんです。この稲刈り体験を通じて何かを学んでくれる子供が一人いたとして、その学びがその子どもの未来に何百倍、何千倍もの身を実らせる。そんな風になったら良いなって。
 だから、そういう意味では、私にとっては一緒かもしれませんね。お米を育てるのも稲刈り体験を開催するのも(笑)。
                 ・・・
 小学生たちが元気にあいさつをしながら、田んぼの隣の空き地にぞろぞろと集合してきたのは、到着した撮影クルーの機材を車から下ろしているときだった。
 晴れ渡った秋空、太陽を受けて輝く稲穂、子供たちの笑顔。開始まではまだ少し時間があったが、私はカメラマンにこのシーンを撮っておいて欲しいとお願いした。良いVTRができる、良いVTRにしたいという思いが私の中から湧き上がってくるのを感じた。
 それから30分ほどで、稲刈り体験が始まった。
 まず最初に、田之上さんが挨拶のために前に立つと、子供たちは、もじもじガヤガヤを全身で表現しながらも、ちゃんと口にチャックをして田之上さんの方に顔を向けた。
 田之上さんは優しそうな笑みを浮かながら、そんな子供たち一人一人の顔をゆっくりと見回した。そして、口を開いた。
 田之上さんの張りのある声が、田んぼに響き渡った。
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