第23話:シアトルへ初クルーズ

文字数 1,411文字

 その晩、橫浜のホテルニューグランドに泊まり、翌日ホテルから成田行きの高速バスで夕方の成田発のサンディエゴ行きの直行便で5月16日にサリーと2人の子供の待つ家に帰った。帰ってからサリーの父にサンディエゴ・ヨットクラブへ連れて行ってもらいクラブのマネージャーに新規入会のために紹介してもらい入会金と入会手続きをしてきた。その後、1級小型船舶操縦士を取るため参考書を買い込んで実地訓練の日程を調べて1年をかけて免許取得の計画を始めた。1984年、購入した株も、大きな動きはなく、様子見だった。

 時間があれば、ヨットクラブで教本を使った勉強と、小型ヨットを使った、訓練をメンバーに依頼して、教えてもらう日々が続いた。やがて暑くなり、涼しくなり、あっという間に10月を迎えて、1回目の1級小型船舶操縦士試験を受験する事になりった。学科試験に合格して、実地試験を受けたが、もう少しの所で、落ちてしまった。その後、来春の試験に向け、時間のあるときは、実地訓練を教えてもらうように、メンバーに依頼して、操縦方法の腕を上げた。そうして、1984年が終わり、1985年を迎えた。

 ヨットの操縦方法の実践練習の日々が続き1985年3月14日、実地試験が開かれ、今回はミスなく、ようやく合格できた。仲間から1級船舶資格検定試験の合格祝賀会を開いてもらい、どんなヨットが良いか聞くと長距離クルーズをめざすなら少し値段は高いが40フィート・12m以上の大きさのクルザーヨット「エンジン付きヨット」が良いと言われた。船の安定性と考えると双胴型・クルーザーヨットが、おすすめと言われた。そして、いろいろ検討した結果、フランス製の45フィートのカタマランクルーザーヨットを100万ドルで購入した。

 その後、10人乗れる45フィートのカタマランクルーザーヨットで、毎週の様に家族や安田商事・サンディエゴ支店の仲間とサンディエゴ湾の回りを回って技術を磨いていた。1985年6月25日に、リチャードとクルーズ仲間の合計6人でクルーズ計画を立て、サンディエゴからサンフランシスコ、シアトルまでの7日間のクルーズを計画し1985年7月8日から7月15日とする事を決めた。

 1985年7月8日、リチャードは朝6時過ぎにヨットクラブについて、食料や水、救急道具など必要な物を用意して、クルーザーヨットに荷物を運び入れ終わる頃、以前と同じ仲間6人がやってきて船の点検をし、7時頃にサンディエゴを出発した。その後、夜18時過ぎにサンフランシスコ港に着いて、3人ずつに分かれ、食事し、必要な飲み物、水、食料品を買って、夜20時にサンフランシスコ港を出た。満天の星を楽しみなら、3交代で航海をして、7月9日の昼12時には、シアトルとの中間地点のバンドンの港が見えた。

 しかし、その港に寄らず、そのまま北上して7月11日の夕方16時過ぎにシアトル港に到着し翌朝7月12日の朝7時に出航する予定にした。久しぶりに陸上でゆっくりし必要な水、飲料、食料品と給油し、明日の出航の準備を整えた。ビールで乾杯して、その晩シアトル港のヨットハーバーにヨットを係留し船内のベッドで眠った。翌、7月12日の朝6時に起きて出航前に再度確認を取って7時前にシアトル港を後にして、帰り、無寄港でサンディエゴに帰る事にした。7月14日の夜9時にシアトル港に到着して2日間、初めて無寄港クルーズを体験した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み