【二日目】波虚は言った。「まだ何も終わっちゃいない」
文字数 2,834文字
人形劇のおじさんが亡くなった数日後。
召愛は教会での葬儀に参列した。
この時に初めて、おじさんがキリスト教の聖職者だった事を知ったらしい。
そして、召愛は施設の職員にこう訊ねた。
すごく答えに困る質問だった。
公立の施設は特定の宗教の教育をしてはいけなくて、もし扱う時には公平公正にしなければならない、という厳しーい決まりがある。
なので、苦慮した職員は、施設に戻ったあと、百科事典を持ち出し、こう言った。
「キリスト教とは、開祖であるイエス・キリストの似姿(にすがた)として生きることを目指す宗教である、と書いてあるわ」
「その人に生まれ変わったように成りきる、みたいな意味です」
「じゃあ、人形劇のおじさんは、イエス・キリストって人の生まれ代わりに成ろうとしてたの?
あ、わかった。そのイエスって人が、〝土方のおじさん〟なんだ! 『やったぜ』の人なんだ!」
けして『やったぜ』などではない。そこは絶対に間違えてはいけない。
しかし。
この瞬間、リトル召愛ちゃんの中で、次のような公式が成り立ってしまった。
(私が目指すもの=人形劇のおじさん。
おじさんが目指してたもの=イエス・キリストの生まれ代わり。
つまり。
私が目指すもの=イエス・キリストの生まれ代わり!)
見事な三段論法である。
できることなら、おじさんに墓場から復活してもらって、詳しい説法を召愛にしてやるべきだったんだろうが、それはおじさん的には審判の日までお預けだろう。
これで召愛ちゃんは宣言してしまった。
「よし、じゃあ、私。
今日からイエス・キリストの生まれ代わりになる!」
こうして。
聖書を1ページも読んだことすらない、非クリスチャンが、イエス・キリストの生まれ代わりを自称するようになってしまったのだ。
『人からされたい事を、人にもしよう』
これのみを、ひたすら繰り返す、暴走クリーチャーの爆誕である。
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「おじさんが、今の召愛を見たら、どう思うんだろうな?」
「まあ、草葉の陰から苦笑いしながら、『聖書をせめて1行くらいは読んでから、それをやってくれ』くらいは言うかも知れないが――喜んでいるんじゃないか?」
どこかから豆腐屋のラッパが聞こえて来てる。
近頃はレトロな雰囲気を出すために、こういう移動販売をする豆腐屋が横浜市内で増えてるのだ。
辺りは暗くなりかけていて――俺たちの腹も鳴った。
「よし、んじゃチャリ、後ろ乗れよ。今度は俺が漕いでやる」
波虚(はうろ)を強引に荷台に座らせて、俺はさくっと漕ぎ出した。
「お、おい、ここら辺は二人乗り、大丈夫なんだろうな?」
「細けえ事は気にすんな。
国道までなら9割は大丈夫だし、そんときゃ、そんときだ」
「き、貴様って奴はなあ。1割はやばいだろう、1割は!
止めろ、おい止めろって!」
「やだ。めんどくせえ。
せっかく下り坂なんだから、このまま行っちまおうぜ」
なんて抗議をガン無視。
俺はチャリを操り、住宅街の坂道を、国道16号へ向け、一直線に下りて行こうとしたんだが――。
波虚の奴が、強引に後ろからハンドルを握って来てだな。
急にブレーキを掛けたもんだから、バランスが崩れて――
――ガッシャーン!
とだな。
派手に道ばたの植え込みに突っ込んじまった。
しかしだな。
ただでもボコボコだった波虚の顔だったが、今度は眼鏡まで壊れて、目から落ち、顎まで垂れ下がるようになっててだな。そのあまりに間抜けな顔に、思わず笑けてきてしまったんだ。
と、言いつつも、たぶん、今の俺も相当に酷い顔になってるんだろう。
なんて波虚も笑い出したぜ。
そして、俺たちはどちらからともなく、自転車を起こして、二人乗りし、坂道を降りていったのだった。
「俺の方が教えてもらいたいくらいだよ。
高校中退とか、人生半分終わってる気もするしな……」
「最初に入った高校でイジメを受けてな。
中退からの、ひきこもりコンボという奴だ。学校など二度と行くものかと思ってたが――去年に羽里学園の広告を見たんだ。
悪は存在が許されず、誰しもが穏やかに暮らせる楽園。
本当にそんな場所があるなら、と受験したよ」
こいつも羽里と同じような境遇だったわけか。
だとしたら、あれだけ厳しい校則に拘ってた理由も、わからんでもない。
事実として、こいつの最初の学校の校則は、こいつを守ってくれなかったわけだ。
羽里学園の厳格な規制と、強力な罰則。あれらの校則は、生徒を縛り付ける鎖ではなく、身を守る鎧に思えていたことだろう。その鎧を脱がされそうになれば、死にものぐるいで抵抗するに決まってる。
「何を黙ってる。私は、重大な秘密を打ち明けているわけじゃない。
友人には必ず話す事実を言っているだけだし、中退やイジメを受けていたことを、恥ずべきこととは思っていない」
「人生、案外どうにかなるもんだな、とか思ってただけだよ」
「だからな、コッペ――貴様は何も終わっちゃいない」
「ああ、なんも始まってすらいないんだからよ――
とか、言うと思ったか?
俺を退学に追い込んだ張本人から言われるとだな。
むかついて、また殴りたくなってくるぞ?」
「わかってるよ、馬鹿野郎。チャーシュー3倍増しで赦してやる。
あと味玉4個追加な!」
「ふっ、安い奴だ。
だが、本気でまた別の学校に行きたいと考えてはいないのか?」
こいつでも出来たことなら、俺にもできる。
そう、思ったよ。
また新しい学校で一からやり直す?
ああ、悪くない。
そこにはまた、新しい出会いがあるだろうし、新しい仲間も出来ることだろう。
「編入手続きなんか、わからんだろう?
自分で調べると手間が掛かるぞ」
「一応、もう一度謝っておくが――済まなかったな……」
「もし、編入で、わからない事があれば連絡しろ。
貴様の次の学校が見つかるまでは、全力でサポートしてやる」
「いや……ただの独り言だ。
成功するかはわからんしな――気にするな」
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