第24話:バハカリフォルニアクルーズへ

文字数 1,420文字

 1985年12月、ヨットクラブで小型船舶1級を持ってる2人とヨットクラブの仲間3人の6人でサンディエゴから7日間の休みを取りバハカリフォリニアのロスカボスまでロングクルーズを計画した。12月4日、朝8時にサンディエゴを出発して、昼にエンセナダについて、昼食をとり、水や食料を補充した。レンタカーでエンセナダの名所の潮吹き岩見学に出かけ、午後14時に出発した。その後、ロスカボスまで2-3日かけて連続クルーズとなるので、手の空いてるものは仮眠して、ヨットの運転は免許のあるものが3交代制で担当した。

 その他の人も3交代制で常時2人でカタマランの運行を管理していた。風に向かって帆を張り、ヨット走行の練習も試してみたがカタマランは、普通のヨットに比べて、安定感があり、帆を張って走行しても高速でも安定感があり扱いやすかった。夕飯も2人ずつ交代でとり夜0時に次の2人と交代した。その後、朝8時、次の2人と交代、予想したよりも速い速度走れたので残り2日でカボ・サンルーカスに着けそうだ。

 夜は満天の星が素晴らしく自然の壮大さに感動させられた。特にアクシデントもなく1日が過ぎて2日目も特にトラブルもなく3日目の夕方16時にロスカボスに到着した。到着後、港に船を係留して、2人ずつ、交代でロスカボス観光を楽しみ、ヨットに給油し、必要な分の水と食料を買い込んだ。リチャードのロスカボスの第一印象は、日射しの強さだった。痛いくらいの日射しでサングラスをかけ、日焼け止めを厚く塗っても日焼けしてしまった。また、乾燥がひどく、保湿剤を塗らないと肌がすぐにカサカサになってしまう。

 翌日の8時、ロスカボスの港を出港し3交代制でカタマランクルーザーヨットを運転した。数日、交代しながら、運転して、このヨットの運転方法にも慣れてきた。リチャードは、今回のクルーズでは夜の満天の星空の素晴らしさに十分満足した。今回のヨットのクルーには大酒飲みがいなくて、トラブルもなく、帰れると思っていたが、世の中そんなに甘くなくて、ロスカボスの港を出て4日目の夜、ヨットクラブの仲間のヘンリーが、お腹を壊してトイレから出られないという、アクシデントが起きた。

 下痢止めの薬を飲んでも直らず、痛みは弱いが困ってしまった。翌朝、エンセナダに寄港し、タクシーで近くの病院に行くと数日、入院する事になりヘンリーの友人のテイラーが付き添い、2人で陸路、サンディエゴに帰ることになった。やむを得ず、4人で、エンセナダを後にして、半日後、12月10日、夜17時半にサンディエゴ港に帰って来た。翌日12月11日の昼にエンセナダの病院に残した。テイラーから電話が入り下痢の原因は、ロスカボスの水がヘンリーに合わなかっためだろうと医者に言われたと話し明日にはサンディエゴに戻ると言った。

 12月12日の夕方16時にヘンリーとテイラーが来るというのでヨット・クルーの6人が集まってクルーズ旅行の話をして盛り上がった。ヘンリーが今度から自分の水しか飲まないことにすると反省していた。そして次回のクルーズを来年の3月頃、今度は北上しロサンゼルス、サンフランシスコへ同じ6人のクルー行こうと言うことになった。1985年の12月26日、ヨットクラブで忘年会を開いて来年のロサンゼルス、サンフランシスコへのクルーズの話で仲間6人で持ちきりだった。久しぶりにリチャードもかなり酔っ払らいタクシーで家に帰ってきた。
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