それでも首都高は流れている

文字数 3,994文字

 物心ついた時からずっと、他人と同じは嫌だと思っていた。
 他人とは違う、それが私の選択基準だった。
 幼稚園のお遊戯会の役決めの時でも、みんながやりたがるような主役のお姫様ではなく、お姫様をいじめる継母の役を選んだ。小学生になって音楽を聴くようになると、万年ネクストブレークの歌手を応援した。思春期になってからも、バスケ部のキャプテンや生徒会長の男の子には目もくれず、昆虫博士として有名だった卓球部の準レギュラーに狙いを定め見事に射止めた。
 つまり、私は私自身の選択基準通りに生きてきたわけだ。
 自分の決めた基準通りに生きる。そういうと聞こえは良いが、一つ問題があった。
 それは、私が他人と違ってなんていなかったことだ。それどころか、私の趣味嗜好はどちらかと言えばベタな方だ。私は他人と同じが嫌なだけなのだ。
 当然の結果として、私の人生は後悔の連続だった。
 お遊戯会の時は心の底からお姫様役の女の子のドレスを羨ましく思い、継母役の自分の意地悪色したワンピースが嫌で、家で泣いて暴れた。いつまでも売れない歌手には人の心をつかみきれない何か決定的な不足があり、結局のところ私の心もつかむことはなかった。もちろん、卓球部の純レギュラーも、彼が愛して止まない昆虫のことも最後まで全然好きになれなかった。
 それじゃあ、お姫様役になれば良かった。数曲同時にトップ10入りするような歌手を応援すれば良かった。バスケ部のキャプテンにアタックすれば良かった。のかと言えば、ことはそう単純じゃない。
 結局のところ、そんなこんなは私の性なのだ。自分の性に反した人生を歩んだとしても、必ずどこかで致命的な歪みが出てくるのだ。それくらいならば、楽しくなくても自分の性に素直に生きた方が良い。
 そう自己分析をすることが出来るようになったずいぶん後の話だ。それでも、小さい頃から私はそのことを本能的に察していた。なので、後悔はしていたけれど、しょうがないよなと現実を受け入れて生きてきた。
 ただ、そういう偏屈な私にも自己顕示欲は人並みにあった。むしろ、人生において負の遺産を抱えている分、他人から一目置かれたいという欲求は他の人たちよりも強かった。
 そんな私の夢、それはNHKの女性アナウンサーになって朝のニュースを担当することだった。
 NHKでなくても、アナウンサーというのが世間から一目を置かれる存在であることに変わりはない。でも、民放の朝の情報番組のMCを務める女性アナウンサー、いや女子アナでは駄目だった。
 民放の女子アナはNHKの女性アナウンサーよりも、ずっとおしゃれな服を着て、学生時代は私立大学のミスキャンパスみたいな華やかな経歴を持ち、男性アイドルやスポーツ選手たちともまるで友達みたいに親しげに会話し、親しげの延長線で結婚することだってしばしばだ。
 一目置かれるどころか、多くの女性にとっての憧れの職業と言っていいだろう。だが、その多くの女性にとってのというところが、私の偏屈な性に合わなかった。さらに言えば、女子アナになったから憧れられる、というよりも、憧れられるために女子アナになるという構図が嫌だった。
 自己顕示欲からNKHの女性アナウンサーになりたいと夢見る私にそんなことを言う資格がないことは十分すぎるくらいに分かっている。でも、嫌だった。
 それに比べるとNHKの女性アナウンサーは違った。
 そういう専門のスタイリストでもいるのだろうかというくらいに、皆が皆そろって単に地味というだけではなくてあか抜けない服装、学生時代は国立大学で奨学金をもらいながらきっちり勉強していましたという面立ち、そして丁寧な口調、親しみやすさを醸し出しながらも取材対象に決して近づきすぎることのない距離感。
 何より、自分のスキルを活かすことを考えたら、行き着いた先がアナウンサーだったというだけで、憧れられたいなんてちっとも思っていない、それどころか出来ればあまり目立ちたくない、という感がにじみ出ているところが素敵だった。
 実際のところは、目立ちたい気持ちを押し隠しているだけの、超演技派集団なのかもしれない。仮にそうであったとしても、それならそれで良かった。ちっとも構わなかった。大事なのは、私の目にNHKの女性アナウンサーはそう見えているということなのだ。
 真剣にNHKの女性アナウンサーを目指すようになったのは、中学3年生の時だ。それから高校3年生になり、将来に進路も視野に大学の志望校を決めるときになっても、私の思いが変わることは一度もなかった。
 たまにNHKの女性アナウンサーらしからぬ、民放女子アナ的なアナウンサーが出てきて、私のNHKの女性アナウンサー像が脅かされることはあった。だが、そういった輩は、NHKという組織に、迅速かつ巧みに居場所なり持ち味を奪われ、表舞台から姿を消していった。さすがNHKだ。
