おやすみ スピリット

文字数 3,802文字

 子供の頃も、沙織と二人で並んでよくテレビを観た。二十年以上前の話だ。
 それから私たちは大人になり、私たちが座るソファはすっかりくたびれ果て、あの頃はまだブラウン管だったテレビも大型の液晶テレビに取って代わられた。それでも実家のリビングで沙織と並んでテレビを観ていると、まるであのまま時間の流れが止まってしまったんじゃないかと錯覚しそうになった。
 シチュエーションのせいもある。でもやはりそれ以上に、独特の感覚がそうさせた。誰か他の人と一緒にテレビを観ているというのとはまるで違う、同じ体験を共有している感覚。二人が一人になり、それが沙織の感情なのか、自分の感情なのかすら区別がつかなくなるような感覚。
 何か特別な話のように聞こえるかもしれないが、双子の世界で意識のシンクロは珍しい話ではない。それどころか、双子の一人が手を切り、それと同時に何百キロ離れた場所にいたもう一人が手に痛みを感じたというような、オカルトめいた話だってあるくらいだ。
 そう、沙織と私、香織は双子の姉妹だ。
 小さかった頃はそんなテレビ前での感情の混線のことは何とも思わなかった。それが当たり前のことだと思っていたということもあるし、そもそも沙織の感情と私の感情の間に大きな乖離もなかったのだ。
 だが、小学校も高学年頃になると、お互いに自我が芽生え始めた。当たり前の話だが、双子とは言っても個別の人格がある。下らないが分かりやすい例えを出せば、アイドルの好き嫌いだって沙織と私では違った。
 そうなって来ると、感情の混線はノイズになった。沙織にとってもそれは同じだったのだろう。私たちは、自然に一緒にテレビを観ないようになった。
 私はほっとした。これでようやく好きなアイドルの応援に集中できるようになったと思ったからというのもあった。だけど、それ以上に大きな理由があった。
 それは、私が沙織に知られてしまうのではないかと恐れていたあることが、テレビの前での感情の混線に紛れて、沙織に知られてしまうのではないかと私が怖れていたということだ。
 とにかく、それ以来私たちはそのままテレビの前に並んで座ることがないまま成長し、私は大学に入学するタイミングで、沙織も就職するタイミングで実家を出た。そのまま再現されることもないはずだった。ところが、偶然の積み重ねが、私たち姉妹の空白期間に終止符を打った。
 まず沙織と私の予定がちょうど会い、久しぶりに家族四人、実家で集まろうということになった。次に、張り切った父が、私たちが帰ってくる前にと、庭木の手入れをしていて木から落ちた。幸い怪我の様子はひどくはなかったが、母が病院に付き添うことになったので、沙織と私が2人きりになる時間ができた。
 最後に、私たちがコーヒーを飲もうと座ったダイニングのテーブルの新聞のレビュー欄に、火星探索を巡る一本のドキュメンタリーが紹介されていた。宇宙に対する関心は、沙織と私の数多い(肉体面が中心だが)共通点の一つなのだ。
 そのドキュメンタリーを観ようと言い出したのは、沙織の方だった。
 一瞬、件の沙織への隠し事が頭を過ぎり躊躇した。だが、不自然な間を空けることもなく、私は同意した。申し出を断って変な感じになるのが嫌だったし、大人になったことで自分の感情をコントロール出来るようになっているという自負もあった。
 こうして長い年月を経て、再び沙織と私はテレビの前のソファに並んで座った。
 面白いもので、沙織の隣に腰を下ろした瞬間、ラジオのスイッチを入れたような感覚を覚えた。今ならW-Fiの接続とでも言うべきなのかもしれないが、そのどこかと繋がるような感覚は、私にはやはりラジオのスイッチを入れたと言う方がしっくり来た。
 緊張で身体が固まるのが自分でも分かった。だけどそれと同時に、自分がそんなラジオのチューニングを上手く調整できている手ごたえを感じた。これなら、大丈夫だ。沙織に気付かれないように小さく息を吐いた。
 そうなると、そのドキュメンタリーには私を観るのが急に楽しみになった。番組が始まる前には、昔と同じように沙織と笑顔を交わしたほどだった。
 だけど、そんな浮かれた気持ちは15分も続かなかった。
 私は、その番組を選んでしまったことを猛烈に後悔した。番組が、つまらなかったわけじゃない。ただ、私たち姉妹にとって、それはあまりに皮肉な内容だった。
 ドキュメンタリーのタイトルは、『おやすみ オポチュニティ』。当初の計画の90日を大幅に超える15年という途方もない長期間、火星でのミッションを続けたロボット、オポチュニティが主人公の物語だ。
