第四項 愛別 

文字数 1,275文字

 「な、なんで蓮野さんがいるですか!?それにここはどこですか?」
そう、ここは俺の部屋。客観的に状況を整理すると、一人暮らしの男の部屋で、子供のように泣いていた幼気な女子学生を、男子大学生が抱きしめていたのだ。何より、彼女は先ほどの戦い、ラグエルのことすら忘れている。
「あ、これは……その……」
なんとかサルベージできた。だけど……
「あれはパパじゃなかったんですか?私の心を覗き見て……パパのフリをして」
やっぱり、最悪な方に話が進む。
「パパの顔で……私のこと騙して」
怒りに震える彼女の顔が、初めて憎悪一色になった。
「あんたなんて大っ嫌い!触らないで!」

 「もう死にたい……嫌だ!こんな人生もう嫌だ!」
小さく震えながら、サキは泣き続けた。俺は、取り返しがつかないほど、この子を傷つけてしまった。
「そんなこと言うな」
彼女がこんな過去を背負っているなんて、想像もしていなかった。彼女の父親が、前の俺と似た運命に飲まれていたなんて。
「来ないで!」
もう彼女は止まらなかった。何を言っても、ただ反抗するだけだった。何かを思っての反抗ではない。反抗のための反抗なのだ。
『汝、慎ましやかな者よ……』
彼女の心に、薄暗い声が響いている。
『節制を心がけし、慎ましき者よ……』
彼女の理性を奪う
『今ここに、汝が心……汝が抱えし激情を』
アイツの、ガキの姿で現れたアイツの声が
『解き放て!』
呑み込んでいく。どうやらアイツの罠に、まんまと嵌っちまったようだ。彼女が暴食に溺れるのを、手を拱いて見ていることしか出来なかった。

 暴食、七つの大罪のひとつで、節制と対を成すもの。抑制がきかず、自身を見失って、度が過ぎた行為を繰り返す心の様子。
彼女は俺を罵り続けた。思いつく限りの罵詈雑言で、ひたすら俺を責め続けた。俺はこの光景に見覚えがある。何十年か前に、前の俺が同じ目に遭っていた。瞳を閉じると、あのときのことが甦る。黒髪で痩せ型の女性が喚きちらす様子。包丁を振り回して暴れる姿が、今でもはっきりと思い出せる。
 一歳の娘の目の前で、喚き続けていた。
「――ごと刺すぞ!」
正気を失って、普通じゃない目つきで、俺と娘に包丁を向ける。最愛の娘を、”刺して殺す!”と叫び続ける。
「あんたのお祖父さんが私の後ろで泣いてるんだよ!“間に合わなくなるぞ、間に合わなくなるぞ”って泣いてるんだよ!」
娘を抱きしめて庇う俺に包丁を向け、意味のわからない罵声を浴びせ続ける。何に間に合わなくなるというのだろう?随分昔に亡くなった、会ったこともない俺の祖父さんの声が聞こえる?包丁を振り回しているのは、自分に憑依した俺の曾祖母さんだって?写真すらなくて、顔もわからない俺の曾祖母が?
 「くっ……」
痛い……胸の奥から棘が突き出して、内側から心臓を食い破ろうとするみたいだ。そんな痛みが、俺を、俺の心を、少しずつ引き千切っていく……
「これ以上は……危険だ」
胸元を鷲掴みにしながら、俺はあの悲しみに溺れていった。そして、この娘の憎悪に共鳴してしまう。
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

幼い時に両親が離婚し、心に深い傷を隠し持っている。

それゆえか感受性が強く、不思議な青年、蓮に惹かれてしまう。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

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