第138話 洗面台のプラカップ

文字数 1,765文字

 お弁当を食べ終わるとひなちゃんが唐突に変なことを聞いてきた。
「なあ、ご飯食べ終わったら歯を磨くやんか? 学校ではせえへんけどさ」と西野君から空のお弁当箱を受け取ったひなちゃんはリュックにしまいながら話を続ける。
「家なら普通磨くやん。それで自分専用の歯ブラシがあるのも当たり前やんか。でも自分専用のプラカップってあまり聞かんよな?」
「そやな。あたしンちは家族共用やわ」
「わ、わ、私も」
「俺のとこもそうやけど、ひなちゃんちは違ったな?」
「そやねんな~。自分専用のプラカップがあるねんな」
「ひなちゃんちに泊まりに行ってた頃は俺専用のプラカップもあったもんな」
「そうなん? ひなちゃんのお母さんって潔癖症なん?」
「いや、そういうわけでもないんやけど、なんか実家にいたころからそれが普通やったらしいわ。だからそれが当たり前なんかなと思っていたらしいわ」
「俺も小学生の頃、良く泊まりに行ってたから、愛さんがわざわざ俺の分まで買ってきてくれたんやな~」と西野君は1人感慨にふける。
「新太、あの緑色のプラカップまだ残してるで。いるなら今度持ってくるわ」
「そやな~、俺も親父との共有はちょっと嫌かなと思ってたし、それなら持ってきてもらおうかな」
「わかった。明日にでも持ってくるわ」
「ひなちゃんちは自分専用のプラカップって色で別れてるん?」
「そやで、俺がピンクで父さんが青、母さんは白や」
「改めて言われてみたら、使う前に洗うけど確かに家族で共有ってなんか嫌やな気がしてきた」
「わ、わ、私も、そ、そんな気が、し、し、してきた」
「あと、自分専用の練り歯磨き粉もあるで」
「そこまで徹底してるんや。ひなちゃんち」とあたしは聞きつつひなちゃんと同じ銘柄のを使ってやろうと心の中でこっそり思う。
「なんかわりと個人主義な家なんなろうな、うち」
「それでひなちゃんは何使ってるん?」
「俺はクリニカ。父さんはGUM、母さんはOra2やな」
「俺もひなちゃんと同じクリニカ使ってるわ。泊まりに行ったとき歯磨き粉だけはひなちゃんと共有やったから」
「あたしんちは特に決まってないわ」
「わ、わ、私の、い、家も、と、と、特に決まって、な、ない」
「あたし家に帰ったら、早速別々のプラカップにするように言うわ」
「わ、わ、私も、い、言う」
「なんかひなちゃんに言われたら急に家族共用ってリアルに嫌な感じがしてきたわ」
「まあ、プラカップなんてセリアで売ってるしな。でもな、それよりも歯ブラシケースの方が大切やで」
「なんでなん?」
「昔、ひなちゃんち、歯ブラシケースなんかしてなかったやん」
「それがな、おととしの夏に母さんが恐怖体験をしてん」
「歯ブラシで恐怖体験って何? 訳がわからへんねんけど…」
「ビビるなよ。マジで恐怖体験やからな。ある日、母さんが歯を磨こうと洗面台に行って自分の歯ブラシを取ろうとしたら奴がいてん」
「奴って…。なんか心霊現象とか」
「そんなん全然怖くないわ。もっと怖いものが歯ブラシ、しかもブラシ部分の上にいたんや」
「もったいぶらずに教えてや、ひなちゃん」とあたしは話をせかす。するとひなちゃんは低い声でたった1言だけ呟く。
「Gや」
「Gってもしかして…」あたしは嫌な予感がした。
「そう、やたら自慢気に黒光りして、針金のような触角を見せびらかすようにゆらゆらさせて、カサカサと動くみんな大嫌いなあの虫や」
きゃーと声を出してあたしと佐藤さんは抱き合う。世の中にこんな恐怖体験があってもいいのだろうかとあたしたちはビビる。
「もしかしたら、鹿渡や佐藤の知らないうちにGが歯ブラシを舐めてるかもしれんで」
「やめて、ひなちゃん!」とあたしたちは大きな声をあげる。すると西野君が「ひなちゃん、ビビらせすぎや」とひなちゃんを怒る。ひなちゃんは「ごめん、ごめん」と謝りながらも「でも実話やねん」とダメ押しをしてくる。あたしは一刻も早く歯ブラシケースを買わんなと焦る。
「ひなちゃん、その歯ブラシケースってどこで売ってるん?」
「セリアにでもあるんちゃうか。佐藤ならアリオのダイソーとか」
「すぐに買いに行こう、佐藤さん」
「う、うん。じ、じ、Gは、ぜ、ぜ、絶対、い、い、嫌だから」
そんな話をしていると予鈴が鳴った。この蒸し暑い時期にとんでもない怖い話を聞かされて、あたしたちは全身に寒気が走っていた。
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