第九項 天使

文字数 2,499文字

 何が起こったというのだ?天使と化した私が、床に倒れている。私は確かに、奴を仕留めたはずなのに……
「ふぅっ……よかったよ。あんたが素人で」
「な、なに?」
「不完全な覚醒だね。いくら強くなったって、中身が素人じゃ、相手にならないよ」
私は何か、奴の策にハマったようだった。しかし、一体何が?
「知ってるかい?この世で一番、強い毒を」
「毒?」
そんなもの、盛られた憶えは……
「それは……”邪推”っていうんだよ」
「邪推……だと?……オセローの真似事か?」
「まぁね。ヒトの心を蝕む猛毒。これに犯されたら、あんたはまともじゃいられない。不安で不安で、そのヒトが大切であればあるほど、悪い方に想像しちゃうんだよね」
そうか……最後の挑発、あれは私の目を怒りで曇らせるために。
「まんまとハマってくれたね。怒りで視野の狭くなったあんたの顔面、死角からぶん殴らせてもらったよ」
そして銀色の悪魔を召喚し
「この、カインでね」
今度は炎で私を焼いた。

 「こんな不完全な状態で、ラグエルを発動してくれるなんてね」
「こんなことが……霊性高き熾天使の私が……」
焼滅しなかった天使様が、憎しみの籠った視線で俺を見上げている。語り部チェンジが多くてごめんね。さっきは森柴さんで、今度は俺、蓮野久季がお送りします。
「あんたが司ってるの……”憤怒”だろ?」
風のプラヴァシー、慈悲と共に、対となる憤怒を司る。
 俺は静かに瞳を閉じる。プラヴァシーの共鳴をとおして、目覚めつつあるラグエルを感じる。“慈悲”を忘れた人類に裁きを下すため、“憤怒”が支配するこの地に降臨しようとしているのだ。
 ここで少しだけ解説するね。この物語に、実体としての天使は登場しない。天使は組織名とかで登場する。それはそうだよね。天使の階級、例えば能天使(エクシア)とか権天使(ヴァーチャー)とかって、ただの階級だからね。同じような役割の、敵の組織名に使われてるよ。んでもって大天使様、つまり、七柱の御遣い様は、”ある社会現象が成り立ったとき、何かしらのカタチで降臨する異能”って定義している。
 今回のテーマは”憤怒”だ。七つの大罪のひとつで、怒りで攻撃的になり、自身を見失う心の様子。AIによる管理社会でありながら、ここ数年、この国では理不尽な事件が続いていた。さらに、この管理社会がみんなの可能性を奪っていると、社会への不満を煽る動きが活発だった。だから国民全体に怒りが浸透している。そして、それが最も色濃く現れたこの街を舞台に、教導団は”シンクレティズム”を発動した。プラヴァシーを宿した森柴さんを配置して、憤怒に染まった人類を粛清する霊性(ちから)、”ラグエル”を降臨させようってことだ。怒りで誰かを殺したいってやつに、FIGって道具をばら撒いたのは、そのためだったんだよね。

 「ラミエルのときは、こんなもんじゃなかったよ」
刀を拾う道すがら、俺は思い出を語る。
 ”ラミエル”とは、神の雷霆。ラグエルと同じ、七天使の一柱だ。
「アルビジョワ解放戦争……あれは、本物の地獄だった」
アルビジョワ永世中立国。2043年に国連主導で樹立。シリアとヨルダン、イラクの三国が隣接する地域を中心に、一部サウジアラビアまでを組み込んで建国された小国だ。欧米系グローバル企業が、原油などの資源を巡り、また中東諸国を支配するために、アメリカ政府を利用して強引に建国したんだ。
 しかし、グローバル企業の都合、金儲けのために無理やり創られた国は、おおよそ国家と呼べる代物じゃなかった。実際に選挙権をもっていたのは、各企業の関係者とその家族、つまり外国人だけ。地元の貧しい労働者たちは、わざと複雑に整備された手続きに阻まれて、事実上選挙権を奪われていた。だからアルビジョワの大統領は、いつも欧米系企業に有利な人材が就き、結果的に警察も軍隊も、自国の市民ではなく他国の利益のために働くことになっていた。3年もすれば貧困が加速し、反政府運動から内乱にまで発展した。これに国連決議を受けた各国の軍隊が介入したもんだから、中東は文字通り火の海と化した。虐殺も日常茶飯事だった。
 「貴様……まさか」
「ああ、俺もあそこにいた。そして、ラミエルの発動を見た」
俺もあの戦争に参加していた。18歳で異能を獲得した俺は、囚われの身となった。そこから何とか逃げ出して、戦いに明け暮れて、最後にアルビジョワに辿り着いた。え?年齢がおかしいって?確かに、今から30年以上前に、18歳ってのはおかしいよね。でも、前世の話でも、タイムスリップでも、はたまた計算間違いでもないよ。
 「傲慢な権力者たちが暴走して、あの国を舞台に様々な悪意を育てた。それが臨界に達した時、神の雷霆”ラミエル”が降臨した」
「だがラミエルは、降臨後すぐに消滅している。その叡智を取り込むべき依り代も……まさか!」
「ああ、俺が始末した」
 アルビジョワ解放戦線の特殊工作部隊。俺はそこに在籍していた。主な任務はハッキングとトラップの設置だ。といっても、銃撃戦や刃物での近接戦闘が日常茶飯事だったからね。後方支援担当だったのに、毎日のように戦闘を繰り返していたら、ラミエルと対峙する羽目になちゃったんだ。
 「あんたらは、人間の負の面を極限まで引き出そうとしてるんだろ?それを粛清するために天使、いや、“天使の名を持つプラヴァシー”が降臨する。それを取り込んで、利用するって寸法だ」
「ラミエルを滅ぼし……我らの目的も知っているというのか……そういうことか」
「気づいたみたいだね。俺の正体に。でも、もう遅い」
俺は刀を振り上げて、真直ぐにラグエルの喉を貫き
「人間が他人の生皮を剥ぐ様子を、何度も見てきたよ」
銀色の悪魔を召喚した。
「泣き叫ぶ弱者を、楽しそうに痛めつけて、殺すような奴が大勢いたよ。俺はそれを直視できなかった。すべてを浄化したいって望んじまった」
加害者も被害者も全部……無かったことにしたかった。
「だから俺は」
荒ぶる光をラグエルに叩きつける。
「炎を選んだんだ」
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

幼い時に両親が離婚し、心に深い傷を隠し持っている。

それゆえか感受性が強く、不思議な青年、蓮に惹かれてしまう。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

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