復讐の日

文字数 4,042文字

 ついに思い知らせてやる時が来た。私の心は踊った。
 ヴァーチャルで生理痛を体験できる装置について知ったのは、テレビの朝のニュースだった。
 男女問わず生理に対する知識や対処法を広げることで、格差のない社会の実現を目指す。その第一歩として、お腹の下部に装着した電極パッドから電気刺激を流すことで、生理時の腹部の痛みを再現し体験してもらう。
 関西の大学の取り組みを紹介した3分程度の短いニュース。だけど私にとってはそれは、大げさではなく天からの恵みだった。目の前の霧が晴れ、そして開かれた私の視界の先には、復讐の道筋がはっきりと浮かび上がっていた。
 生理にずっと苦しめられてきた。
 始まりは中学2年生の3学期だった。小学校4年生のときに始まった子もいて、周りの友達の中では私が一番遅かった。個人差があるから問題ないとお母さんは言ってくれたが、自分の身体は大丈夫なのだろうかと心配だったし、他の子供たちだけが大人になっていくようで寂しかった。
 だから、ほっとしたし嬉しかった。その夜に食卓に並んだお赤飯の対する、普段ならイラっと来たに違いない、お父さんのわざとらしい素っ気ない反応も全く気にならなかった。次の日に、自分用の生理用品をお母さんと買いに行ったときは、思わずスキップしたほどだ。
 だけど、そんな舞い上がった気分もつかの間の出来事だった。その1ヶ月後には、砂上の楼閣は、もろくも崩れ去った。崩れ去ったどころか、吹き飛ばされて跡形もなくなった。
 生理痛が信じられないくらいに痛かったのだ。出血することに伴う不快感や、体調不良も辛かった。だけど、何より生理痛がきつかった。それまでに感じたことがないような下腹部の痛みは、立っていられないどころか、うずくまっても耐えきれないほどだった。
 薬を飲めば痛みは和らいだが、それでも尋常ではなかった。自分の身体が自分をこんな風に攻撃するなんて、信じられなかった。これから40年以上、毎月この痛みがやって来るのかと思うと、絶望的な気持ちになった。ようやくその月の生理が終わっても、次の生理のことを考えると憂鬱になった。
 そんな生理に対する負の感情を、私が自分自身の問題から外側の世界に対する憎しみの理由に置き換えるようになったきっかけは同級生男子だった。
 私だけでなく、全ての女子生徒が生理に苦しめられている中、そんなこと何も知らずに能天気に生きている男子に対する私の視線は、羨望から蔑み、そして憎しみのそれへと変遷していった。男子が、生理という話題に対して、興味があるのに興味がない振りをする感じも気持ち悪かった。
 男子だけではなかった。中学でも高校でも、中年世代以上の男性教諭は決まって、生理に対する理解がないどころか、まるで生理が女性の特権でもあるかのように、生理の辛さを訴える私たちに厳しい態度で接してきた。
 社会もそうだ。街づくりやシステム構築において、生理という特殊事情を抱える女性に対しての配慮が一体どこにあるのだ。
 ことあるごとに感じてきた私の思いを決定的なものにしたのは、大学受験の失敗だ。それだけが理由だというつもりはないが、第一志望の大学の受験日に、試験問題だけではなく生理痛とも戦わないといけない羽目に陥った私は、受験に失敗した。
 薬を飲めば良かったのだが、頭がぼんやりするのが嫌だった。もちろん、生理が理由の救済措置なんてあるはずもなかった。模試ではいつも私よりも判定が下だった同級生の男子がその大学に合格したことも、追い打ちをかけた。
 結果的に入学した今の大学で、私はそれなりに楽しいキャンパスライフを送っている。生理は当たり前だが毎月やって来るが、生理に関しての男性や社会に対する穏やかならざる感情のことは忘れていた。忘れていると思っていた。
 でも、そうじゃなかった。
 あの朝、テレビのニュースを見た瞬間に私は思ったのだ、この装置を使って生理痛の苦しさを男性どもに教えてやろうと。正直に言おう。私には、科学的やら社会的やらの意義なんて、どうでも良かった。私を突き動かしたのは、ずばり復讐の思いのみだった。
 思い立ったが吉日。ニュースを見たその日の午後には、私はNPOサークルの和美と理工学部の志保を大学のカフェテリアに招集していた。
「再来月の学祭のサークルの出し物なんだけどさ、生理痛を男性に体験してもらうって言うのはどうかな?」
「生理貧困とか、生理に起因する不平等は、社会的な課題になってるから面白いと思うけど、そんなのできるの?」
 社会課題に関心ある和美の呑み込みはさすがに早かった。私はリケジョの志保の方にタブレットの画面を見せながら言った。
「それが、活動を広げる目的で、その機械の設計図?みたいなやつが、ネットに公開されてるんだよ。ね、志保、こんなの作れる?」
「うーん、回路自体は簡単だし。全く同じものじゃないけど、抵抗とかの電子部品を少し買い足したら、研究室にある材料で、近いものは作れそう」
「よし、じゃあ決定!!和美、サークルの人とスペースを使わせてもらう調整をお願い。志保は、早速準備始めて。必要な経費は私が出すから」
