第135話 参考書

文字数 2,617文字

 6月最後の日曜日にあたしたちはアリオ鳳で待ち合わせをした。そうはいってもおおとりウイングスよりはるかに広いのでどこでとか待ち合わせをしても、スマホを持っていないひなちゃんと行き違いになる可能性がある。だからあたしとひなちゃんは南町のローソンで待ち合わせをして30号線を南下し2人自転車でアリオに向かう。一方佐藤さんは自宅から直接アリオの待ち合わせ場所に行く。30号線沿いを行くと(かみ)の交差点がありそこの信号を渡ってほんの少し行けばアリオが現れる。立体駐車場が建物に沿うようにあって、その隙間に自転車置き場がある。建物に挟まれる感じだから日陰で気持ちいい。するとあたしたちを見つけた佐藤さんが手を振って駆け寄ってくる。
「佐藤、中で待っててくれたらよかったのに。いくら日陰やっても暑いで」
「そや、中やったら冷房も効いてて快適だったのに」
「ま、ま、待ち、あ、合わせは、こ、こ、ここだから」
「そんな俺らに気を遣わんでもええのに」
「今年の夏は特に暑いから、熱中症は怖いで。気を付けや」
「ご、ご、ごめんなさい」
「だから、佐藤は謝らんでええって」とひなちゃんが真面目な顔で言いアリオの中に入った。涼しい。あたしは炎天下のなか自転車をこいできた自分へのご褒美かと思った。入るとすぐに1階の左手側にはイトーヨーカドーが大きな面積のテナントに入っている。それを見てひなちゃんが言う。
「喉乾いたら言いや。俺、2人におごれるくらいのお金は持ってるから」
「ありがとうひなちゃん。でもあたし家出る前にしっかり水分補給はしてきたから」
「わ、わ、私も」
「そうか。それで紀伊國屋書店は3階やから、ここのエスカレーターで上に上がろうか」とひなちゃんはイベント広場横のエスカレーターに乗った。あたしたちもそのあとをついて行く。ひなちゃんは黙って紀伊國屋書店を目指して歩く。万引き防止のゲート抜けてあたしたちは中学参考書のコーナーに向かった。するとひなちゃんが言う。
「うーん、中学全般の参考書が少ないな」
確かに中学1年とか2年、3年とかターゲットを絞った参考書が多い。その中でも高校入試用の参考書をひなちゃんは念入りに探す。あたしと佐藤さんもいろいろ手に取ってみるが、何がよくて悪いのかイマイチわからない。しばらくするとひなちゃんが「これがええんとちゃうかな?」と1冊の本をあたしたちに見せた。
「内容も基本的な英文法から始まって、英文解釈、長文ってだんだん実践的なっていくわ」とぱらぱらとページをめくって見せるけど、あたしにはこの参考書がええのかはもちろんわからない。
「なんて本?」
「えっと、文理って出版社の『完全攻略3年間の総仕上げ高校入試英語』やって」
「ちょっと見せて」とあたしはひなちゃんから参考書を受け取って佐藤さんと見る。確かに最初のページはあたしでもわかるくらい簡単な文法問題だったけど、ページをめくるごとに徐々に難しくなっていく。最後の方の長文なんて全く分からなかった。
「ひなちゃん、これ、あたしにはちょっと難しくない?」
「いつも言ってるやん。基礎を固めろって。受験英語でまず基礎になるのが英文法。それができるようになったら、英文解釈。長文は現時点では練習かな?」
「そやけど、(かみ)高のレベルを超えてるんちゃう?」
「そうかもしれんけど、その本完璧にしたら、高校の英語が楽になるで」
「わ、わ、私は、か、買う」と佐藤さんが宣言するので、あたしも「それなら、あたしも買うわ」と負けじと言ったあたしは少しみっともなかった。
「そうか。いま見てたんやけど、その本のシリーズの数学版も結構ええで」
「そっちも買う」とあたしと佐藤さんが同時に声を出したので、本屋やのに何だかおかしくて笑った。
「ちょうどその本、両方とも2冊ずつ置いてるから」とひなちゃんが少し笑いながら言う。あたしと佐藤さんは参考書を英語と数学と2人で2冊ずつ取ってレジで会計を済ませた。

 あたしたちは「ええ買い物だったよね」とか言いながら紀伊國屋書店を後にした。
「参考書買っただけで満足してたらあかんで。ちゃんとやらんな。わからんところがあれば、俺でも先生にでも聞きや。でももうすぐ夏休みやから先生は難しいか?」
「それなら、定期的にあたしンちで勉強会せえへん?」
「わ、わ、私の、う、うちでも、で、で、できる」
「そやな。やるか」とひなちゃんが答え、あたしたちがはしゃいでいると目の前に男子高校生2人が立っていた。
「君ら中学生? 俺たちと遊ばない?」と突然声をかけてきた。あたしはとっさに2人を守らないと思うが、怖くて言葉が出ない。
似合わない派手なTシャツを着た方の男が「君たちみんなかわいいね。特に君」とひなちゃんに視線を向ける。何とかしなくちゃと思う心とは反対に身体は怖くて何も出来ない。
「君は中学生と思えないくらいスタイルがいいね」と夏なのに皮パンでウォレットチェーンをしてる男があたしに近寄ってくる。その瞬間「ナンパなら他をあたってください」とひなちゃんがあたしと男のあいだに入っていた。男たちは「あれあれ、1番かわいい子が1番気が強いの?」ってバカにする。ひなちゃんは怒って「ナンパなら間に合ってるって言ってるだろ! どっか行け」とキレた。すると男どもは「怒った顔もかわいいね」と笑い「31アイスおごってあげるからさー。遊ぼうよ」と派手Tシャツ男はひなちゃんの細い手首をつかんだ。その瞬間、男の手をひねり上げる大人の手が見えた。あたしはその大人を見て安心する。その大人はクロネコヤマトの配達員の人だった。肉体労働で鍛え上げられたその人の力と迫力に高校生たちは簡単に逃げて行った。
「君たち、大丈夫だった?」と配達員の人は聞いて来る。ひなちゃんが「ありがとうございます」と答えると「ここは週末になるとナンパ目当てのろくでもないやつが来るねんな。君たちも気を付けや」と言うと台車のところに戻り、台車を押しながら配達を再開した。男の人ってこんなにかっこええんやとあたしが感激していると、ひなちゃんはがっかりした声で「ごめん。鹿渡、佐藤。俺では2人を守ってあげれなかった」と頭を下げて謝る。だけどひなちゃんが身体を張ってあたしを守ろうとしたことはめちゃくちゃ嬉しかった。でもひなちゃんはあたしの中では女の子で…。あれ、なんかおかしい。そやけどなんで? あたしにとってのひなちゃん女の子像が徐々に壊れ始めた出来事やった。
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