キング・オブ・ザ・ゲーム

文字数 4,058文字

「今、少し話せるか?」
 大野雄太から電話がかかってきたとき、その時がついにやって来たという予感に、俺の心は震えた。
 俺には、人生の不公平要素と呼ぶ、人間としての基礎的条件がいくつかある。例えば、顔、身長、運動神経。こういったやつは、自分自身の努力で何とかするということが出来ない。UNOでいう配られた手札みたいなやつだ。
 ところが、人生を八十年と仮定して、その約四分の一にあたる時間は、これらの不公平要素のみが、人間としての価値を決めることになる。UNOで言えば、まだゲームが始まる前に、手札の強弱を競い合っているような時間。だが、実際の実際の人生においては、その時間が割り振られているのは、前座などではなく青春時代と呼ばれる特別な時間だ。
 さっき、その長さを人生の約四分の一と言ったが、それはあくまでも絶対的な長さに過ぎない。人生における比重で言えば、青春時代は四分の一どころか三分の一、下手したら半分以上を占めると言っても良いだろう。
 つまり、人生の半分は、自分の努力とは関係がない、配られたカードで評価が決められてしまうというわけだ。
 そして俺は、ドロー4やドロー2はおろか、ワイルドカードのような特殊カードすら1枚も配られることなく、この世に生を受けた。
 この事実に俺が気が付いたのは、忘れもしない中学校2年生の夏。補欠だったバレーボール部で、レギュラーの同級生が打つスパイクの球拾いをしていた時のことだった。
 不思議なことに、残酷な現実を突きつけられたにもかかわらず、俺は冷静だった。まだ青春時代は10年近く残っていたが、自暴自棄になることもなかった。ただ、せめて残りの半分の人生は、自分より良いカードを配られた奴らを見返してやろう、そう気持ちを切り替えた。多分、子供の頃からうすうす気が付いていたんだと思う。
 その日から俺は、勉強に打ち込むようになった。もちろん頭だって、配られたカードであることに違いはない。でも、こっちはまだ努力次第でなんとかなると思った。いや、そう自分に言い聞かせた。
 そのおかげで、高校、大学と、トップクラスとは言えないが、それなりに上位の学校に進学し、一部上場の医薬品メーカーに就職することが出来た。この時点で、ある程度、俺は手札の呪縛から解放されたはずだった。ところが、就職した俺の前に、ラスボスとでもいうべき存在が立ちはだかった。
 それが、大野雄太だ。
 うちの会社には実業団バレーボールチームがある。チームにはプロ契約を結んでいる選手もいるが、ほとんどの選手は雇用形態としては会社の正社員で、バレー部に出向する形になっている。正社員と言っても、完全にバレーボールを優先する生活を送っているため、一般の社員と交流する機会はほとんどない。ただ唯一、入社時の導入研修だけはその他の新入社員と一緒に受けることになっている。
 大野は、そんな同期入社のバレーボール部員だった。
 俺は入社する前から大野のことを知っていた。いや、恐らく、俺以外の新入社員のほぼ全員が大野のことを知っていたと思う。その理由は簡単だ。大野が有名人だったからだ。
 高校生の頃にバレーボールの日本代表メンバーに選ばれ、大学は国立大学に一般受験で進学。入学すると、すぐにチームの大黒柱として活躍。二年生としては異例のキャプテンに選出されると、チームの一部リーグ昇格に大きく貢献した。
 バレーボールのプレーヤーとしての才能と、文武両道の実践、それに加えて甘いマスクで、バレーボールのコアなファンだけでなく、大野は全国的な人気を博した。
 海外プロリーグへの挑戦も噂された大野が、うちの会社に入ったのも、正社員としての地位が保証されると言ったような安定を求めたからではなくて、バレーボール引退後は、大学で学んだ理系の知識を活かして社会に貢献したいという、崇高な理由からだった。
 言ってみれば、大野は最高の手札を手にした、最強のUNOプレーヤー、UNOの王様だった。
 そんな大野と俺は、よりによって導入研修の班が同じだった。それどころか、俺たちは研修報告のパートナーになった。最初は、正直ビビった。妬むよりも前に、ビビった。太陽の下に引きずり出された昆虫と言えば自虐が過ぎるかもしれないが、実際、それに近いような気持だった。
 ところが大野は、忌々しいを超えてあきれるくらいに良いやつだった。
 最初に会った時から、有名人ぶったところなんておくびにも出さず、普通に同期社員として接してくれた。研修報告の準備の時は、持ち前の頭脳とリーダーシップで俺を引っ張り、そのおかげで俺たちの報告は最優秀賞を取ることができた。
 うちの会社ではそれほどランクの高くない大学出身の俺が、最初から陽の当たる部署に配属されたのが、この研修報告会のおかげであることは間違いないはずだ。
 研修の最終日、俺たちは打ち上げと祝勝会を兼ねて、二人で飲みに行った。酒で少し頬を赤くした大野は、肩を組み、冗談っぽい笑みを浮かべながら言った。