 NASAによるオポチュニティの開発や、地球から火星への旅路、火星の環境、そして何よりオポチュニティの火星での驚くような冒険は本当に興味深く、ミッションに携わったスタッフとオポチュニティの絆にも心を揺さぶられた。
 もし、誰かにお勧めのドキュメンタリーを聞かれたら、真っ先に思いつくだろうというくらいの傑作だった。
 ただ一つ問題があった。
 オポチュニティは双子のロボットだったのだ。
 オポチュニティと同時に開発されたもう一体のロボット、スピリット。スピリットもまた同じミッションで火星に送り込まれ、そしてオポチュニティの15年には及ばないが6年という計画の20倍以上の期間、火星でミッションを遂行した。
 スピリットとオポチュニティでは、着陸・探索したエリアが違うかった(スピリットのエリアの方がずっと過酷だった)ことを考慮しても、スピリットの功績はオポチュニティのそれと比べても何ら見劣りしないものだった。
 だが、タイトルからも分かる通り、この物語の主人公は双子のロボット、オポチュニティとスピリットではなくオポチュニティだ。
 このドキュメンタリーの中ではスピリットも取り上げられている。だけど、そこからは、どうしてもオポチュニティの物語の一部という感が拭えない。
 それは製作者の意図とは違うのだろう。だけど、私にはそう感じられた。さらに言えば、ドキュメンタリーのスタッフのインタビューや昔の映像からも、実際のミッションもまたオポチュニティを中心に回っていた、そんな印象を受けた。
 そしてそれこそが、私がこのドキュメンタリーを沙織と並んで観たことを後悔した理由であり、私が二十数年前に沙織と一緒にテレビを観ることを止めた理由だった。
 私は、オポチュニティなのだ。
 子供の頃から沙織と私のスペックは同等だった。双子だから当たり前だろうと思うかもしれないが、見た目がそっくりであっても、勉強やスポーツの才能に大きな違いがある双子というのは決して珍しくない。
 だけど、私たちは、好きなアイドルのタイプこそ違えど、全てにおいてまるで同じ型・ライン・プログラムで作られたような双子だった。そう正に、スピリットとオポチュニティがそうであったように。
 進学や就職、恋愛においてすら、私たちが残してきた足跡に大差はない。それなのに、沙織と私に対する世間の扱いには雲泥の差があった。
 実家、ご近所さん、学校、全てのシチュエーションにおいて、舞台の中心にいてスポットライトを浴びているのは、常に私の方だった。あからさまに両親や、友人が、沙織と私に対する接し方を変えていたわけではない。でも、分かってしまうのだ。みんなの関心が、沙織ではなく私に向けられていると。
 もちろん、子供の頃はこんな風にきちんと頭の中が整理されていたいなかった。だけど、自我の目覚めと共に、私はこの事実に気が付いてしまったのだ。申し訳なかったし、その事実を、私がその事実に気が付いていることを沙織に知られることが怖かった。
 だから沙織と並んでテレビを観ることが無くなった時、私は子供心ながらに安堵を覚えたのだ。そして、その事実は永久に葬り去られたはずだった。
 ところが、大人になったという自分への過信と、よりによってもな番組の選択が全てをぶち壊してしまった。予想外の展開に、私はひどく混乱し、スピリットに沙織を重ねて見ていることどころか、過去からの私の沙織に対する罪悪感も含めて全てが駄々洩れになってしまった。
 どうしよう。どうしよう。
 途中からは番組の内容なんてまるで頭に入ってこなかった。頭にあったのは、このドキュメンタリーが終わった時に、沙織にどう対応しようかということだけだった。
 いく通りもの言い訳を考えた。だけど最終的には、諦めた。感情が繋がった相手に、表面的な言い訳をいくら並べたとことろで、嘘にしかならない。
 そして、覚悟した。
 素直に謝ろうと。
 沙織の分も含め双子の注目を一身に浴びてきたこと。そのことに気が付いていながら何もしなかったこと。そして、そのことに対して心の奥底で抱いていた優越感。そんな全てを謝ろうと。
 許してもらえるとは思っていなかった。だけど、謝ろうと決めた。謝ると決めた以上は、沙織から言われて謝るのではなく、こちらから話を切り出そう、そう思った。だから、エンディングが近づいてからはカウントダウンだった。
 ドキュメンタリーの最後は、短い一言で締め括られた。
「おやすみ オポチュニティ」
 そのメッセージと、沙織と私が向かい合ったのは正に同じ瞬間だった。
 さすがに双子らしく、私たちの言葉は見事にシンクロした。
「今まで、ごめんね!」
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