第十四項 説得

文字数 1,651文字

 「夫婦を続けるって選択肢もあったはずだ。カルトに身を委ねなくても」
「夫は冷たかった。子供が殺されたのに、葬式を済ませたら次の日には仕事に行った」
「仕方ないさ。辛くても、働かないと生活できない」
「私をひとりにして、平気な顔して働いて」
「悲しみを表に出せないことだってある」
「ふざけるな!子供が死んだんだぞ!それをあの男は悲しまなかった。そういう冷たい男なんだ」
「ご主人は……苦しんでたんだよ」
「嘘を吐くな!なんで貴様が」
「会ってきたんだ。ご主人は、精神安定剤を飲みながら働いていたって。周りが心配するほど、一生懸命耐えていた。働いて、家に帰ってからも元気に振舞った。貴女に立ち直って欲しいから、努めて明るく振舞ってたんだよ。これが通院証明書だ」
「そ、そんなこと……」
「全部貴女のためだった。子供のことは辛かったけど、必死に生活を維持して、貴女が元気になるのを待っていたんだ」
「でも、でも……」
「貴女が新世会に入ると言ったとき、彼は必死に止めたはずだ。でも、貴女は彼の手を振り払った。そのとき、彼は決心した。いつか貴女が戻ったとき、もう一度やり直そう。そのために、生き続けようって」
悲しすぎるすれ違いでした。
「彼は今も、独りで待ってるよ。貴女の帰りを」
 傍で聞いているだけなのに、当事者でもない私は、涙をこらえることができませんでした。こんなにも辛い思いをした女性、どうにかして、助けることはできないのでしょうか?
「彼は待っている。もし、貴女がタカくんを連れて戻るなら、養子に迎えてもいいって」
「な、なにを?」
「タカくんと出会って、貴女は救われたはずだ。娘の影を、その小さい少年に重ねることで」
彼は語り続けました。彼女が救われる、唯一の選択肢を。
「復讐なんて不毛だよ。まして、教団の掲げる”粛清(パージ)”に参加するなんてね。あなたには還る家と、守りたい子供がいる」
優しい彼の声に、言葉に
「だから、ご主人のところに戻りなよ。他人の視線が気になるなら、引っ越しちゃえばいい。誰も自分を知らない土地で、そこにしっかり根を降ろして、一生懸命生きてくれ」
どうか耳を傾けて……

 「あんたに何がわかるっていうんだ!?私にはこうするしか無かった!」
でも、それは届きませんでした。
「今ならまだ戻れる。異能を捨てさえすれば、貴女は」
優しい想い、幸せの可能性。そういうものに限って、届かないのは何故でしょう?彼女は夫だけでなく
「うるさい!あんたなんかにわかってたまるか!子供を奪われた母親の気持ちが!」
蓮野さんの手も、最後の救いも振り払ってしまいました。
「わかるさ!俺だって……俺だって」
「わかるもんですか!お腹を痛めて産んだ子供を」
もう、止められないんですね。止まらないんですね?
「永遠に奪われたこの苦しみが!」
過ちを認めて引き返すというのは
「だけど、憎んでるだけじゃダメなんだ。前に進めなくなる」
どうしてこんなに難しいんでしょう?
「うるさい!勝手なことばかり言うな!私は赦さない!私から全てを奪ったこの世界を!」
「ダメだ!そんなの子供は喜ばない……本当にあの子を愛してたんなら」
蓮野さんは本気で説得していました。
「あの子の分まで強く生きろ!生きて……あの子の居場所を」
どうしてそれがわかるのかって?今までの会話で、確かに彼は冷淡で、狡猾に見えます。でも
「あんたの心(なか)に!」
左頬を、一筋の涙が伝っていたのですから。
「黙れ!私は間違ってない!私は、この世界を粛清するんだ!」
「ダメなんだよ……だってあんた今……」
母親の顔をしていない!
「ミユギスタ・ミユシノホ・ミユリターナ!(全てを殺せ!神は御自らに属するものを知りたもう!)」
そして彼女は、美津井先生と同じように、注射器を手にしました。
「そう叫んだ愚か者が、最期には命乞いしてたんだよ……」
歯を食いしばって吐き捨てて、彼は刀に手をかけます。判決を……下したのです。
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

幼い時に両親が離婚し、心に深い傷を隠し持っている。

それゆえか感受性が強く、不思議な青年、蓮に惹かれてしまう。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

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