邂逅

文字数 4,021文字

 どんな些細なことでも共通点というのは人を近づける。
 共通点にも色々あって、その中には人間関係の強化との関連が分かりやすいものがある。
 例えば、テニスが共通の趣味だったとする。練習は一人でもできるが、試合は相手がいないとできない。テニスが趣味の別の誰かがいれば、一緒に試合ができる。他にも、共通の好きな作家がいたとすれば、その作家のお勧めを教えあったり、読んでいない本を貸し借りしたり、感想を語り合うこともできる。
 つまり、そんな趣味とか嗜好といった共通項には、お互いを近づける必然性やメリットがあるというわけだ。こういうのは分かりやすい。
 だが、出身地とか家族構成とか血液型みたいな共通点は、それが共通しているからと言って、それがどうして親しくなる理由になるのか、その因果関係は不明だ。お互いにメリットなんて何もない。もし仮に家族構成が一緒だったとして、それがどうだと言うのだ。
 それなのに、
「私、父と母と姉の4人家族なんですよ」
「え、私もです!じゃあ、子供の時はやっぱり少女漫画とか読まれましたか?」
「読みました!姉の部屋の本棚から勝手に持ち出して、良く怒られてました」
「分かります、分かります!今度、飲みに行きませんか?」
「ぜひ!」
 と、わざわざ、どうでも良いあるある探してまで親しくなろうとする。
 この現象を無理やり説明しようとすれば、結局のところ、「自分は正しい」というのが人の基本的な価値観だということなのだろう。自分は正しい。ということは自分と共通点がある人は、正しい側の人間であるはずだ。という、根拠のない信頼感が、親しくなるきっかけになっている。
 ある深夜、リビングルームで缶ビールを飲みながらそんなことを考えていた。
 夕食を終えて、いったん就寝したのだが、夜中に目が覚めた。そこから寝付けなくなって、飲み足りない感もあったので、こっそり寝室を抜け出したのだ。本当はグラスで飲みたかったが、グラスは洗わないと嫁さんに怒られるし、洗うのは面倒だった。
 ところで、どうして夜中にそんなどうでもいいことを考えていたのかということだが、そこには最近私の身の上に起きた、一つの事件が関係していた。きっかけは3ヶ月ほど前に高山氏という、四十代前半とまだ若い、新しい営業本部長が着任したことだった。
 高山氏は、うちにやって来る前は本社で経営企画を担当しており、今回の抜擢さえもキャリアパスだろうと噂されるくらいのエリートだ。
 通常、こういう人事はとかく妬みや嫉みを生むものだが、今回はそれがなかった。おそらく、どうせキャリアパスなのだから在任期間はそれほど長くないだろうという推定があったのと、高山氏のキャリアが私たちのそれとあまりにかけ離れているからだろう。
 というわけで、高山氏はどこか距離を置いて受け入れられたのだが、みんなが一つだけ我が事として高山氏の動向に関心を払ったことがあった。それは、高山氏が誰を自分の右腕に選ぶのかということだった。
 うちの本部では、本部長が変わると企画部長も変わるのが常だ。
 本部のトップとして組織マネージメントを行う上で、自分の考え方やポリシーを熟知した人間をそばに置くというのは理解できる。コンプライアンス違反や組織内対立などの火種を生むというリスクはあるが、結局のところ経営層はその点も含めた結果で評価されるわけだから、それなら自分がやりたいようにしたいと考えるのも当然だろう。
 これまでは、長年同じ部署で働いてきた部下をそのポジションに当てるというのが、お決まりだった。ある意味、企画部長のポストは、これまで自分に忠誠を誓ってきた部下に対する恩賞だったわけだ。
 だけど高山氏の場合は、営業本部の中に以前に仕事を一緒にしたことがあるという者が皆無だった。高山氏が本社から誰かを連れてくるということもなかった。
 現在の企画部長は、前本部長が赴任したシンガポール販社に異動することが決まっている。そうなると、必然的に、高山氏は参謀を現地調達することになる。それは単に企画部長というポジションを手にするということに留まらなかった。それ以上に大きいのは、高山氏という今後さらなる躍進が保証されている人材とのパイプができるということだった。
 誰が高山氏という超勝ち馬に乗ることができるのか、社内はその話題で持ちきりだった。
 なんて言うと他人事のようだが、実は私もその候補の一人だった。
 私は営業本部での勤務が長く、本部内でもいくつかの部署を経験してきている。若い頃には主力工場に出向していたということもあり、製品やもの作りの知識も持ち合わしている。今回が初めての営業本部で、事業場の経験もない高山氏のサポート役として必要な経験とスキルが私には備わっていた。
 それに加えて、私は歴代の本部長の誰からも特別に可愛がられていたということがなく、派閥間のパワーバランスに影響与えるような色がついていなかった。私以外の候補者は、これまでの本部長の誰かにははまって、現在のポジションについているメンバーばかりだった。
