第9話:欧州航路で1ケ月の船旅1

文字数 977文字

 この出来事を知った三井物産の本居康智が、
「これでドイツをはじめとする同盟国側の敗戦が濃厚だ」と話し、今日の話合いを終えた。安田亀吉が時期が来たらパスポートの手配を宜しくと言って本居康智とジュームス加藤を見送った。この頃、安田商事で長男の勝一と次男の勝二が横浜商業学校を卒業し商売を手伝った。商売も大きくなり生糸や輸入雑貨品、食料品、生活雑貨、商売も手広くなり当然取扱高も増え収入も数倍に増えた。

 安田の子供達もヨーロッパへの移住について興味津々で新天地での商売、生活に夢を膨らませていた。1918年に入り、益々、連合国側の優勢の情報が伝わり安田亀吉は、1918年中には第一次大戦が終結するだろうと予測した。その後1918年8月8日、北フランスのアミアン付近でアメリカ軍が参加した連合軍によって撃破されたとの情報も入りて安田亀吉は戦争終結の日が近づいたと感じた。そこで1918年8月10日、三井物産の本居康智さんにパスポートの手配をお願いした。

 3ヶ月後の11月11日、本居康智がパスポートを安田家の4冊のパスポートを持って来てくれた。その時、約束した手数料35円を支払った。翌週、本居康智さんがやってきて、
「1918年11月11日が、第一次世界大戦の終戦記念日となったと告げた」
「そこで橫浜からマルセイユの船便の中等室・切符4人分の手配をお願いした」
「中等は4人1室で費用は700円と言いパンフレットを渡してくれた」
「出港の日は1918年12月11日でマルセイユ到着が翌年1月11日と知らされた」

 やがて出発の日、1918年12月11日を迎え安田亀吉、勝一、勝二は最近、新調した背広を着込んで母の衣子は洋服を着て横浜港へ出かけた。乗船する船は日本郵船の諏訪丸、1万2千トン、速力16ノットと高性能で諏訪丸の公室の装飾は英国ウエアリング・アンド・ギロー社によりクラシカルな様式だった。乗船前に厳しい、手荷物検査とパスポート検査、本人確認を受けて、許可が下りた順番に乗船していった。

 その後、横浜港を離れ、翌日、神戸港へついた。船の朝食はパンと珈琲とサラダ。
「航海中、水、1日3リットルしか使えず洗面も上手にすませる必要があった」
 その後、日本を離れ広い東シナ海の大海原を眺めると長い船旅をしているという実感が湧いた。7日の航海の末、中国、上海港へ着いた。
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