 というわけで、大学は地元の県立大学に進学した。国立大学に進む学力がないことは、最初から分かっていた。私立は、民放女子アナ色が強すぎて眼中になかった。何も知らない両親は、親孝行な娘だと喜んでくれた。
 大学では放送部に所属した。女子アナ研究会というのもあり、一度覗いてはみたのだが、それは女性アナウンサーを目指す場所ではなく愛でる集団だった。昆虫博士にはファーストキスを許せた私をもってしても、太刀打ちできないオーラを抱えた集団の巣窟で、早々に逃げ帰った。
 ということで、学食の新しいメニューや教室の変更といった、必要ではあるが、まるで面白みのない情報の放送に携わるようになった私は、そこで衝撃的な出会いをする。
 同学年の玲子だ。
 放送部は部員も少なく、入部すると新入生もすぐにいくつかの放送の担当を任されたのだが、そこでの玲子が度肝を抜かれるくらいに凄かったのだ。
 正確な発音とイントネーション、耳障りの良い声とリズム。曲がりなりにも、NHKアナウンサーを目指してきた私は、アナウンスの上手い下手に関しての耳はそれなりに持っていると自負していた。そんな私にとって玲子のアナウンスはまさに理想だった。いや、私の理想を超えるアナウンスを玲子は実現していた。
 構内の掲示板に貼られるような情報でも、玲子が読めばそれはニュースになり、情報を受け取る生徒たちはリスナーになった。
 あまりに上を行き過ぎていて妬むことすらできず、私と玲子は友達になった。
「そんなに、原稿読むの上手なんだから、テレビのアナウンサーにでもなればいいのに」
 前々から玲子に尋ねたかった質問を、私が玲子に投げかけたのは、ある日の飲み会の帰り道のことだった。
 お酒の勢いを借りての質問だった。ところが、玲子の回答は私の酔いを一気に醒ますようなものだった。
「うん、正直言えば子供の頃からアナウンサーにずっとなりたかったの。そのために、高校生の時には親に頼み込んでスクールみたいなところにも通わせてもらったりして。でもね、そこで技術を学べば学ぶほど気づかされることになったの、私には届かない夢だって」
「えっ、そうなの!?でも、ほんと玲子のアナウンスってテレビのアナウンサーとかと変わらないくらいだと思うけど。あっ、民放局の女子アナとかはさ、アナウンスのスキルだけじゃないし倍率も高いだろうから、可能性は高くはないかもしれないけど、地味なNHKのアナウンサーくらいなら絶対いけるよ」
 玲子のためというよりも自分のために必死な私のそんな一言を、知ってか知らずか玲子は苦笑すら浮かべて一蹴した。
「無理無理、NHKこそ絶対無理。民放だったら、生まれ変わって見た目が今の百倍良くなったら可能性が1パーセントくらいあるかもしれないけど、NHKは無理。あの人たちのアナウンスレベルは転生無限に繰り返して仏陀にでもならないと、ほんとノーチャンス」
 足元の地面が崩れ落ちるような気がした。
 信じられなかった。信じたくなかった。
 もしこれが玲子の言葉でなかったとしたら、信じなかっただろう。でも、玲子だった。私が心の底からすごいと思っていた玲子だった。
 私が気象予報士の資格の資料を取り寄せたのはその翌日のことだ。女性アナウンサーとしては難しくても、お天気お姉さんとしてならば、NHKの朝のニュースに出る可能性があるんじゃないかと考えたのだ。資格を取ってしまえば、少なくともスタートラインに立つことはできる。
 すでに目的とプロセスが入れ替わってしまっていることは自分でも分かっていた。でも、私の青春時代を成仏させるためにも、今更立ち止まれなかった。
 ところが、私のそんな目論見は甘かった。塩キャラメルパフェより甘かった。
 気象予報士の試験に立て続けに落ちたのだ。
 必死に勉強した。だけど試験には落ちた。二回ともまるで手ごたえなく落ちた。番組の中ではゆるキャラ的な扱いの気象予報士だが、実は合格率が五パーセント程度という狭き門だったのだ。
 気が付けば就職活動の時期を迎えていた。焦った。大学を出て働かないで済むほど、裕福な家庭ではない。就職浪人したからと言って、気象予報士の試験に次は必ず通るという自信もなかった。でも、NHKの朝のニュースに出るという、夢だけは諦められなかった。
 もがき苦しんだ。でも前に進むしかなかった。それが、性という私が背負った十字架だったから。
 そして今、私の毎朝はNHKの朝のニュースの出演から始まる。
 そう、私は夢を叶えたのだ。ニュース原稿を読むわけではない。お天気を予報するわけでもない。それでも、たしかにNHKの朝のニュースには私の出番がある。
 私の役割、それは首都圏の道路状況を伝えることだ。
 私は道路交通情報センターに就職したのだ。
 私は夢を叶えた。首都高は今日も順調に流れている。でもなぜか、私の心は充たされていない。
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