第47話:東北への石油輸送作戦4

文字数 1,469文字

 当然、緊急時の連絡などのミッションを担っているのだが、その雰囲気で遠藤さんの緊張は少しほぐれた。「出発進行!」午前4時過ぎ、遠藤さんの号令とともにDD51にタンク貨車の重さが伝わっていく。10両のタンク貨車は全部で600t。重連のDD51の定量は700tで、100tの余裕があるはずだが、遠藤さんは「重い…」と感じた。通常の荷物に比べ、石油の様な液体は密度が高いせいか、手応えが重い。それだけだろうか。整備しているとはいえ、DD51は廃車寸前。

 馬力が落ちている懸念が拭えない。窓をたたく雨粒は徐々に大きさを増した。郡山まで、あと六十数キロもあるのに速度を上げていく石油列車を関係者たちが祈るような気持ちで見送った。前日の3月25日。会津若松駅の会議室では、JR東日本側のミーティングが行われていた。石油列車のタイムスケジュールや異常時の対応手順などを確認した。会議終了後、当時の会津若松駅長の渡辺光浩さんは部下に声をかけた。「JR貨物からは何か言ってきたか」
「いや、何も。駅長、何か気掛かりでも」

「DD51の牽引定数、平地で8百tだろ。今回の6百tの石油タンク重すぎないかな…」
渡辺さんは国鉄に入社し、最初の職場は貨物の連結などをする部署だった。直接運転することはなかったが、ディーゼル機関車の力強さや石油を積んだタンク貨車の特殊な揺れ方を記憶していた。会津若松駅長に就任し、磐越西線の難所も体感してきた。春遅くまで雪が舞い散る気候。石油列車の車輪はかなりの確率で空転し、最悪、停止する。そんなときには、後ろから別の機関車で押して脱出するしか手がない。

「JR貨物側は大丈夫だと踏んだんでしょう? 要請もなくサポートの機関車を用意するのはちょっと…」。部下の意見はもっともだった。しかしJR東日本の会津若松駅長だった渡辺光浩さんが「おい、DE10を用意しとけ」と部下に指示を出した。DE10は中型のディーゼル機関車で、ローカル線の客車牽引のほか、駅構内の貨車運搬などに多く使用される、予備的な機材だ。山道で石油列車が動けなくなったら、後ろからDE10で押して脱出する。DD51の運行に合わせ、26日早朝から運転士を待機させ、暖機運転までしておけという指示だ。

 今回の石油輸送は、背景に政府の意向があるものの、基本的にはJR貨物の仕事だ。JR東日本は磐越西線のインフラを管理、提供しているにすぎない。1987年の国鉄民営化前は1つの会社だったが、今は違う。非常時とはいえ、それぞれの枠の中で分業すべきだ。JR東日本としては磐越西線の緊急修理などで既に十分な役割を果たした。JR貨物からの要請がない状況で、JR東日本が機関車を待機させる必要はない。しかし明日、列車が止まってJR貨物から要請が来てからDE10を用意すれば、運転士や整備士の確保など準備に丸1日かかる。

 被災地に石油が届くのが1日遅れるだけ。そうじゃない。非常時だからこそ、一秒でも早く届けろ。鉄道マンの魂がそう言っている。明日の待機を運転士に告げるため、受話器を握る社員の顔にも決意が宿っていた。3月26日4時過ぎ、会津若松駅のプラットホームを出発した
石油列車。DD51を運転するJR貨物の遠藤文重さんには、窓越しにDE10が見えた。「ああ、準備しているのかな。そんな話はなかったけど」。遠藤さんのつぶやきに、同乗していたJR東の職員は何も答えなかった。会津若松駅を出てすぐ、みぞれが大きくなった。同日未明、日本石油輸送・JOTの石油部、渡辺圭介さんは会津若松駅付近にいた。
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