右の頬を打たれたら、左の頬も相手に向けて、「Hurry! Hurry!」と叫べ。
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そして、12時。
授業終了のチャイムが鳴ると同時、俺たちは歓声を上げ、ハイタッチ、勢いでハグまでしてしまった。
たった半日、学校に出席していただけなのに、なんという達成感。
無理ゲーをなんとか、乗り切ったのだ。
これを人類の英知と呼ばずしてなんと呼ぼう。
しかし、教室に残っているのは、わずか6名だけだ……。
俺と召愛はその凄惨な光景に、もはや絶句すらできなかった。
この学校という名の戦場では、入学当日に退学も普通にありえるし、その翌日には損耗率8割という〝戦闘〟が行われる。
そんな過酷な環境では、人の心というのは、ある種の麻痺をおこしてしまうみたいだ。
できれば常にツーマンセルで行動して、援護し合いたいとこだが、
元親友同士で積もる話しもあるだろうし、邪魔はしたくない。
さすがにそれはどうなんだ……。
入学二日目で便所飯?
普通に人生止めたくなりそうで嫌だぞ。
召愛は手を振って教室を出て行こうとしたよ。
俺はまあ、生き残りの4人に混じって、知り合いでも作っておこうと考えたね。
昨日からというもの、クラスで絡んだのが召愛という変人だけなのは青春的にまずい気がする。
でも、だった。
なんかね。俺が生き残りの4人と目を合わせると、みんなこう目を逸らすんだけど、気のせいか。
いや、気のせいじゃない。
明らかに、『クラスメイト』というカテゴリー以外の何かを見る目で見られてる。
もし、宇宙人なんかがこの場に居たら、こんな目を向けられるんじゃないかっていう、感じのだ。
あ、はい……。
理解しました。理解しちゃいました。
これはつまり、あれですね。
俺も召愛と同じく、立派な変人認定されちゃったんですね。
首を紐で繋いだり、椅子に体を固定したりしちゃってたから。
くそう、冷たいじゃないか。一緒に地獄の戦場を生き抜いてきた戦友だろうに……。
これ……。
召愛の弟子としての色物ルートシナリオに入っちまったんじゃないか?
もうノーマルなルートに戻れないんじゃないのか。
バッドエンドな未来しか見えねえぞ!
どうすんだよ。いったいどこで選択肢を間違えた?
そこでセーブちゃんとしておいたか?
そして、ふと見えたんだ。
黒服の執事が廊下を歩いてきてるのが。
んで、執事は、召愛が教室を出て、すぐのところで呼び止めた。
いったいなんだ?
と思って俺は近づいてみたよ。
そしたら聞こえて来た話しは、こんなだった。
執事が去って行くのを、召愛は呆然とした様子で見送っていた。
両手に持った弁当箱が、とてもとても虚しい物に見えてしまった。
それから彼女は、教室へ戻ろうと振り向いたよ。
俺と目が合った。
召愛は何も言わず、自分の席に歩いて行ってしまった。
一人で弁当を広げて、食べ始めようとしてる。
ひどく落胆した顔のままでだ。
俺も自分の席に戻って、朝に買ってきてたパンを食い始めようとしたよ。
クリームパンとたこ焼きパンをだ。
本当はコッペパンにバターが、とてつもなく好きなのだが、コッペパンと呼ばれる事への反抗心が、俺にクリームパンとたこ焼きパンを選択させる、という行動をさせてしまったのだ。
気づけば昼休みの教室は、俺たちだけになっていた。
学食に行った奴も居るだろうし、この良い天気だ。中庭か屋上にでも食いに行ったのかも知れない。
窓の外からはヒバリの鳴き声が聞こえてきてたよ。
日差しも暑くなく、丁度いいくらいで、実にのどかな春の昼下がりって奴だ。
もし後ろの席で一人で弁当食ってる奴が、浮かない顔をせずに、激戦の間の、つかの間の休息を満喫できるならば、どんなに良いだろう。
そんな事を考えてしまうほどに、少なくとも俺の半径50メートルの世界は善良で、心地良さそうなものに見えた。
それだけの事だ。
そう言った召愛の声は、お節介を焼かれてることに嫌がってる風でもなかった。
むしろ、彼女自身の惨めな有様を、自嘲してるかのような、寂しい声色だった。
俺は自分の椅子を180度後ろに向け、召愛の席と向き合わせた。
そして、羽里の分だった弁当を、食べ始めたよ。
超絶変人さんの手料理は、意外なほどに美味かった。
とりあえず召愛と二日間絡んでみて、波瀾万丈な人生を歩んでしまって、思い知った事がある。
それは、こいつと数年間も親友をやるという生活が、いったいどんなに壮絶かつ、悲劇的、あるいは喜劇的な物になるのか、想像できないってことだ。
二日目にして、良い意味でも悪い意味でも、お腹いっぱい気味の俺からしてみると、羽里こそが、仏の生まれ代わりのような、広い心の持ち主な気がしなくもない。
「私だってわかってはいるんだ。人からどう見られているか。
そういう私の友人であることが、どう見られる事であるのかも……。
だから、たまに不安になってたんだ。
こんな私と、どうして友だちで居てくれたのだろうと」
たぶん召愛は、昔から、自分の有り様に自信はなかったのだろう。
だから、友人で居てくれた羽里に、強い親しみを感じていたのだと思う。
そこにヒントがある気がしたんだ。
再び召愛と羽里を親友に戻してやれるような、道筋が見えてくるかも知れない。
――それは、小学四年生の頃だったそうだ。
小学四年生、どれほどの高校生が、その頃、自分がどんな奴だったか、覚えてるだろう?
