第107話 鹿渡弘美

文字数 2,289文字

 ひなちゃんのお母さんからLINEが来た。今度の土曜日、ウイングスの喫茶ララでランチなんていかがでしょうかと。私は迷いもなくいいですよと返信していた。あのひなちゃんのお母さんと直接会えるだなんて。私は子育てのことや親としての子供に対する態度など、いろいろ聞いてみたいことだらけだった。もちろん私がしてきた弘子への教育は間違っていないと思っている。だけど、あんなに優秀なひなちゃんを見せつけられたら、少しでも参考にしたいと思うのが親ってものだ。そして弘子には自分の力で幸せになって欲しいって思うのが当然な親の感情だ。周りに頼る時代は私たちの世代でとっくに終わっている。だけどその危機感が弘子にはない。だから私はそこを心配している。父ちゃんもそうだ。

 土曜の朝に弘子が「おかあちゃん、お昼は袋のインスタントラーメンでいいかな?」と聞いて来るので「ごめん、弘子。かあちゃん、昼から昔の友達と会う予定になってるねん。お昼は父ちゃんと2人で食べて」と嘘をついた。すると弘子は鵜呑みにしたのか「学生時代の友達と会うんやね。お父ちゃんも言ってたけど、学生時代の友達は大切やからゆっくりしてきて。ところで夜のご飯はいる?」と聞いてきた。「いや、大丈夫、ちょっと会うだけやから」とかわすと「ゆっくりしてきてもええんやで」と弘子は笑う。私は弘子には申し訳ないなと思いながらひなちゃんのお母さんと会うことは隠した。すると父ちゃんがやっと起きてきて「弘子~、今日は父ちゃん、醬油ラーメンを食べたい気分やねん」と弘子に言う。弘子は怒って「醬油ラーメンはもうないねん。塩とんこつラーメンしか残ってないわ」と声を荒げる。「ストックくらいしておけよ弘子~」と言う父ちゃんに弘子は激怒しながら「それなら自分で買ってきたら!」と部屋に戻った。

 私は13時に喫茶ララに着くようにウイングスに行った。初めて会う人なのでわからないかと思っていたけど、指定通りに通路からよく見えない席に一人座っている女性がいた。私は恐る恐る声をかける。すると「ひなたの母の山田愛です」と答えたので私は焦って「弘子の母の鹿渡弘美です」と挨拶をした。ひなちゃんのお母さんは私より10歳くらい年上って感じがしたけど、その穏やかな笑顔に私の緊張感もほぐれ、ひなちゃんのお母さんの隣のカウンター席に座る。
「鹿渡さん、ランチは日替わりがおススメですよ。もし苦手な食べ物がなければ、値段も安いし美味しいし。もちろん無理強いはしませんけど、私も頼むつもりです」とメニュー表を渡そうとする。だけど私はメニュー表を断ってひなちゃんのお母さんのおススメを無性に食べたくなる。
「そうですね。私も日替わりをお願いしようかなと思います」
「それなら注文しますね」とひなちゃんのお母さんはにっこり笑って2人分を注文した。

 運ばれてきた料理を食べながら、私はひなちゃんのことを聞く。
「ひなちゃんって今でも信じられないくらいかわいい女の子なんですけど、ほんとに男の子なんですか?」
「ひなたは身体的にも精神的にも完全な男の子です。ただ私が女の子欲しかったからそういう風に育てたんですけど…。でもひなたはやっぱり男の子なんです。普通に女の子を好きになる。私には話さないけどひなたは弘子ちゃんのことが好きなんですね。私はひなたには直接言わないにしても、だけど行動とか見ていると十分分かります」
「ひなちゃんが弘子のこと好きですか? 逆ならわかりますけど、ひなちゃんみたいな優秀な子がうちの弘子を好きなんて…」
「鹿渡さん、優秀とかいう問題ではないんですよ。好きになるには。もちろん、短期的にタイプとかありますが、ひなたはそういう目で弘子ちゃんのこと見てませんよ」
「そう言われるとありがたいですが、うちの弘子には何も魅力なくて…」
「そんなことないですよ。たまにひなたが言うんですけど、弘子ちゃんといると楽しいって。今はそれだけで十分じゃないですか?」
「そうですね。うちの弘子が鈍感なのでひなちゃんの気持ちに気づいていないんですよ。ホント情けない」
「まあ、まだ中学生だし、親としてはお互いの気持ちを見守っていきましょう」
「そうですね、それくらいしかできませんしね」
「それにしても、弘子ちゃん。ひなたが惚れるくらいじゃなくて私も一目ぼれしました。すごくいい子ですね」
「いや~。私たち親は放任主義で細かい教育とかしてこなかったですし」
「うちもそうですよ。子供の自主性に任せるみたいに」
「そうだったんですか」
「だからこそうちのひなたにあったかもしれませんね。私、母親の考えとしてはひなたに弘子ちゃんと付き合って欲しいって思っています。もちろん男の子の親の勝手な妄想ですけど…」
「いや、うちの弘子もひなちゃんと付き合って欲しいと思っています。全然釣り合わないのは承知していますが」
「いやー、弘子ちゃんはひなたにはもったいないくらいですよ」
「ありがとうございます。弘子でよければぜひひなちゃんと付き合わせてください」
「それなら、私たち親は2人が付き合うために裏で手を組みましょうか?」
「そうですね。私も弘子の幸せを望んでいますし」
「その気持ちは私も変わりません。ひなたに幸せになって欲しい。それだけです。そしたら2人をうまくいかせるためにこれからも連絡を密に取り合いましょうか」
「わかりました」と私は答える。娘のために恋のキューピット役をするって思いもよらなかったけど、ひなちゃんのお母さんも乗り気や。影ながらやってやろうって思いながらも、だけど弘子はこういうことには鈍感やからなって頭が痛くなる。
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