第14話:貿易商開始と安田亀吉がスイスの老人施設へ

文字数 1,396文字

 やがて豪華な日本の織物、陶磁器をそろえてフランス、スイス、イタリアの富裕層の屋敷で商売して歩くとに徐々に売れていった。かくして数年で安田商事の安田勝一と勝二は、三井物産とフランスの富裕層、更には欧州の富裕層との関係を揺るぎないものにした。その後1923年、安田勝一は笠戸商店と別れ独立して安田商事として10人の社員を抱えて営業活動を続けた。そして安田勝一を新社長に安田勝二を副社長にした。

 その後、三井物産との絹織物や陶磁器の貿易の担当者を息子たちと現地で採用した従業員たちに託して安田亀吉は83歳と奥さんの安田衣子52歳が一線を退いた。安田勝一が日本の織物担当で勝二が陶磁器担当となって売りまくった。同じ1923年に長男の安田勝一がフランス人のハンナ・21歳と次男の勝二も地元の可愛いフランス人女性とマリア・21歳と結婚。翌年に1924年6月6日に長男、安田正吉、1925年11月22日に長女、安田金子、1927年9月11日に次男の安田浩二が誕生した。

 一方、安田亀吉の次男、安田勝二の家でも1924年8月16日に長女、安田姫子、1926年9月9日に長男の安田竜男、1928年8月11日に次男の安田二郎が生まれ、安田家が10人となり商売も順調だった。1924年4月に安田勝二がマルセイユからパリに移り住んで安田商事パリ支店を立ち上げて従業員8人を雇った。そしてロンドン支店と競い合う様にして日本の絹織物や陶磁器、漆器、銀食器などを販売してオランダ、ベルギーも訪問していった。

1924年4月に安田勝一がイギリスへ行き三井物産ロンドン支店でイギリス国内で日本の絹織物や陶磁器、漆器、銀食器などを販売していく話をすると三井物産の担当者がフランスでの成功例を聞いていた様で協力してくれる約束をもらい市場開拓のためロンドン市内にアパートを借りイギリスの貴族、元貴族、富裕層、事業主の顧客を同行訪問し販路拡大を手伝ってもらった。徐々に注文をもらえ地元ロンドンで社員を募集、6人雇って安田勝一が安田商事ロンドン支店を開設して積極的な営業活動の末、1926年にはフランスと同程度の売上を上げた。

 その後、ロンドンとパリ支店が競い合って売上を上げ事業が拡大していった。しかし1930年代に入るとヨーロッパ、イタリアとドイツでファシストが勢力を伸ばし1935年には戦争が近いと感じ安田勝一はロンドン支店を閉め安田勝二もパリ支店も閉めて2人ともマルセイユに戻った。1935年以降は営業活動ができず社員たちも一時解雇という形で1936年から安田商事は開店休業状態になり今までの利益を切り崩し生活した。1933年11月12日に安田亀吉は89歳、奥さんの安田衣子56歳でスイス、レ・マン湖の畔の老人施設に入った。

 その知らせを聞いた安田姫子は、たまらず、スイス、レ・マン湖のほとりの老人施設に行き近くに豪華アパートを借りて安田衣子と共に住み頻繁に安田亀吉の所へ行った。やがて1945年3月18日、安田亀吉は、その老人施設で妻の安田衣子に看取られ101歳で、その生涯を閉じた。残された安田衣子と老人施設を出て近くのアパートで2人で暮らし始めた。その後、安田衣子が、もし私に何かあったらと言い亡き安田亀吉から預かった遺産の20万フランと346kgの金塊をプライベートバンクに置いてあるので管理して欲しいと言われ了解した。
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