第56話:熊本大地震とブレグジット

文字数 1,238文字

 2016年は、寒い日が続きインフルエンザも流行して気を付けていたが安田商事でも数人が休んで3月になると流行が一段落して暖かくなってきた。そして今年、3月26日、北海道新幹線が函館まで伸びた。

 4月14日、熊本市で大きな直下型地震が起きて熊本県益城町で震度7を観測し熊本城を始め多数の建築物が倒壊し2016年8月時点で死者は110人、被害を受けた家屋は、合計18万472棟に達する大惨事となった。無残にも熊本城が大きな損傷を受けた。この日から安田商事横浜支店の入り口に熊本地震、救済募金の箱を置いて募金を受け付けた。

 この知らせを聞いたリチャードから電話が入り個人として100万ドルを寄付すると送金してきた。また、この年は、番狂わせの出来事が多い年だった。最初にイギリスの6月23日にイギリスのEU離脱の是非につき行われた国民投票が行われた。もともと、何故、こんな事になったかを調べると発端は、2013年1月に首相デビッド・キャメロンが次回の総選挙で保守党が勝利した場合にEU残留の是非をめぐる国民投票を行うと公約したことにある。その背景にはEUに対するイギリス世論が硬化した事と保守党内部の路線対立とがあった。

 まず2004年と2007年の二度にわたってEUの東方拡大が行われたが当時のブレア政権は人の自由移動に関し移行期間を設けなかったため新たにEUに加盟した東欧諸国からの移民が急増した。多くの移民が流入した地域では職を奪われるとの懸念が広まるとともに医療や教育などの社会インフラに負担がかかることになった。続いて2010年以降のユーロ危機や金融規制をめぐる大陸諸国との対立のためにEUに対する信頼感が低下し、EUからの離脱を唱えるイギリス独立党への支持が拡大した。

 それに加え昔から親EU的な政党であった保守党の中ではサッチャー政権期の1980年代末以降、単一通貨導入に対する反発から懐疑派の勢力が強まっていた。特に1997年に政権から外れた後、党内対立が激化し首相キャメロンが国民投票を公約したのは、これ以上イギリス独立党に支持が流れるのを防ぎ、保守党の党内対立を収拾するためであったと言われている。最終的には議会制民主主義が機能不全に陥った事が国民投票が必要になったという理由と考えられる。その結果、離脱派が51.9%対48.1%という僅差で勝利したのはイギリス社会が大きく分断されていることの結果とみるべきだろう。

 この結果を受けイギリスのEU財政に対する負担額は、ドイツに次いで第2位であるためEUの新たな財政計画の策定にする上で失われる資金をどう手当てするかがEU財政にとっての大きな問題となる。イギリスのEU離脱について、そんなこと無いだろうという、世界的な予想を裏切った結果に世界経済も大きなショックを受けた。ヨーロッパ全体にも大きな影を落とし日本、アメリカでも信じられないと空気がな流れ、決定後は、世界の株式市場、為替市場が動揺したのは言うまでもない。
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