たぶん多くの人の場合、自分が別の生き物だったように感じるのではないだろうか。
高校生にとっての小学生時代とはそういうもので、かなり昔のこと、なのだ。
だが召愛は、今と大差なかったと言う。
まあこいつの場合は特殊だから仕方ない。
そんなリトル召愛ちゃんが、リアルプリンセスに遭遇したのは、ある良く晴れた三月の日、朝の通学路でだった。
召愛が住宅街の道を歩いていると、曲がり角の出会い頭で――そう、アレをしちゃったわけだ。
パンをくわえて走って来た羽里と衝突した。
しかも、羽里は牛乳パックまで持参していた。
――とのことで、あえなく二人は牛乳を顔に浴びることになってしまった。
羽里は妙に怯えた様子だったという。
そりゃ朝っぱらから、他人の顔を白濁の液体塗れにしてしまったら、怒られると怯えるだろうが、召愛は羽里のおどおどした態度に違和感があったそうだ。
何度も必死に謝り、ハンカチやティッシュを使い果たすと、自分の髪を使って、召愛の靴まで拭ってくれたというから、確かに違和感を感じる。
さらには、牛乳が残った召愛の頬を――
だから、召愛は、羽里の怯えっぷりを、可愛そうに思い、こう言った。
きっと召愛は、キラキラした瞳で、そう言っちゃったんだろう。
しかも、気休めや気遣いではなく、心から赦してしまうオーラをダダ漏れさせて。
二人が一緒に小学校へ向かう道すがら、羽里は召愛へ打ち明けた。
なぜ、羽里ほどの優等生っぽい、良い子がイジメられたのだろう?
高校生になった今の召愛いわく、その答えは――
例えばこういう事だったそうだ。
召愛と同じクラスに転校してきた羽里だったが、そこでも……イジメが始まってしまったのだ。きっかけはホワイトデーの日のことだ――。
こうなれば、まあ……。女子からはやっかみを受けてしまうものだ。
嫌がらせを受けるようになった。
羽里がもし、もっと器用な性格で、そういった女子たちと同じレベルまで降りていって、打ち解けられるようであれば、違ったかも知れない。
が、あいつの我の強さは一級品。
イジメられながらも、けして迎合や屈服はせずに、反発し続けたのだろう。
その結果どうなったかと言えば、男子から見れば小さくて可愛い女の子、だが女子から見れば、お高く止まって自分たちと打ち解けようとしない上に、優等生で、しかも良いところのお嬢様。
すっかり『女子の共通の敵』になりやすいキャラに育ってしまったわけだ。
だが、羽里が我を張り続けることが出来たのは、生来の強い性格だけでじゃない。
召愛の存在が大きい。
だって、召愛が、いじめられっ子街道をばく進しまくる奴のすぐ側に居たらどうなる?
かばいまくる。『かばう』アビリティ発動率100%だ。
羽里が嫌がらせを受けると、いつでも召愛が救ったそうだ。
と、こんな風にだ。
時には取っ組み合いになり、召愛が殴られ鼻血ブーになったこともあるそうで、流血沙汰に怯んだイジメっ子たちを前に、召愛はこうしたらしい。
まだ流血していない左の鼻の穴を指さしてみせ、それを相手へと差し出すようにしたのだそうだ。
これは俺も知っている。
『右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ』という奴だ。
鼻血を口元まで垂らして迫り来る召愛は、荒ぶるドラキュラ伯爵が血を吸ったばかりのような、他人に見せられない禍々しい形相だったそうで、そんな怖い顔でこう叫んだ。
「どうした君たち。
まだ右の穴から鼻血が出ただけだぞ。かかってこい!