「裕子。あんた、そんなに社会問題に関心あったっけ?」
「なかった。けど、今朝目覚めた」
 二人の疑わしげな視線をものともせず勢いよく立ち上がると、私は復讐に向けて一歩踏み出した。
                   …
 機械が出来上がったと志保から連絡があったのは、それから二週間後のことだった。和美と私は、志保の研究室に足を運んだ。
 志保のデスクの上に置かれていた機械は、コントローラーらしい5つのスイッチが付いた四角い箱と、そこから伸びた先端が二つに分かれていてそれぞれの先にパッドが付いたコードから構成されていた。
「なんか、家にある肩こり治療機みたい」
 和美が、私が思ったのと全く同じことを言った。
「まあ、理屈は同じだから。とりあえず、そのパッドを下腹の左右につけて見て」
 他の学生はいなかったので、シャツを少し捲って、言われた通りにパッドを付けた。
「あとは、スイッチを入れて、ボタンを押すだけ。強度は5段階あるけど、どれにする?」
「とりあえず、一番下で」
 少しビビっている私の態度にはまるで気を使う様子もなく、志保が淡々と機械を操作すると、すぐに下腹部が収縮するような感じが私を襲った。
「わ、これすごいリアル。ほんと、あの時の感じ」
「痛さは?」
「痛さは、いつもよりは全然楽」
「じゃあ、二段階目ね」
 痛みが増した。
「一段階上がると、だいぶ違うね。でも、まだましかな。わあ、あ痛たたた。そうそう、まさに、こんな感じ、こんな感じ」
 志保が勝手に強度を三段階目に上げたのだ。
「せっかくだから、もう一個上と」
「え、ちょっと待って。痛い、痛い!」
 私は、思わずその場にしゃがみこんだ。
「へえ、面白そう。私も、つけさせて」
 痛がる私を見ていて、逆に興味が湧いて来たらしく、和美が実験を引き継いでくれた。
 私と同じように、順番に志保が強度を上げていった。一段階、二段階、三段階まで行っても和美は顔をしかめる程度だった。
「四段階目にあげても、良いよ」
 志保がスイッチを押した。大騒ぎを想像したが、和美の反応は冷静だった。
「私の痛みはこれくらいだな」
「え、そんなに痛いの?」
「生理痛って言っても人によって痛さは全然違うからね。でも意外とそのことが分かってない女の人が多くて、生理痛が重い人にとっては、男性よりも生理痛が軽い女性の方が、理解してもらえないって言う問題が実はあったりするんだよね」
 なるほど、それはあるかもな、と一瞬、この機械の社会的意義の側面に深く頷いた。だけど、一瞬だった。
「痛い痛い痛い、これは無理だって!!」
 最大パワーをくらって、和美がのたうち回っていた。
 その姿を見て確信した。
 これはいける!!本来の趣旨が私の中でふつふつと蘇ってきた。
 復讐の準備は整った。
                   …
「ぎゃー!!」
 学祭の日、和子のNPOサークルの出展ルームは、生理痛を体験してみようという男性の行列と、体験した男性の叫び声で溢れ返り、異様な熱気に包まれていた。
 イベントの社会的意義を理解して、単なる好奇心、友達とのおふざけ。参加した男性の動機はそれぞれだった。体験の前後に、真面目に説明をしている和子に対しての後ろめたさもあって、そのことに関して休憩時間に和美に尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。
「それは、全く問題ない。今回の企画もそうだけど、私たちの活動で大事なのは、体験してもらうこと自体よりも、興味を持ってもらうことなの。どんな形であれ、より多くの人に興味を持ってもらうことができたら、例え割合は少なくても、結果的にアウトプットのボリュームは増えるわけだから。その意味で、今日の企画は大成功」
 満足げな、和美の様子に救われた。そしてそのおかげで、私は心置きなく復讐の蜜を味わうことができた。
 目の前の男性が、大げさなリアクションを取るたびに、大きな氷の塊が溶けて、温かな何かが私の心を満たしていった。次から次へとやって来る、穏やかな快感に、ついつい口元が緩み、ポーカーフェースを保つのが難しいくらいだった。
「どう、機械の調子は問題なかった?」
 幸せな一日が終わり、部屋の片づけていると、ロボット体験をやっていた志保が白衣のままやってきた。
「機械の方は絶好調だった」
「機械の方はって、他に何か問題があったの?」
 さすが志保だった。私は、和美には聞こえないように気を付けながら、少しだけ本音を漏らした。
「せっかくだから、段階的にもっと痛いのを体験させたかったんだけど、大げさに痛がるもんだから」
「まあ、女性の方が痛みに強いって言うからね」
「でも、全員が、この1のボタンでギブアップだよ。弱すぎない?」
 志保の表情が固まった。
「え、言ってなかったっけ。1が最大パワーだよ」
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