「大変だと思うけど、仕事頑張れよ。俺も、バレー頑張るから。で、5年後か10年後か分からないけど、バレーを引退して仕事に入るときは、よろしくな」
 嫌いになれという方が、無茶だった。
 それからの、大野の活躍は見事だった。選手としてはチームの優勝に貢献し、三度のリーグMVPを受賞。日本代表選手としてのキャリアも重ね、世界大会やオリンピックにも出場した。そして、そのどちらでもキャプテンを任され、持って生まれたキャプテンシーをここでも存分に発揮した。
 入社後5年目に膝に重傷を負い、長期のリハビリを余儀なくされることになったときも、大野は、腐ることなく地道なリハビリを続けた。2年ぶりとなった復帰戦はニュースでも大きく取り上げられ、日本中に感動を与えた。
 そんな自分の経験を多くの人に知ってもらいたいと大野が始めた、遠征先の小学校や中学校でのボランティアの講演活動も好評で、順風満帆でないことが、むしろ大野の人間としての評価を上げることに繋がっていた。
 一方の俺も、幸先の良いスタートを切ったおかげで、十分に順調な会社員生活を送ってきた。去年の春にはチームリーダーにもなった。同期入社で一番早くはなかったが、かなり早い方の昇格だった。
 俺は、大野のことをずっと応援していた。そんな気持ちになれたのには、自分自身が充実した日々を過ごせていることが大きかった。だがそれ以上に、大野がすごすぎた。人として、俺の妬みややっかみを大野は突き抜けていた。
 そんな大野も、たまに二人で会えば、普通の同期だった。
 俺は大野から、バレー界・スポーツ界の話を聞いた。大野は俺から、仕事の話を聞きたがった。お互い、自分の知らない世界で同期が頑張っていることを知り、よろこび、そして励ましあった。その関係はずっと続いていくように感じられた。
 だが、数年前から俺は大野の態度に変化を感じていた。以前よりも、自分事として俺の仕事の話を聞くようになってきている気がしたのだ。言葉にはしなかったが、それは恐らく大野のバレー選手としての引退が近づいているということだった。
 最初から想定されていたことだ。大野自身も、新入社員の時に口にしていた。
 ところが、いざその時が現実味を帯びてくると、俺の感情は揺らいだ。
 大野という男が好きだった。大野が一番好きなバレーボールという競技から引退しないといけない状況が近づいていることを、寂しく思った。それは偽りのない気持ちだった。だが、一方で、仕事という現場に立てば、俺の方が大野より優位な立場に立つという事実が俺の目の前をちらついた。
 最弱UNOプレーヤーだった俺が、最強UNOプレーヤーである大野に勝利を収める瞬間が近づいてきている。そんな、高揚感が俺の中で湧き上がってきた。それは、水戸黄門が印籠を取り出す瞬間と同じ、耐え忍んできたが末のカタルシスだった。
 だから、大野から電話を受けたとき、俺はひそかに懐の印籠に手をかけた。
「実は、今シーズン限りで引退することになった」
「そうか・・・、残念だな。でも、大野だったら、問題ないよ。仕事だって、最初は大変かもしれないけど、大野がバレーボールで培ってきた経験は、きっと活きるよ」
 思った通りの電話だった。
 平静を装った。だが、俺が、あの俺が、大野を励まし、あまつさえアドバイスを送っているという事実に、無視するのが難しいくらい、それどころか、大野に聞こえるんじゃないかと心配になるくらい、俺の胸は高鳴っていた。
「ありがとう。会社も、そう言ってくれてる。ただ・・・」
 俺の内面とは対照的に、大野の言葉は歯切れが悪かった。
「なんか、心配事でもあるのか?」
「いや、心配事って言うんじゃないんだけど・・・」
「なんだよ、同期だろ。言ってみろよ」
 俺の言葉に背中を押されるように、大野はゆっくりと重い口を開いた。
「実は、今日、配属先の内示があって・・・、それが営業三課だったんだ」
 大野の口から出た部署、それは、俺の所属部署だった。
 そこでようやく、大野の態度に合点がいった。
 大野は、俺に挨拶するために電話をかけてきたのだ。大野にとっては屈辱に違いなかった。だが、これから同じ部署で働くとなれば、仕事上では直接の先輩後輩だ。恥を忍んで、俺に頭を下げてきたというわけだ。
「それでさ・・・、」
「おう、どうした」
 にじみ出た先輩風は、大野が新しい関係に入りやすいようにという、俺なりの優しさだった。
 優位な立場が、俺を寛大にさせていた。
「ちょっと言いづらいんですけど、」
 丁寧語!! あの、大野が俺に気を使っている!!
 それは大富豪で言えば革命が起きた瞬間。ついに訪れた大逆転、人生の絶頂の瞬間に、俺の身体中を鳥肌が走った。
 もちろん、そんな俺の身体の変化になんて気が付くはずもなく、大野は続けた。
「お前、いや、あなたの・・・、上司になるそうです」
「あっ、そうなんですか!」
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