ジャパニーズ・スシ・マン

文字数 3,948文字

「出てって」
 勝手に部屋に入ってきた父親に対して、思春期の高校生男子が投げかける言葉として、それは決して特別なものじゃないと思う。
 もちろん、だからと言って褒められたものでないことは分かってる。
 ただ、僕には特別事情があることも分かって欲しい。
 本当は、身内の恥を晒すようなことはしたくないんだけど、言わないと話が進まないので告白する。
 僕の特別な事情。それは、一般的な父親の領域を超えて父親の口数が多いということだ。
 口数が多いこと自体は、それほど悪いことじゃないだろう。威厳をもって雄弁に語る父親なら、僕もむしろ大歓迎だ。ただ、何事もそうだけど、口数にだって常識的な程度というものがあるはずだ。うちの親父の場合は、その常識なラインというやつを完全に無視している。まるで、規格外のホームランだ。
 顔を合わせば、ぺらぺらぺらぺらと得意げに、喋り散らかす。しかも、その内容に意味はない。発声練習か口角筋のトレーニングかっていうくらいに、本当に意味がない。
 本人がいたって楽しそうなのが、家族としてはまあ唯一の救いだけど、聞かされる方は地獄だ。そんな無駄なことに付き合わされるくらいなら、英単語の一つ、何ならまったく受験には必要のない物理の法則の一つでも覚えた方がよっぽどましだ。
 親父の話がどんなに無駄かということを証明するのは難しくない。幸か不幸か(いや、不幸だ)、その実例が日々猛烈な勢いで増えて行っているからだ。 
 この時だってそうだ。
「いやあさ、何も用がなくって、ただ邪魔しに来たわけじゃないんだよ。ほら、紙ごみ整理してたらさ、これが出てきて」
 と言って、親父が僕に差し出したのは、高校の進路相談の日時が書かれたプリントだった。
「侑都も、もう高校生だからさ、自分の進路は自分で決めたら良いって、お父さん、そう思ってる。思ってるから口出しするつもりはない。侑都が決めたら、それがどんな道であれ、応援する。大きなことは言えないけど、金銭的な支援もある程度はできる。というか、それができるようになるためだけに、お父さん日々の仕事を頑張っていると言っても過言じゃない。
 だから、後から侑都がこう決めたって言う結論だけ聞けばいい話ではある。あるんだけどさ。もし、侑都が自分の進路について、悩んでいたりするんだったら、アドバイスの一つもできるんじゃないかと思って。いや、もちろん、そんな大それたアドバイスじゃないよ。それは分かってる。
 ただ、当たり前だけど、父さんの方が侑都より人生経験が長いし、その分の社会の仕組みや流れなんかも分かってるっていうのはあるだろ。それにほら、侑都も知ってる通り、父さんなんにでも興味を持つ方だからさ、他のお父さんたちと比べてもさ、いや別に他のお父さんをどうこう言うつもりはないよ、アパレル業界で働いてるとかっていう隆史君のお父さんはどうかなって言うのはさて置き、だけどほら、結構広く物事を見てる方だとは思うんだよね。
 で、」
 と言ってちらりと、僕の方を見た。
 すでに分かってもらえると思うけど、この時点で僕はお腹いっぱいだった。お腹が溢れ返って、げっぷ以外のものが飛び出してきそうなくらいだった。
 それなのに、僕は、親父を部屋から押し出すことを一瞬躊躇してしまった。何故か?
