第115話 鶏飯

文字数 2,272文字

 春の穏やかな香りがするおりいぶ公園のベンチでひなちゃんが言う。
「鹿渡、うちにご飯食べに来んか?」
「なんなん? 急に」
「母さんが鹿渡にうちの鶏飯食べて欲しいってうるさいんや」
「それは興味あるけど、ひなちゃんのお母さんって…」
「そこは問題ないわ。俺も引くくらい鹿渡のこと気に入っていてな」
「それは嬉しいけど、ホンマええの?」
「いや、マジで来てくれ。最近、俺でも怖いくらいやねん」
「それなら、おかあちゃんに聞いてみるけど。ホンマ大丈夫なん?」
「それは大丈夫や。母さん、鹿渡のことめっちゃ気に入っているからな」
「でも小学生の頃、堀と問題起こしたって聞いてるけど」
「あれは終わったことや。中3にもなって今更蒸し返しはないやろ」
「そうやったらええけど。なら西野君も誘ったら…」
「大丈夫や。新太は誘わん。鹿渡だけで来てくれたらええねん」とひなちゃんは言った。あたしは不安になり、その夜不安半分でおかあちゃんに聞いた。
「おかあちゃん、ひなちゃんのうちにご飯食べに来てと誘われてるんやけど、あたしどうしたらええかな?」
するとおかあちゃんは食い気味に「絶対行くべくや」と答える。
「あたし、ひなちゃんのお母さんは怖い人ってみんなから聞いてる。でも、あたしには優しくてすごい素敵なお母さんやと思うねんな。でもあたしだけでは判断できへんから、どうしても不安があるねん」
「愛さんは凄く優しい人やから、弘子はひなちゃんちに行くべきやな」とおかあちゃんは答える。それでもあたしは不安になり「でも」と答えると、おかあちゃんは「愛さんは信用に値する人や。すべこべ言わずにごちそうになりに行き」と怒った。その勢いに負けてあたしはひなちゃんの家でごちそうになることを決めた。それにしてもおかあちゃん、ひなちゃんのお母さんとこんなに仲良くなっていたんやとあたしはふと疑問に思った。

 約束の土曜日午後5時、あたしはひなちゃんのうちに行った。チャイムに出たひなちゃんは下まで迎えに行くと何だか嬉しそうな声だった。あたしは開いたオートロックの中に入ってひなちゃんを待っていると、エレベーターからひなちゃんが出てきた。完全に部屋着なのにそれでももの凄いかわいさを感じさせるひなちゃんにあたしは圧倒された。ひなちゃんかわいすぎる…。ひなちゃんに案内されるままひなちゃんのうちに着き、あたしはひなちゃんのうちに入る。手を消毒してひなちゃんがこっちって自分の部屋に誘うのに反して、ひなちゃんのお母さんが「弘子ちゃん、こっち手伝って」と台所に呼ぶ。ひなちゃんはお母さんには逆らえないのか、素直にあたしをお母さんに譲った。台所に着いたあたしにひなちゃんのお母さんは「弘子ちゃん、ちょっとだけ手伝ってね」と言う。あたしは素直に「はい」と答えた。あたしはひなちゃんのお母さんの指示通りに洗面台のハンドソープでしっかり手を洗う。

「これ、鶏ガラのスープ。弘子ちゃんはインスタントの鶏ガラスープ使っているみたいやけどね。うちは鶏ガラからスープ取るの」
「でもこの辺では鶏ガラって扱っている店なんてありませんか?」
「そうやね。だから私はウイングスのミスターチキン鳥治(とりじ)って店に前もって頼むの。市販の鶏ガラスープよりコクが出るからね」
「あたし、そこまで考えていませんでした」
「これにショウガを入れて煮るのよ。灰汁を取りながら。それで前日から用意していた干しシイタケを水につけて戻しておいた出汁と、鶏もも肉を煮込んだ出汁を合わせるの」
「そんなに複雑な出汁を使うんですね」とあたしは感心する。
「ここまでは私がしておいたわ。あとの味付けと錦糸卵は弘子ちゃんお願いね」といきなりあたしに丸投げされた。あたしは急に台所に立ち錦糸卵を作り、スープの味付けをする。ひなちゃんのお母さんが言った通りに味付けしてスープは完成した。味見をするとうちで作っている鶏飯のスープよりはるかに濃厚で、それでいてコクがありとてもおいしかった。その間、ひなちゃんのお母さんは鶏もも肉を裂きながら、戻したシイタケを千切りにして、あたしにはよくわからなかったけど柑橘類の皮を細かく刻んでいた。炊き立てのご飯の上にそれらの具材を乗せて暖かいスープをかける。あまりにもおいしそうであたしは自分が作っていた鶏飯との圧倒的な差を感じざるを得なかった。そしてひなちゃんが自分の部屋から食卓へ来る。
「弘子ちゃん、これ、めっちゃ美味しいよ」と一口食べて言う。
「ひなちゃんのお母さんに教えてもらった通り作っただけやから」
「それでも、普段より美味しいよ」
「ひなたも恋には盲目か? 母さんもかなわないわ」
「なに言ってるのよ」とひなちゃんは照れる。だけどあたしはひなちゃんのお母さんにはかなわないわと謎の敗北感を感じる。その後ひなちゃんのお母さんと一緒に食器などの片づけをしてたら「本当に私、娘が欲しかったわ」と言われてしまい、どう返したらいいのかわからずにとっさに笑顔で逃げた。そしてひなちゃんのお母さんは「ひなた、弘子ちゃんを送っていきなさい」と言い、ひなちゃんはあたしを家まで送ってくれた。

 帰り道、ひなちゃんは「父さんがいたらこんなことにならへんかったけど、今日は学生の新歓コンパやねんな」と申し訳なさそうに言う。そして「招待しておきながら鹿渡に作らせてごめんな」と謝る。「かまへんよ」とあたしは笑う。だけど、あたしはひなちゃんのうちの味を教えてもらえて嬉しかった。ひなちゃんが好きな味、いつも食べている普段の味。それが知れてあたしには収穫の多い日になったと感じていた。
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