第15話:第二次世界大戦の開戦と終戦

文字数 1,227文字

 ドイツが第1次世界大戦後、ベルサイユ条約の結果、巨額の賠償金を支払う事になり経済復興に苦しんだドイツに世界恐慌が襲いドイツの経済は混乱し600万人を超える失業者を出した。ワイマール憲法の下で共和国を支えていた社会民主党の政権はゆらいでいった。その間隙をぬってドイツ民族の復興を掲げた政党が民衆の心を引きつけた。それが、アドルフ・ヒトラー 率いる国家社会主義ドイツ労働者党・ ナチスである。

 ヒトラーは民主主義に反対しドイツ民族の優秀さを誇り感情的宣伝により多くの国民の支持を集めた。やがて1933年1月ヒトラーは資本家や軍部にも支持され首相に就任して政権を握る。1934年ヒンデンブルク大統領が死去するとヒトラーは大統領の権限も合わせて 総統 の地位につき独裁者となった。ヒトラーは、アウトバーン・ 自動車専用道路の建設など公共事業と軍事産業によって失業者はなくした。

 しかし一方で民主的なワイマール憲法を停止し民主主義を否定、言論・出版を厳しく取り締って個人の自由を奪いユダヤ人迫害を行った。さらにユダヤ人だけでなく政敵への弾圧も行い、国家秘密警察・ゲシュタポ、突撃隊・ SA、親衛隊・SS によりイタリアにも派兵して徹底的なファシズム国家をつくった。1933年秋、軍備平等権が認められない事を理由にドイツは国際連盟を脱退。その後のヨーロッパは暗黒の時代を迎え1935年3月ドイツは、ベルサイユ条約を破棄して再軍備を宣言し他国を侵略して占領していく事となった。

 一方、イタリアのムッソリーニは世界恐慌を対外侵略によって乗り越えようと考えた。1935年イタリアはエチオピアに侵攻し翌1936年、エチオピア併合した。国際連盟はイタリアに経済制裁を行ったが内容が不十分で効果をあげることはなかった。1937年イタリアも国際連盟を脱退。アルバニアはイタリアとの関係を深め、恐慌後は財政援助を受け、次第に従属化していった。1939年、イタリアはアルバニアに侵攻し1943年までアルバニアを併合した。

 スペインでは1936年に共産党を含む左翼勢力が人民戦線内閣が発足するがフランコ将軍を中心とする軍部勢力が旧王党派や地主層など保守派の支持を得てモロッコで反乱を起こした。この内乱でソ連は政府をドイツ・イタリアはフランコを援助した。イギリスとフランスは戦争のヨーロッパへの拡大を恐れて不干渉政策をとった。ラインラント進駐の4ヵ月後に始まった、このスペイン内乱は第2次世界大戦の前哨戦の様相を呈した。

 その後1939年フランコ側がマドリードを陥落させて勝利。その後、第二次世界大戦に向かって突き進み1945年4月30日にヒットラーが自殺し1945年5月7日、ドイツはフランスのランスで西側連合国に、そして5月9日にはベルリンでソ連軍に無条件降伏しヨーロッパの第二次世界大戦は終了。一方、マルセイユの安田商事も第二次世界大戦後、従業員を再度雇用し営業活動を開始した。
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