 僕は描けない自分の将来に頭を悩ませていたのだ。というか、ほんとやりたいことが何も思い浮かばなかった。正直、猫の手も借りたいくらいだった。
 それでも、自分の将来は自分自身で考えると断固とした態度を取るべきだったのだ。今振り返ればもちろん、その時だってそれは分かってた。それなのに、つい躊躇してしまった。親父に付け入る隙を見せてしまった。
 その一瞬のチャンスを見逃すような親父じゃなかった。
 あっと、思ったときには、もう手遅れだった。合意を得ましたとばかりに、親父の口のエンジンに火が入った。
 こうなると、僕にできることと言えば、呆然と立ち尽くし、嵐が過ぎ去るのをただ待つのみだった。実際、それは嵐だった。どう考えても、思考のスピードを超えるスピードで、次から次へと言葉のトルネードが巻き起こった。
 圧倒された。ある意味で、畏敬の念を抱きそうになるくらいだった。
「まず、これまでの日本のサクセスストーリーは忘れた方が良い。それはつまり、お爺ちゃんやお父さんたちの世代の成功体験を忘れるって言うことだ。自分自身の成功体験を否定するって言うのは、じつはとっても難しいことなんだ。だけど、侑都たち次の世代の若者の成功を考えようとすると、そこから始めないといけない。だから断腸の思いで、父さんもそこから始めることにする。
 侑都も社会の授業で勉強したと思うけど、戦後の日本の驚異的な経済成長は、電気製品や自動車と言った製品の海外への輸出によって実現されたものだ。で、その成長を支えたのが、技術力と日本人の勤勉な国民性だったことは間違いない。間違いないんだけど、そこには忘れてはいけない、前提条件があった。それは、当時の日本という国は貧しかったということなんだ。
 貧しいっていうことは、もちろん幸せなことじゃない。お爺ちゃんの世代の人が、文字通り身を粉にして、汗にまみれながら、頑張って働いたのも、貧しさから脱却するためだ。実際、そのおかげで日本は世界的にも裕福な国の仲間入りをすることができたわけだ。
 ただ、輸出という観点から考えると、貧しさにはメリットもある。それは、安価な労働力が存在するということだ。貧しければ、安価に労働力を調達できる。その逆に、国が豊かになって国民の所得レベルが上がると、製造業の輸出産業の価格競争力が低下する。それは、論理の必然だ。歴史によって証明されてもいる。
 もちろん、技術力の高さや勤勉って言う日本人の国民性が失われたわけじゃない。だからこれから、日本で革新的な製品が開発されて、そういった逆風を打ち破ることがないとは言わない。 
 だけど、局地的にそういうことが起きたとしても、デジタル化や電動化によって、モノ作りがすり合わせから組み立てに変わったことの影響も含めて、残念ながら大きなトレンドが変わることはないと思う。
 とにかく、父さんが言いたいのは、製造業の輸出は難しいって言うことだ。
 そう、そういうことだ。侑都も気が付いた通り、父さんは今、製造業の輸出はってわざわざ断りを入れた。何故か?それは輸出は何も製造業に限定されるものじゃないし、製造業以外の産業の輸出という意味では、まだ日本にチャンスがあると思ってるからなんだ。
 じゃあ、電気製品や自動車以外に輸出するものに何があるかって言えば、例えばハードじゃなくてソフトとかサービスがある。ソフトと言えば、物流や経営管理みたいなビジネスに関連するようなものもあるし、侑都が見てるようなアニメや漫画だって立派なソフトだ。いや、立派なソフトどころか、日本の独自性も強みもある主力ソフトって言ってもいいくらいだ。
 で、ここだと思うんだ。この日本の独自性って言うのが、ほんと大事だと思うんだよ。どんなにいいところに目をつけても、そのビジネスがうまくいって規模が大きくなると、競争、それもグローバルな競争に巻き込まれることになる。
 そこから逃れる数少ない方法の一つが、日本の独自性を打ち出すことなんだよ。
 幸いなことに、日本には、島国というある種外の世界から隔離された場所で、長い歴史をかけて培われてきた、世界に誇る伝統や文化がある。工芸品やお祭りみたいな行事もそうだ。で、その中でも、最たるものが何かと言えば、ずばりそれは和食だ。
 和食という文化には、輸出産業として極めて強い競争力がある。
 実際、和食は世界で広く受け入れられているよね。ただ受け入れられているというだけじゃなくて、フランス料理と同じように、高級料理として受け入れられている。
 特に寿司、特に日本人シェフの作る寿司にはプレミアがつく。食材の確保の難しさや、為替の影響もあるけど、同じレベルの寿司が海外では日本の何倍の値段がすることだってざらだ。
 その意味で、海外に打って出る寿司職人は有望だと思う。
 ただ、どの地域・国に打って出るかも成否を分ける大きな要素になる。
 海外って言ったらまず侑都の頭に思い浮かぶのはアメリカとかヨーロッパだろうけど、欧米には大きな課題がある。もう、日本人の寿司職人が大量に進出していて、日本人寿司職人同士の競争が激化してるんだ。
 競争を避けるための作戦を、競争が厳しい場所で実行するのは意味がない。理想は、日本人の寿司職人がそれほど進出していなくて、でも、これから経済的な成長が見込まれる地域だ。
 中国か?いや、中国もチャンスを逃がした感がある。インドはどうか?インドは有望だ。でも、父さんは、アフリカだと思う。
 意外に思うかもしれない。でも、アフリカの賃金はまだ安く、人口は増え続けていて、特に若年層が多い。生産拠点として考えたときに、ヨーロッパや北米へのアクセスも悪くない。最初はものつくりの拠点として、それから消費地として、アフリカは間違いなく成長する。20年後には今の中国みたいな発展を遂げているはずだ。
 ところで、侑都。アフリカで一番通じる言葉が何語かって知ってるかな?実はフランス語なんだ。アフリカの国は、元々、フランスの植民地だったところが多かったから、そのままフランス語が公用語になってる国が多いんだよ。
 だから、侑都。父さんから侑都に、手短に一つだけアドバイスを贈らせて欲しい。
 フランス語を勉強しろ。そして、アフリカで寿司を握れ」
 僕は、通常の思春期高校生男子以上に断固たる口調で親父に告げた。
「やっぱり出てって」
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