 そんな皮肉な理由で、私を最有力候補者と目する向きも多かったほどだ。
 だが私は、そんな社内の憶測を他人事のように眺めていた。
 本部長付きの企画部長と言えば参謀だ。参謀には、知識だけでなく、裏技も含めた政治力や、力ずくで状況を打破するような強さが求められる。だけど、私にはそんなものはない。全くない。自慢じゃないが、これまでの本部長にはまってこなかったのには、それなりの理由があるのだ。
 それに、歳も私が一番上だった。高山氏や他の候補者より一回り以上上で、定年が延長される前ならカウントダウンが始まっている年齢なのだ。
 このポジションは、私には来ないな、そう思っていた。実際、他の候補者は高山氏と面談しているらしいと言ったような情報もあったが、私は直接、高山氏と会って会話したこともなかった。そう、あの時までは。
 私の高山氏との初めての邂逅の場所は、トイレだった。
 朝一のメールチェックを終えると、私は席を立ち、トイレに向かった。デスクに戻る途中に、コーヒーを淹れようと考えていた。用を足して手を洗っていると、誰かがトイレに入ってきた
 高山氏だった。
「ああ、小島さん」
 まるで、前からの知り合いでもあるかのように、高山氏は私に話しかけてきた。高山氏に関して、勝手な神話的想像をしていたので、その親しさは意外だった。高山氏が私のことを知っていたことにも驚かされた。
「小島さんには、ご挨拶させていただかないとって思っていたんです」
 高山氏はわざわざ立ち止まってそんなことまで言った。
「とんでもないです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「こんな場所では何ですから、また今度ゆっくり」
 そんな短いやりとりをして別れた。社交辞令だというのは分かっていたが、悪い気はしなかった。
 それでも、また今度ゆっくりは、空約束に終わるだろうなと思っていた。あったとしても、だいぶ先になるだろう、と。ところが私の、そしておそらくは高山氏のも、予想に反して、また今度はすぐに訪れた。
 二回目もまたトイレだった。食堂でお昼ご飯を食べた帰り、エレベーターを降りると私はそのままトイレに立ち寄った。ドアを開けた、するとそこに、手を洗っている高山氏がいたのだ。さっきと全く逆の状況だった。
「ああ、お疲れ様です」
「また、こんな場所でしたね」 
 私の方から頭を下げると、高山氏は嫌そうではない苦笑いで応えた。それだけだ。私が脇によけると、高山氏は会釈をしながらトイレを出て行った。
 別にトイレで二回会ったからと言って、何でもないことだ。ただ、二度あることは三度ある。その日の夕方、経理に書類を提出してからトイレに行ったときも、まだ私は少し緊張していたほどだった。身構えながら、トイレのドアを開けた。誰もいなかった。
 拍子抜けしたが、別にそれが当然だった。経理と営業ではフロアが違うのだ。ほっとしたのかがっかりしたのか、自分でも分からないような微妙な感じを味わっていた。すると、個室の方から水を流す音が聞こえてきた。
 ガチャっと音がして、人が出て来た。まさかと思った。高山氏だった。
 気まずくなりそうなシチュエーションだった。だけど、それよりも笑えた。高山氏も同じ気持ちのようだった。
「ライフサイクルが近いのかもしれませんね」
 いかにも楽しそうにそう言うと、もう一言付け加えた。
「さっきの、また今度の件ですが、秘書から連絡させていただきますので、近々で設定させてください」
 結論から言うと、面会は空約束に終わることなく、その三日後に実現した。そして私は高山氏付きの企画部長になった。
 結局のところは誰でも良かったのだと思う。たしかに組織や人に精通した人間が近くにいれば助かるだろうが、高山氏クラスの実力とポジションがあれば、そんなことで苦労するのは、本当に最初の内だけだ。
 そんな誰でも良い選択肢の中から私が選ばれた理由の内、ライフサイクルの共通点がどれだけの割合を占めているのかは分からない。ただ、このことがきっかけで高山氏が私を少し近く感じたのは確かだろう。
 面白いもので、一緒に仕事を始めてから、高山氏と自分のリズムの近さを実際に感じることがある。もの考え方とは少し違うのだが、なんか波長が合うのだ。こういうのは一方通行ではないから、おそらくは高山氏も同じようなことを感じているだろう。
 そんなとき、高山氏がライフサイクルの近さを思い出すことがあるかもしれない。
 なにせ、その日に三回トイレに行って三回とも、つまり百パーセントの確率で私に会ったのだから。
 でも、高山氏は知らない。
 私は一人きりのリビングルームで缶ビールを飲み干すとニヤリと笑った。
 高山氏にとって三回目のあのトイレが、私にとっては六回目のトイレだったということを。
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