第46話:東北への石油輸送作戦3

文字数 1,418文字

 25日には実際に短い旅客車を引いた機関車で磐越西線の確認走行が行われた。車両には遠藤さんのほか、信号や保線の専門家など15、16人が搭乗し、会津若松から郡山まで踏切ごとに止まりながら時速25キロで走行。遠藤さんは勾配の確認やアクセル:ノッチやブレーキをかける目標物を確認しながら、走行イメージを膨らませていく。「ディーゼル機関車は惰性で走らないからこまめにノッチを開ける」遠藤さんの手には十年以上前に磐越西線を走ったときの自作のメモが握られていた。

 こうした路線や機関車の特長を列挙したメモは「あんちょこ」とも呼ばれ、運転士の財産の一つだ。磐梯町から翁島の間、勾配が増し急カーブが迫る。谷のような地形で、冬場は雪がふきだまる。以前、遠藤さんが運転した旅客車両が動けなくなった地点もこの辺りだ。いやな記憶がよみがえったが、空は抜けるような快晴。「きっと、大丈夫」遠藤さんはつぶやいた。25日夕、講習を終えた遠藤さんを除く3人は新幹線と在来線を乗り継いで那須塩原に到着、タクシーで郡山に向かった。

 栃木、福島の県境を越えたところで、タクシーのフロントガラスに白いものが当たり始めた。「おい、雪だ」付近をみると道路には積もっていないが草地には雪が残っていた。「まずいな、1番列車登れるんだろうか」その不安は現実のものとなっていく。磐越西線ルートでの石油輸送が始まった。3月25日、根岸・横浜市を出発した石油列車は20両のタンク貨車タキ1000を牽引して北へ進む。20両の内訳はレギュラーガソリン8両、灯油2両、軽油6両、A重油4両となった。同日深夜、新潟貨物ターミナル駅に到着。

 ここからタンク貨車10両が切り離され、ディーゼル機関車DD51・重連に連結された。運転士はJR貨物の東新潟機関区所属の斉藤勉さん。キャリア30年のベテランが慎重にブレーキを解除し、ノッチ・アクセルを上げていく。26日午前1時。予定通りの出発だった。会津若松駅近くのホテルに宿泊していたJR貨物郡山総合鉄道部所属の運転士、遠藤文重さんは、午前3時に起床。食事を取り、会津若松駅に歩いて向かった。傘を差すほどではなかったが、みぞれ交じりの小雨がぱらついていた。「山の上はどうかな…」歩を進める遠藤さん。

 気が張っているせいか寒さは感じなかった。会津若松駅には線路を管理するJR東日本の関係者が20人ぐらい集まり出発の準備が進められていた。4時近く、暗闇の中から石油列車が発着場にやって来た。機関車の前には「たちあがろう 東北」のヘッドマークが飾られている。運転席から斉藤さんが降りてきた。腹に響くようなDD51のエンジン音が会話を邪魔した。「この先は気をつけて。天候悪そうだから」斉藤さんのその言葉だけが遠藤さんの耳に残った。遠藤さんは運転席に乗り込み、いつものように指さし確認をしながら、運転手順をこなす。

 ふと時計を見ると、発車時間を15分ほど過ぎていた。機関車を付け直す作業があり、それが原因かもしれない。「くそ、遅れてるじゃないかよ」いやな予感がする。運転席には遠藤さんのほか、JR東日本の運転士が指導員として同乗。万一のトラブルに備えた。もう一人、JR東日本の会津若松駅の運輸区長も乗り込んできた。実は石油列車の初便には、多くの関係者が乗りたがっていた。あっけにとられる遠藤さんをよそに、運輸区長は「マニアだからさ、俺は。まあ、役得ってやつ」とおどけた。
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