あなたのニーハイソックスを奪おうとする者には、縞々パンツも与えなさい。
文字数 5,869文字
そして翌日。入学二日目の早朝。
午前六時半の名座玲町駅前。
俺は召愛と合流するために、大きな木の下のベンチで待機していた。
遅刻対策に万全を期して、この時間だ。
ラッシュには少し早いので、昨日のような混雑は見られない。
おかげで駅前もゴミゴミした雰囲気はまだなく、爽やかな春の朝の街といったような、気分のいい――はずなのだが、すげえ眠い……。
ほぼ徹夜で、校則全書を暗記しようとしたせいだ。
一通りは覚えたつもりだが、所々、抜け落ちてないとは言い切れない。
元気のない挨拶が聞こえたと思えば、いつの間にか、召愛が目の前に立っていた。
俺は相当ボケッとしてしまってたらしい。
つーか、こいつ、酷い隈だ。
昨晩は俺と同じで徹夜みたいな状況だったんだろう。
そんなやつれた顔の印象とは裏腹に、今日の髪型は、爽やかなポニーテール。
フリルなリボンで結わえてる――
――うん……わかってる。
アイコン素材の関係で髪型の表示を変えられないから、色々無理があるなと思ってはいるがしょうがない。
とりあえず、今日の召愛はポニーテイルと言うことにしておいてほしい。
俺たちは、硬い握手をした。
まるで、マーケットガーデン作戦でオランダに空挺降下したイギリス第一空挺師団の兵士のように。
あるいはそれを迎え撃ったドイツ第一降下猟兵軍のように。
俺はポケットからメジャーを取り出して、召愛二等兵の真ん前でしゃがみ込んだ。
そして、彼女のスカートの裾を、太ももにぴたりと貼り付けるように下ひっぱり、メジャーの先を膝にあてて、メモリが折れ曲がらないように指で押さえ、脚に這わせるようにした瞬間――。
――物凄い剣幕が頭の上から聞こえてきたと思えば。
ごちーん! ってね。グーで殴られたよ。頭のてっぺんをグーで。
「決まってんだろ。服飾規定のチェックだよ。
校則全書の後半部分は、服飾の規定が書かれてた。
つまり服装チェックは俺の担当ってことだろ。
スカートの規定もあるから、計ろうとしただけだ。
お前いったいな、何されると思ったんだよ」
膝上11センチだった。
『派生条項698条。ニーハイソックスを着用する場合は、太ももの表面積に対して、それを覆わない部分(絶対領域等と俗称される)が
52.6%以上、86.78%以下でなければならない。
これは、覆われる面積が小さすぎれば高露出度で下品な印象になり、狭すぎればチラリズムにより、劣情を促してしまうためである』以上」
校則にチラリズムとか単語が書いてあるのってマジかよ。
しかも、数字も細かすぎでマニアックな拘りありすぎだろ。
この校則全書って、たぶん、羽里だけが作ったもんじゃなくて、脂ぎったおっさん教師とかも参加してんだろうな。
とりあえず適当な事を言ってみた。
ちなみに羽里学園の偏差値は、良くもなけばれ、悪くもないレベルである。
俺はガッツポーズした。
それから。
二人そろって、
orz な挫折のポーズで蹲った。
俺はその間に、ベンチの後ろへ回り、彼女の髪型をチェックだ。
まさかポニーテールにまで、ダメだしを食らうとは思ってなくて、不意打ちだったんだろう。
召愛は変な声で振り向いた。
俺はまた校則全書を読み上げたよ。
『派生条項965条。
女生徒を後方から観測した時に、うなじが見える角度の総和が、
115.3度の範囲を超えてはならない。
これはうなじが見えることによる、劣情の促進を抑止するためである』
以上」
おい、羽里。お前の事だから、たぶん教師の質も選りすぐって雇ってるんだろうけど、なんか怪しい奴も紛れ込んでるからな、これ。
「ポイントは、うなじが見える角度の総和、ってとこだ。
二つに結べば、一つに結ぶだけよりも、角度の総和はかなり少なくなる。