左が残ってるし、君たちの罪を見とがめるこの目を潰さなくていいのか。君たちの罪を数えるこの舌を抜けばいい。それでもなお、君たちの罪を赦そうとする、私を心を暴力とやらで砕いてみせろ!
さあ、説教はこれからだ。
怯えていないで反撃したらどうだ。
早く、早く早く、早く早く早く!」
召愛が斜め上に大暴投するのも、今と同じだったようだ。
まあ、こんな風に助けられれば、親友になるに決まってる。
『どうして友だちで居てくれたのだろう』だと?
そんな疑問は窓から投げ捨てちまえ。お前は超弩級の良い奴だ。
こうして、二人の固い友情は、中学一年で強制的に引き離されるまで続くことになったそうだ。
羽里が養子へ出ることが決められようとしていたのだ。
俺みたいな、The庶民では想像し難いが、ガチ旧財閥のガチ名家というのは、ガチ習わしが残ってる。
例えば、
『中学校までは、庶民的な公立学校へ行かせ、社会感覚を身につけさせる』とか
『本家に跡継ぎに成れるような子供が生まれない場合は、分家から養子を出す』とか
だったりするわけだ。
羽里本人も生まれた時から、将来は養子に出されると言い聞かせられて育てられた。
いざその時が来ると、大人たちの間では、あっという間に、事が決まってしまった。
決定事項の中には、召愛と決別させることも、含まれていたのは想像に難しくない。
あのような変人を友人にしておくのは教育上よろしくない、と考えたわけだ。
だが、たった一人の親友と離ればなれになる事を、どうして納得できる?
羽里は抵抗した。初めて、大人たちへ逆らった。
だけど、同時に、羽里は、糞真面目で責任感が強い。
自分にしか出来ない、跡継ぎになるという立場。
羽里商事グループ傘下、数十万人の生活に影響を及ぼしてしまう立場を誰よりも自覚してたのだろう。たかが中学一年生のくせに、健気に。
最後に、大人たちへ一つだけ条件を飲ませ、養子へ行くことを承諾したそうだ。
その条件とは――
『私や召愛みたいな存在でも、誰でも、どんな人でも、苦しまなくて良い、悩まなくて良い、怯えなくても良い世界を作りたい。
これからは一切、連絡が取れなくなってしまうけど、もし、高校生になった時まで、わたしを友だちだと思っていてくれるなら、その時は、わたしの作る学校に――』
ならば、断言できる。
この学校は、羽里が、親友のために、作り上げようとしていた〝楽園〟だ。
厳格な校則は、弱者への配慮を欠くイジメッ子などを排除するため、楽園の治安を維持するためには必然で、これによって生徒たちは守られる。
誰もが穏やかに暮らせる世界。羽里はそう考えていたのだろう。
その完璧なはずの楽園を、当の召愛に否定されてしまえば、どうなる?
まあ、素直な態度は取れなくなってしまうだろう。
我の強い羽里では、なおさらだ。
でも、二人は憎みあってるわけじゃない。
羽里は召愛と自分のために作った楽園を、召愛に認めてもらいたくて、対立してしまい。召愛は羽里にそれが暴走してしまってる事を分かって貰いたくて、対立してしまう。
互いが、互いに理解してもらいたくて、激突してしまうのだ。
そこが悲劇だし、希望、でもあると思う。
「基本条項1条。
給食または弁当など学校で行う食事は、海産物で鱗を持つ生物以外、とりわけグニャグニャした物を、食べる、または食べさせようとしてはいけない。
違反者は、市中引き回しの上、職員は懲戒免職、生徒は退学とする」
『食べきるまで帰っちゃダメ』
そして、放課後まで居残りさせられ、自棄になって強引に飲み込もうとしたが、どうしても出来ず嘔吐してしまった。
だから、小学生の頃の私は、タコを撲滅したかったんだ……」
このままじゃ、生徒が絶滅しちまう。
これをどうにかするためにも、まずは、羽里と親友に戻って、話しを聞かせることだぜ。そうなれば、お前のために作った学校なんだし、きっと校則を変えてくれる」