ヨハネ福音書 8章3節~11節
文字数 5,215文字
起き上がるや、俺と召愛を見やり、不思議そうに病室を見回した。
俺はちょっぴり意地悪く言ってやった。
ウェイトトレーニングをたっぷりさせてくれたお礼だ。
明日は筋肉痛で確定だしな。
それに……だな。
遊田も、気を失う寸前の〝あのアンラッキースケベ〟までは覚えてるだろうし、笑い飛ばしてギャグにしておかないと、気まずいと思ったんだ。
やっぱり覚えてたらしい。
遊田は唇を手で押さえて、俺から目を逸らした。
そうだ。そのリアクションで良い。
お互い無かったことにしよう。
俺だって、お前相手にああいうのは超不本意だぞ。
召愛に言ったりするなよ。絶対だ。絶対だぞ。
わかったな、絶対に言うなよ!
まあ、どうせ、こいつ相手に、感謝の言葉なんざ期待はしてなかったがな。
でも、だった。
おい。
おいおいおい……。
なんだよこりゃ。
遊田にあるまじき素直さじゃねえか。
やべえ、不覚にも、ちょっと可愛いと思ってしまった。
俺の声はちょっとうわずってた。
な、何を遊田ごときに照れてるんだ。俺は。
なんて照れ隠しで言ったら――
遊田にじっとりした目で睨まれてしまったよ。
そん時だ。
【ピンポーン!】
病室のチャイムが鳴った。
誰か面会に来たらしい。
遊田の両親あたりか?
と身構えてたら、それよりも、もっと最悪なのがドアを開けて、入って来た。
【議員】たちだ。
20人全員が勢揃いして、やってきた。
そうだった……。
遊田を助けることで必死になってて、
こいつらの事が頭の外に吹っ飛んでたが、
俺、ふつーに退学にされちまうんじゃ……!?
召愛が訊きながら、開かれたドアの前へ立ち塞がるようにしたよ。
するとリーダー格らしい【議員】の男がこう答えた。
と、召愛が言い切る前に、【議員】はタブレットPCの画面を見せた。
まさに、〝あの瞬間〟の画像が表示されていた。
その画像とは『遊田が仰向けで寝転んでいて、薄く目を開けている。その顔へ、俺は目を閉じて唇を合わせ、キスをしていて。さらには胸を掴んで、スカートの中へも手が入ってる』という物だ。
よくもまあ、倒れた瞬間を狙って、こんだけ上手く撮ったもんだ。
まるで俺と遊田が、『体育倉庫の中でだなんて、いや~ん』な事をしてるように見えるじゃねえか。
俺が事情を説明しようとしたが、それを遮って【議員】が言った。
と、俺を指さした。
「基本条項7条。浮気の禁止。
恋人同士であると双方で認識している相手がいる場合。
その信頼を裏切るような行為をする事を禁じる。
これは、即退学の重罪だ。
それと名座玲さん、あなたにも、してもらう事がある」
召愛の手が震えている。
拳が……硬く握りしめられている。
今の召愛に、
『私とコッペは付き合ってるわけじゃない。これは浮気には当たらない』
などと冷静に切りかすだけの、精神的な余裕があるだろうか……?
「名座玲さん。派生条項810条ですよ。
浮気行為の放任の禁止。
恋愛交際をしていると一般的に他者から見なされている者は、交際相手の浮気を放任せずに、告発しなければならない。違反した場合は、退学とする」
男女交際をしていると一般的に他者から見なされている者。
本人たちの意思に関係なく、他者から見なされるだけでオーケーってことだ。
なら、俺と召愛は該当してしまう。
となれば……。
召愛がもし、ここで『私とコッペは別に付き合ってるわけじゃない』などと言い出してしまえば、俺の浮気容疑は無くなって助かるが、召愛は浮気の放任と見なされ、退学になってしまうってことだ。
その逆に、『コッペを告発する』と言えば、
召愛は助かるが、俺はめでたくゲームオーバー。
この外道な選択を、召愛にやらせようってのか、こいつら……。
召愛なら、俺を助けるために、自分の退学を選ぶと思って、こいつら、こんなことしてるんじゃないだろうな。
いや、そうだ。
目的は最初から召愛の排除。
せめて、遊田が、
『あれが浮気でもなんでもない。単なる事故だ』と証言してくれれば……。
なんて期待は、するだけ無駄だろう。
召愛を追い込むチャンスを、あいつが見逃すわけがない。
遊田。ベッドの上で立ち上がり、【議員】たちを指をさして怒鳴った。
嘘だろ。
お前、ほんとに……遊田なのか?
俺はそんな事を思ってしまったよ。
遊田の顔を、マジマジと見詰めてしまってた。
遊田は、真剣な目だった。
俺の言ってほしい台詞を、全て言ってくれた。
遊田の悔し紛れの啖呵も、【議員】のリーダーにはどこ吹く風だ。
彼は召愛へ鋭い視線を向けた。
どうするんだ、召愛?
どう決断する?
召愛は無言だった。
立ち尽くしたまま、何を思ったのか、ふとスマホを取り出したよ。
そして、何やらいじり始めた。
メールを打ってるとか、そういう雰囲気でもない。
顔を俯かせ、画面を凝視して、ひらすらに指先だけを動かしている。
苛立ったリーダー【議員】が詰め寄った。
しかし、召愛は無視。代わりに俺へこう言った。
いきなりすぎて、普通に答えちゃったが、いったいなんだ?
【議員】たちへ顔を上げ、言った。
「基本条項610条。
『助け合いの義務。
弱者には、手を差し伸べること。
また、けが人や急病人を見かけたら、可能な限りの協力をすること。
十分な余裕があるにも関わらずこれを怠った場合、退学とする』
そこで諸君らに問う。
なぜ、コッペが助けを求めたとき、諸君らは協力しなかったのか。
不愉快極まる写真を撮る余裕がありながらだ」
一気に、だった。【議員】たちの顔が青ざめた。
私も以前、ある事情で、そこを使おうとしたから、確認している。
だが、体育館にはある。
その時刻に、諸君らが、倉庫の入り口付近から撮影している様子が映っているだろう。
さらには、一人でイスカさんを負ぶって歩くコッペの姿も確認できるはずだ。
もう少しだけ、諸君らが冷静だったら、こんな凡ミスはしなかったのだろうが、よっぽど、私を退学に追い込めるチャンスを掴んだ事が、嬉しかったのか?
なんにせよ――
諸君らは詰んでいるようだが?」
みんな顔を見合わせ、召愛へ怯えた目を向けている。
そこで、召愛は止めの一言を放った。
そして、召愛はもう、【議員】たちの事など、どうでもいい、とばかりに、再びスマホをいじり始めた。
するとだった。
堰を切ったように、
他の【議員】たちも、次々と逃げ去っていったよ。
最後に残ったのはリーダーの男。
などと、何度も罵倒を吐き、現実を認められないとばかりに、首を激しく振ってから、意気消沈した様子で去って行った。
すると、召愛はとてもニコニコしながら、こう答えた。
「体重59キロの男性に、
どんな毒物を一日何グラム与えると、どのような症状がでるかを、ググってた。
すぐ死なさず、ただの体調不良と勘違いさせて、長期間を苦しめるには、どの毒物を選べば良いか、知りたかったんだ。
それと平行して、『男性が好きなお弁当のおかずランキング』というレシピをダウンロードしてただけだ。
コッペは気にしなくて良い。
君が誰とキスをしようが、私には関係の無い話しだし――
別に、謝ったりもしなくていいぞ?」
俺は理不尽な気がしつつもフライング空中三回転土下座した。