良かったな召愛、この条項書いたおっさんが、ツインテ萌えじゃなく、そこに劣情を感じない人で。おかげで、お前を含め、多くの女子高生に選択肢が残された」
まあ、確かに子供向けの髪型っていうイメージはあるから、それを拒否るのは、大人ぶりたい成り立て高校生の心理って奴か。
召愛は無造作にリボンをほどいたよ。
ごく当たり前のストレートヘアになった。
そして彼女は立ち上がり、鞄を持って、歩き出そうとした。
召愛がね、鞄をね、両手でね、フルスイングでね。
スコーン! ってね。俺の脳天にね、直撃でね。
余裕で頭部の防御力を、召愛の攻撃力は上回ってた。
HPが30%くらいごっそり削られたぜ……。
まあ、今のはちょっと言い過ぎた感はなくもない。
こいつだって、一応は、スカートの丈を短めにして、フリルのリボンでお洒落しちゃうような、年頃の女子。
プライドを必要以上に傷付けてしまったかも知れない
が、さっき言った台詞の一から十まで、俺の本音であるのも、間違いない。
だって、昨日まで、ペットボトルでの間接キスを、ちょっくら意識しちゃってた俺が、今日はなんの躊躇もせずに、太ももタッチなんてことすらやって、挙げ句の果てに下着の色までナチュラルに訊いちまったってわけだ。
もしこいつの事を、ほんの僅かでも〝意識〟してたら、んなことできるわけがない。
召愛は釈然としなさそうに、いじけたみたいな表情で俺を見てたが、一つだけ特大の溜息を吐いて、それで気を取り直したみたいだった。
もっともな疑問だ。
俺は校則全書のページを召愛にも見えるように開いた。
『派生条項1012条。
女子の下着の色は白のみとする。
これは、それ以外の下着を女子生徒が身につけている可能性があると、他者に想像させることによって、劣情を促すことを抑止するためである。特に水色の縞々模様は厳禁とする』
以上」
こいつ普段どんだけ劣情を促されてんだよ。
ちょっと溜まりすぎだろ、大変だな、おい。
あと、縞々パンツがよっぽど大好きなんだなあ、この脂ぎってるであろうおっさん
なんだ?
召愛さんってば。
さっきから、なんか、すんげえ気の毒なほど狼狽えた顔してるんすが……。
こう、腰の辺りを両手で隠すようにスカートの上から押さえてるんすが……。
なんだ、これ、お、おい、お前……まさか。
でもだな。
この反応、つまり、少なくとも、白以外って事だろ。
どころか、この狼狽えっぷり的に、一番ダメな、
縞々のそれを、履いてきちまってんじゃないのか……これ?
まさか、予備の下着を持って来てるわけないよな。
今から家に戻るか? いや、遅刻する恐れが。
なら、どっかで買うか? 無理だ。
この時間じゃ、下着を売ってるような店は開いてない。
海軍の司令官である山本五十六提督へ、アメリカ相手の勝算を質問する、近衛文麿みたいなシリアスな顔で召愛は言った。
アメリカとの開戦回避を訴える、山本五十六提督ばりだ。
そりゃそうだろう。
パンツ履かずに登校するなんてのは、アホみたいなブラック校則を作った脂ぎってるであろうおっさんですら、想定していない、上級者向けコースだろうしな。
すごいぞ召愛。
お前は勝ったんだ。
脂ぎってるであろうおっさんの想像力を、お前は超えた。
他の誰も褒めてくれないだろうけど、俺はそのガッツに心の金メダルを送ってやる。
召愛はまるで、そう。
これから真珠湾攻撃を行うために、空母赤城から発艦しようとする、第一航空戦隊のゼロ戦パイロットのような、決意に満ちた表情をして――トイレへ向かった。
しかし、だった。
彼女はトイレの入り口の前で立ち止まってしまった。
どうしても、それ以上、前へ進めないようだった。
悔しさに震える、その小さな背中が、俺にはどうしても見ていられなかった。
俺がこれからしようとしている行動の理由を、もし他人から聞かれたら、こう答える。
俺は、召愛の隣まで行ったよ。
そして、彼女の肩に手を置いた。